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Face To Face No.77「楽しいは強い」

 高54回生 鈴木美央

 伊川谷中学卒

 バスケ部マネージャー 

 早稲田大学理工学部建築学科卒 

 英国 Foreigin office Architects

  慶応大学大学院理工学研究科博士後期課程 博士(工学)

  

 

 

経験は種ー

 美央さんは、整形外科関連の疾患により小学生の頃から通院を行い、中学で1回、高校で2回手術を受け、その度に三ヶ月の入院を余儀なくされた。子どもの頃は、白くて古くて研究室のような病院が怖くて足がすくんだ。だが、高校生になると疑問を感じるようになった。「本来、人を癒すためにある病院なのに、辛い人をよけい辛くさせるような建物でいいの?」

 

 小学5年生で経験した阪神淡路大震災も、美央さんに大きな影響を与えた。住居のあった西区は比較的被害の小さな地域ではあったが、それでも新幹線の橋げたが落ちているのを目撃し、家が潰れて亡くなった人のいることを見聞きした。「本来、人を守るはずの建築物が人を傷つけていいの?」

 

 この二つの経験を「負の遺産」にしたくない。この経験を生かしていきたい。人の生活に建築は大きく関わっている。私は「建築」を使い、たくさんの人が笑顔になる空間を作っていきたい。

 

 こうして、美央さんは大学の建築学科に進学した。大学在学中に、完成したばかりの「横浜の大さん橋」を観に行った美央さんは衝撃を受ける。全てが穏やかな曲線で表現された大さん橋は、見事に横浜のランドマークと調和し、人々は幸せそうに散歩していた。

「大さん橋」を設計したのがイギリスの設計会社だということを知った美央さんは、そこでインターンシップとして働かせてもらおうとイギリスに渡る。

 

―チャレンジー

 「建築業界では、学生がアルバイト的に設計事務所で働くことは『オープンデスク』と呼ばれてごく普通のことでした。だから私もアルバイトでもいいから憧れの建築家の元で働くことができればと思っていたのです」

 

 ところが美央さんの人生はここで大きく変わる。応募してみるようにと勧められた高層ビルのコンペで勝ってしまったのだ。コンペ時のプロジェクトの主要メンバーはたったの三人。30代半ばのオーストリア人とスペイン人、そしてまだ23歳の美央さんの三人のチームだった。

 

 その事務所には、その事務所で働きたい人たちが世界中から集まっていた。そして、その集まった若い人たちに全面的に仕事を任せるのが、その事務所のやり方だった。

 

 その後、美央さんは大きな仕事を次々に任される。マレーシアで建築された50階建てツインタワーの建築意匠をたった一人ですべてやっていた時期もある。外壁のデザイン、ランドスケープのデザイン、内装のデザイン、全てである。発注主は、まさかの若い小娘がやってきて驚いていたが次第に信頼を勝ち得る。

 

 「若い時に、責任を持たされてチャレンジングな仕事をする。大変だけどめちゃくちゃ楽しい。ものすごく仕事しましたが全く苦ではありませんでした」

 

レイバンズボーン ユニバーシティ ロンドンの外壁意匠

美央さんのプロジェクトチームで担当した。 

 

 だが、5年ほどがむしゃらに働いた美央さんに、また新しい疑問が浮かんできた。

「建築技術の伴わない途上国で高層ビルを建てることは、危険な作業を伴っていました。2008年にはエコノミッククライシスが起こり、多くのプロジェクトが途中で放棄されました。大きな建築物を建てることで、新しい可能性を掘り起こす可能性はもちろんある。でも、それはどの時代にでもどの都市にでもあてはまることではない。そう感じ始めたのです」

 

 顧客の要望に応えるのではなく、もう一度もっとアカデミックな場所に身をおいてみたい。永住権まで得ていたイギリスを離れた理由は、実はもう一つあった。当時、付き合っていた現在の夫が、駐在が終わり帰国することになったのだ。帰国して結婚。慶應での勤務を始め、仕事として研究を行う中で研究の楽しさに目覚めた。そんな時、当時の勤務先の先生に勧められ「働いた経験で修士課程を修了したとみなす」コースがあることを教えられ、慶応で博士コースに進学した。

 

―マーケットー

 博士コースで美央さんが選んだテーマは公共空間の研究だった。ロンドンの街で馴染みの風景だった「マーケット」。「マーケット」には二つの定義がある。一つは可変性。規模も形態もフレシキブルで、その時々の街の人口、必要な物、また目的によってその姿は容易に適応することができる。そしてもう一つが継続性。普通の道が一週間に一度マーケットになる。あるいは月に一度、場合によっては年に数度。しかしそこに「継続性」があることが必須条件である。

 

 「大きな建築物は作ってしまったら変化できない。でも、マーケットは至極簡単に姿を変えながら存在することができます。欧州ではマーケットは生活の中に根ざし、生まれた時からそこにあり、マーケットなしの生活は考えられないという文化があります。かつては日本にも露店の文化があった。でも、戦後、道路が警察の管理下に置かれるようになり日本独自の露天の文化は消滅してしまいました。私が建築を目指した原点は『建築で人幸せにする』です。マーケットは日本ではおしゃれなイベントとして認識されていますが、実は世界では都市のインフラとして機能しています。このマーケットというツールを日本でも使いこなしていき、いずれはそのツールを、開発著しい中国の街にも輸出していく。そんな夢を抱いています」

 

 今年6月に「マーケットでまちを変えるー人が集まる公共空間のつくり方―」が学芸出版社から出版された。重版も決まり、共同通信社により書評が配信され各地方紙に掲載されている。

 

「好きなことを楽しく頑張ってください。誰かが手助けしてくれ道は開けます」美央さんから現役長田生へのアドバイスだ。(20189月 取材・写真・文 田中直美)

 

編集後記

 実は美央さんが大学院博士コースに進学したとき、長女は生後6ヶ月。論文研究のために10日間の研究旅行で渡英したときは生後10カ月だった。「夫は、私のことを褒めたり鼓舞したりはしませんが、私がやりたいことを自由にやらせてくれ、そしてとても淡々とサポートして私が留守中の子育てもこなしてくれます。本当に感謝しています」。右手に5歳の長女、左手に3歳の次女を抱いて眠るとき、最高に幸せを感じると言う美央さん。どうぞ、だれにも優しい公共空間をプロヂュースして、私たちに幸せな時間をプレゼントしてくださいね!

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41回生藤井浩さんスペインギターコンサートが行われました(2018/9/9代々木上原教会)

今年の東京総会で演奏してくださった藤井浩さんですが、その後体調を崩されて入院される事に。

幸い順調に回復され、今回スペインに帰国される前に、快気のお祝いと感謝の気持ちを込めてコンサートを企画させて頂きました。

 

代々木上原という閑静な高級住宅街の中に、静かにたたずむモダンな教会。

ここに「スペインからやってきたギタリストの演奏を聴こう」、という人達が礼拝堂一杯に集まりました。

長田の卒業生は勿論の事、教会関係の方から、通りがかりのご近所さんまで85人程。

壁に映し出されたスペインの映像をバックに、1時間半、たっぷりと本場のギターの世界に浸らせてもらいました。

 

藤井さんのMCは、ギターの世界やスペインの楽しい生情報が一杯。

「この曲は地元の祭りで人間ピラミッドの時に演奏するもの。てっぺんには『マリアちゃん』が乗るんですよ。」なんて小ネタに使えそう(笑)

でも「遠くスペインに渡った時は戦いに挑むような気持ちだった。同じく故郷を離れて来ている友人は戦友のようなもの。」というお話は胸にしみるものがありました。

 

後半には大音響のドルサイナ(チャルメラ)演奏が。藤井さんは「皆さんの眠気覚ましに」なんて言ってましたが・・・吹きながらどんどん真っ赤になっていく藤井さんの顔を見ていたら、こちらが心配になってきました。

 

最後は老若男女みんなで全体写真撮影です。掛け声は勿論テーマである「ア・ミ・マネーラ!!」(私の人生)。

会場全体が一体となった、素晴らしき音楽体験でした。

 

藤井さん、帰国した際にはまた東京にも遊びに来てくださいね。

ますますのご活躍を、応援しています!!

(文責41回生井川)

 

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高41 藤井浩さん 秋のスペインギター演奏会 in 代々木上原教会

神撫会東京支部主催  
藤井 浩(長田高校 41回生 )、
ギターコンサート開催のお知らせ 

 

東京支部総会で素晴らしい演奏を披露して下さった、
スペイン在住のギタリスト 高41回生 藤井浩さん。
今度は教会に場を移して、その音色をじっくりと響かせて下さいます。

少し早い秋の郷愁を、ギターに感じてみませんか。
皆様、ふるってご参加ください!

● 

テーマ: 

「A mi manera(ア ミ マネーラ)人生を謳おう! Part 供 〜チャペルに響くスペインギターのしらべ〜 

 

 

演奏:藤井 浩(長田高校 41回生 )

41回生藤井さん

 

 

 

 

 

日時:2018年9月9日㈰

13:30 開場 14:00 開演

15:30 終演予定

 

場所:代々木上原教会
〒151-0064 東京都渋谷区上原3丁目18-3
(千代田線・小田急線 代々木上原駅 徒歩5分) http://www.yoyoue.jpn.org

 

演奏予定曲目:

 アルハンブラ宮殿の想い出(タレガ)

 ラグリマ (タレガ)

 禁じられた遊び(スペイン民謡)

 アンダルーサ(グラナドス)

 カバティーナ(マイヤース)

 エストレリータ(ポンセ)

 聖母の御子(カタルーニャ民謡)

 深い愛(ホセ・ルイス・ゴンサレス)

 他

 

主催:兵庫県立長田高校 神撫会東京支部 
会場協力:日本キリスト教団 代々木上原教会

当日の連絡先:090-6117-6461 
hminamiyama@axhum.co.jp(南山宏之) 

 

※お志として、千円以上の献金にご協力頂けると幸いです。 

 

会場は、100人あまりが入れる教会の会堂です。
皆様お誘い合わせのうえ、ぜひ足をお運びくださいますようお願い申し上げます。

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Face To Face No.76「自分をストレッチさせろ」

 高46回生 栗田直樹

 高倉中学卒

 サッカー部

 神戸大学経済学部卒

 三井物産株式会社

 ペンシルバニア大学ウオートン経営大学院卒
 

 サッカー少年だった栗田さんは、商社に就職後、一念発起して海外MBAを取得する。その2年間の経験が栗田さんをどう変えたのか?お話を伺いました。

―学生時代ー 

幼い頃からサッカー大好き少年。小学校のサッカーククラブのCoキャプテンだったが、親の転勤のため小学三年で中断。転校先ではサッカークラブがなかったこともあり、野球、バスケットボールなど他スポーツを楽しんだ。

 

サッカーを再開できたのは長田入学時だった。ずっとサッカーを続けていた仲間たちとは、技術の差はきっとあったと思う。「それでも、持ち前の負けず嫌いな性格とがんばりでレギュラーの座をいとめました」。高校2年生の時、膝を痛めて半月板の内視鏡手術をしてからは思うように練習が出来ない時期もあったが、好きなサッカーと、仲間と過ごす時間を存分に楽しむことができたのは、監督と仲間のお陰だと思っている。

 

長田時代のサッカー仲間と。後列左から2番目が栗田さん

 

校風として文武両道をモットーにしていたこともあり、サッカー部の活動に没頭しつつも、休み時間やバス・電車の中の隙間時間で予習・復習するなどし、効率的に勉強することは意識していた。

 

怪我をして時間が出来てからの方が勉強の効率が落ちてしまったように思うが、今振り返ると、「複数の忙しいことが重なっている方が効率的に動ける性格なのかも知れません」と笑う。

 

現役で地元の国立大学に進学したあとは、学習塾の先生のバイトやサークル活動に精を出しつつ、貯めたお金で米国、欧州、アジアなどの海外旅行なども楽しんだ。

 

―ハードルを越えるー

  就職は商社を選んだ。海外への憧れもあり入った商社だったが、実際に従事した仕事では英語を使う機会はさほど多くはなく、入社7年目に米国研修員として米国で1年間生活した際に、はじめて本格的に英語を使うようになったというのが正直なところだ。

 

 社内留学制度でMBAを取得したいと考えるようになったのは何時ごろからだろう。「常に自分の一生のスケールで何をすべきか、何をしたいのかを考えよ」という先輩の言葉にも刺激を受けた。米国での研修時代に、1000人以上の社員をマネジメントするまだ30代の社長の姿を間近に見て、将来自分は、彼のようにたくさんの人の人生の一端と生活を担う責任を果たせるのだろうか、と痛感したこともある。30歳になった自分の理想と現実のギャップを埋めたい。その方法の一つが海外MBAだと栗田さんは心に決めた。

 

 海外MBAを取得するには、最初に超えなければならないハードルが二つある。一つは社内で選抜されること。もう一つは志望する大学の試験に合格することだ。大学合格のためには、一般的には1300時間の程度の準備が必要とされていた。

 

「『約一年間は週末も含めて僕はいないものと思ってくれ』と妻に伝え、平日出勤前、通勤時間、帰宅後、週末に勉強しました」

 

 一年後の受験で倍率およそ10倍の希望大学の入学試験には見事合格。だが、なんと社内選抜が最終面接で落とされてしまった。「正直、この一年をもう一度繰り返すのは無理と思いました」

 

 だが、MBA取得の先輩から、入学の権利を翌年まで留保する方法があることを教えてもらい、交渉の末、なんとか大学には一年待ってもらえることに。社内選抜も、過去には2回目のチャレンジで合格していた人もいることを知り、もう一度チャレンジすることに。そして翌年、晴れて2年間の留学に出発した。

 

―貢献するー

 80ヵ国以上、一学年850名のクラスメイトと学ぶ2年間は、想像以上の変化を栗田さんにもたらした。会社を離れ、日本を離れ、一個人として未知の世界でもがいた。

 

 勉強はもちろん睡眠時間を削って頑張った。マーケティングや財務の経営理論はもちろんのこと、リーダーシップ・チームワークや交渉・コミュニケーション能力向上のための授業も用意されていた。その中でもユニークなものが三日間氷山の中で行う、「危機的状況の中でリーダーシップを発揮する」ためのプログラムだ。

 

事前に三ヶ月に渡る身体的トレーニングを行った上でプログラムに参加。期間中は参加者が交代でチームのリーダーを担う。「他のメンバーの状況を正確に把握し的確に指示をだす」「密なコミュニケーションで互いの信頼関係を築く」「メンバーを励まし鼓舞する」。これらのことを身体的・精神的窮地の中で確実に実践できるよう学んだ。

 

大学一年生の時に阪神淡路大震災に罹災し、家が半壊した栗田さんにとって、その時に受けた大きな支援は忘れられないものだった。だからこそ、留学中に起きた東日本大震災では、今の自分が、米国で出来ることは何かと必死で考えた。留学生仲間とチャリティイベントを行い、40000ドルを集めた。「米国企業のマッチング制度を利用すれば、集めた金額と同額の寄付を企業から集めることができる」と教えてくれたのはMBA仲間だ。自らの勤務先の制度を活用して協力してくれた。街の教会に、コインで一杯になった貯金箱を届けてくれた小さな男の子のことも忘れられない。

 

この二年間で得た一番の財産は、世界中から集まった多様な価値観を持つ友人と過ごした時間だ。優秀でありながら謙虚。失敗しても挑戦し続ける姿。「Get out of Comfort zone(今に安住するな)」「How can you contribute(貢献できるか)」。互いに常に鼓舞しあった言葉がしみこんでいる。

 

 ウオートン校で一緒に学んだ仲間たち

 

―朝活ー

 2011年に帰国した栗田さんは、「一人で出来ることは限られている。互いに刺激しあって化学反応を起こす場を日本でも作りたい」と考え始める。

 

そんな中、海外MBAを経験して「海外ビジネススクールのように、様々な人々が出会い、刺激的・継続的に学べる場を作りたい」と活動を始めていた仲間と意気投合。現在、共同幹事として「MBA朝活」を主催している。月一回の開催は継続的に続けられ、すでに45回を迎えた。出勤前の早朝715分から八時半まで、虎ノ門カフェで開催している。

 

栗田さんたち共同幹事の意気に感じ、そうそうたる経営者たちが講師を無償で務める。ビジネスの側面だけではなく、講師それぞれの生きざまや価値観まで語られるのが魅力だ。

 

「自分の可能性を自分で狭めてしまってはいけない。強い想いがあれば、賛同、アドバイス、もしくは支援してくる人が必ず現れ、強いエネルギーを貰って実現への道が広がります」栗田さんから現役長田生へのアドバイスだ。(取材・文・写真 高28回生 田中直美)

 

編集後記

 「MBA朝活」に私も参加してきました。私は朝5時起きでしたが、参加者の女性の一人は4時半に起きて子どものお弁当を作ってから来られたとか。「新しい刺激を受けて勉強したくて」とのこと。参加者は20人ほど。活発な質問が飛び、講師も的確な答えを即答。投資会社経営者による金融界のお話でしたが、門外漢の私にも充分に理解でき、有意義な朝でした。みなさん、講義のあとは一目散に仕事場へ。若いエネルギーに元気になりました。商社マンとしての本業も充分すぎるほどにいそがしいであろう栗田さんが、毎月一回のこの会を開催し続けるエネルギーはその「想い」にあるのだろうと痛感した時間でした。

 

「MBA朝活」の様子

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◆2018年度東京支部総会・懇親会◆

6月9日(土)渋谷東武ホテルにて、18年度神撫会東京支部総会・懇親会が盛大に執り行われました。

今年は私たち43回生が幹事を務めました。今回、初めての試みとして、今までご案内ハガキをお送りしていた方々に加え、神撫会本部の住所録に掲載されている関東圏在住の44回〜69回生302名の方々にも、ご案内ハガキをお送りしました。これにつきましては、神撫会本部ならびに(株)サラトの皆様にも多大なご協力をいただきました。心よりお礼申し上げます。そして、今回の出席者211名のうち40名が43回生より若い人という大変嬉しい結果となりました。

さて、今年の総会テーマは「A mi manera(ア ミ マネーラ)人生を謳おう!」でした。「ここにいる一人ひとりの“私の人生”、“私の生き方”、夢やビジョン。挑戦や挫折。歓びや悲しみ。そんな人生全部を、互いに讃えて、応援し、人生を謳ってしまおう!」という思いが込められています。司会は、43回生を代表して、フジテレビアナウンサー伊藤利尋くんと倉本涼子さんが務めました。

総会は、大塚製薬”ポカリスエット”の長田高校のダンスCMとともに開幕。まずは、テーマである「A mi manera(ア ミ マネーラ)」にふさわしく、スペインのギター音楽にのって南山支部長(高25)が登場しご挨拶。続いて、車谷事務局長(高33)から、年次・会計報告と理事改選の提起が行われ、拍手をもって承認されました。また、会計監査役の松島様(高37)より会計監査報告がありました。その後、来賓の小山校長先生、兵庫県東京事務所の入江所長、神撫会の三宗理事長(高17)からご挨拶を頂きました。また神撫会100周年事業広報委員会の子守委員長(高32)、松原委員(高35)から、神撫会100周年事業のご紹介と協力依頼がありました。

吉地先生紹介その後の懇親会は、今年も出席者最年長毛利公郎さん(中18)の乾杯の御発声からスタート。体験コーナーの一つ目は、長田高校で9年間体育教官を務めた吉地先生のブース。吉地先生は現在、「めぐちゃん指ヨガ」の指導者として全国各地で活動されており、その「めぐちゃん指ヨガ」を来場者にマンツーマンで施術しました。 続いて、体験コーナーの二つ目として、早稲田大学で医療福祉用リハビリロボットを研究している田中英一郎くん(43回生)のブース。広島大学と共同開発した歩行補助ロボット「RE-Gait®」(リゲイト)の体験が行われ、来場者の興味を惹きつけました。 田中くん紹介模擬店ブースでは毎年大好評の「長タコ」が、明石焼きを振舞いました。この収益は100周年事業基金に寄付されます。 今年ならではの楽しい試みとして、司会の伊藤くんが「長タコ」「めぐちゃん指ヨガ」「RE-Gait®」(リゲイト)を周り、現地を実況中継する一幕がありました。舞台上の倉本さんとの掛け合いも絶妙で、まるでニュース番組から飛び出してきたような中継に、会場は盛り上がりました。

藤井さん演奏その後のメインステージ企画では、会場が暗転し、”スペインの笛吹き男”藤井浩さん(高41回)の紹介ムービーが流れ、藤井さんがスペインの民族楽器であるドルサイナを演奏しながら入場。伊藤くんと藤井さんのトークライブでは、藤井さんに、「なぜスペインだったのか」また、「ドルサイナ&ギター奏者になるまでの経緯と、現在の活動」について迫りました。続いて、鈴木美穂さん(高45)のピアノ伴奏により、ドルサイナとギターの演奏を披露し、参加者を魅了しました。

中野さん応援引き続き、中野瞳さん(高61回)を応援するコーナー。中野瞳さんは2020年東京オリンピック出場を目指す走り幅跳びの選手です。高校2年生で日本高校新記録(6m44cm)を樹立後、難病で記録が伸び悩んだ時期を経て見事に復活されました。総会では、中野瞳さんの足跡を辿る紹介ムービーが流れ、伊藤くんが、会場の2箇所にピンを置き、6m44cmの距離をわかりやすく説明してくれました。その後に登場した中野瞳さんは、オリンピックに向けての決意を語り、神撫会東京支部を中心に発足している「中野瞳を応援する会」富澤さん(高61)から具体的な応援方法として、ヾ麌奸↓応援に行く、3Г捻援歌を歌う、の3つが挙げられました。については、中野さんへのサプライズとして応援歌”A mi manera〜神撫の風〜”(作曲:藤井浩さん、作詞:応援する会有志)が贈られ、会場に響く大合唱の中、中野さんが感動して涙ぐむ場面もありました。
(参考:走り幅跳び・中野瞳さんを全力応援! in 2018神撫東京総会)

今年のテーマである「A mi manera(ア ミ マネーラ)」はスペイン語の直訳では「私の人生」ですが、あえて「人生を謳おう!」と併記しました。そこには、「人生はうまくいく時も、うまくいかない時もある。それでもこうして同じ神戸三中、長田高校の門をくぐった仲間が集まれば、自然に笑顔になり、明日への勇気が湧いてくる」というメッセージが込められています。まさに、全員で中野瞳さんの応援歌を歌っている間、会場はエネルギーに満ちあふれ、活力が生まれるのが感じられました。

「A mi manera(ア ミ マネーラ)人生を謳おう!」これは、各方面で活躍する皆さまの一人ひとりへの応援メッセージでもあります。またお目にかかれる日まで、皆様の毎日が、笑顔で満たされる日々でありますように。(43回生 原 恭子)

43回生集合写真
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「Face To Face」NO.75「災害医療に導かれて」

 高35回生 水谷和郎

 太田中学卒

 水泳部

 山口大学医学部

 神戸百年記念病院心臓リハビリセンター長

 (旧 鐘紡記念病院)

 

 

 阪神淡路大震災が人生の転機となったと語る人は多くいるだろう。水谷さんもその一人だ。だが、水谷さんの場合、その転換点は震災10年後に訪れた。揺り起こされる記憶が、水谷さんの医師としての仕事に、専門の循環器内科とは全く別の側面である災害医療という新たな一面を加えることになった。そしてそこから更に4年後、一冊の本との出会いで、水谷さんの災害医療は更に深化することになる。

 

1995年ー

 1995117日。水谷さんは医師になって3年目。兵庫県立淡路病院で当直の朝を迎えていた。淡路病院は淡路の救急病院で、連日、島中から救急の患者ばかりが搬送されてくる。日常から野戦病院の趣があり、毎日の医療に少し自信が出て来た頃だった。

 

 早朝5時半に目がさめポケベルをチエック。テレビをつけたその時に、遠くからゴーっという音が近づきドンと縦揺れがきた。とっさに思ったのは「東海地震がきた!名古屋が大変だ」ということ。当直室の扉を開けると非常扉が全て閉じて廊下が緑の部屋になっていた。

 

 ドアを開け開け一階に降りたがいつもと変りない。情報源はテレビのみ。京都が震度5。だが、淡路・神戸の情報は出てこない。情報を得るために淡路の広域消防に電話した。救急要請が11件あり、生き埋めが何件か出たようだ、との情報を得る。最初の患者さんが来たのが65分。軽症の患者さんがバラバラと自力で来院した。

 

 様子が変わってきたのは7時過ぎから。次々に救急外来の患者が運ばれ、あちこちで心臓マッサージが始まっていた。

 

「この時、外科部長だった松田先生が栗栖先生に『映像で記録をとれ』と命令しました。正直、なんで?と思いましたよ。一人でも多くの医師の手が欲しいのに」

だが、結果としてこの時撮られた映像が水谷さんの人生の進路を大きく変えていく。

 

この日の来院患者数68名。死亡7名。重傷20数名。混乱は午後14時ぐらいにはほぼ終息した。ライフラインが切れなかったこと、救急病院だったため、普段から科を超えて協力する体制があったこと、明石大橋開通前で、非番の医師たちも病院の近くに住む人が多く、駆けつけてきた医師が多くいたことも幸いした。

 

震災当日撮影された映像より 中央が水谷さん

 

2005年ー

 震災後3年目ぐらいから、なぜか震災の話をすると泣いてしまうようになっていた。何故そうなのかは自分でも分析できない。とにかく、自然災害によって突然命を絶たれ、亡くなった方々の時間が止まってしまった理不尽さが悔しかった。

 

 震災10年後のその日、水谷さんは兵庫県立姫路循環器病センターに勤めていた。看護詰所のテレビで10年目の黙祷が始まったその時、突然の号泣がこみあげ止められなかった。

 

 「当時、姫路の循環器病センターは地域の災害拠点病院に指定されていました。でも、指定されているだけで何も準備はされていなかった。僕はそのことに気付いていましたがそれまで気付いていないふりを自分自身にしていました。でも、その時、急にスイッチが入ったんです。震災当日、淡路病院で経験した自分だからこそできることがある」 

 

 水谷さんの災害医療活動がスタートした。

「まずは病院のスタッフにあの時の映像を見てほしかった。阪神・淡路大震災当日の病院での映像記録では、唯一のものです。現場で何が起こっていたのかを知って、そしてどう行動すべきなのか、自分事として考えてほしかった」

 

 映像を公開することには葛藤の連続が有ったと言う。「でも、現状ではだめだ。これでは亡くなった人たちが報われない」。

 

姫路循環器病センターでの初めての講演の日、水谷さんはいつもの白衣ではなくスーツを着た。淡路病院のスタッフとして今日は講演するのだという意志表示だった。

 

 病院内の反響は凄かった。災害医療に対応しなくてはという機運が一気に盛上がる。水谷さん自身も、もっと勉強をしなくてはと日本集団災害学会のセミナーを受けることにした。だが、勤務医は平日に休みをとるのが難しい。そうだ、自分が学会発表をすれば休みを貰えてセミナーを受けられる!

 

 意気揚々と出かけた学会で、まさかの肝心のビデオが動かず発表は失敗。「だがまぁ、一回だけのことで、専門外だしいいか。セミナーを受けるという目的は果たすことができた」と帰途につこうとしていた水谷さんに、長崎大学付属病院と松山赤十字病院から「映像を貸して欲しい」と声がかかった。

 

 「それなら、ぜひ私の話を聴いてください!」この時の講演が口コミで広がっていった。

 

2016年11月12日 鳥取県立厚生病院で講演する水谷さん

 

2009年ー 

 NHKのスペシャル番組「阪神・淡路大震災 秘められた決断」を観て、本、「災害エスノグラフィー;阪神・淡路大震災秘められた証言」を買う。それは鳥肌が立つほどの衝撃だった。

 エスノグラフィーとは、本来、民俗学のフィールドワーク手法の一つ。それは、京大の林先生が震災当日の神戸市役所職員のそれぞれの一日を克明に聞き取り、その話し言葉のまま時系列にどこでどんなことが起こっていたのか記録した書だった。

 

 水谷さんは、体験した人にしかわからない体験の「温度差」が気になっていた。あの映像に写っている人を全てインタビューして淡路病院での災害エスノグラフィ―を作ると決心。既に13名のインタビューを終え、後は4人だ。驚いたことには、だれもがあの20年前の一日を克明に記憶していた。

 

 あの日の映像だけでは伝えきれないこともある。映像を見た人自身のバイアスがかかるからだ。だが映像にエスノグラフィーを加えることで、その映像に写っていなかった時間にその人が何を体験し、どう考え、どう行動していたのかが克明になり、疑似体験がより深いものになる。「他人事」のあの震災の日を「自分事」として捉え、その時、医療従事者として自分に何ができるのか考え抜くこと、また現場で実際に起こっていたことを疑似体験することによって、知識を増やしておくこと。知らないことは出来ないのだから。

 

 現在、神戸の百年記念病院で心臓リハビリセンター長として勤務しながら災害医療の啓もうに力を注ぐ。正直二足のわらじは厳しい。だが、この活動を止めるつもりはない。(20187月 取材・文・写真 田中直美)

 

―編集後記―

 水谷さんが取材された災害エスノグラフィ―を拝見しました。大通りだけ巡回し、その裏道の惨状に気付かなかった消防署員の後悔、いつもとは全く違う様子を呈する医療現場では、違う動線をすぐに構築することが必要なこと、通常であれば、まだ手を尽くすはずの患者さんの治療を、より軽症で命が助かるのぞみのある人を助けるために治療を止める勇気が果たして自分に持てるかどうかなど、「習う」災害医療ではなく「自分事としてシュミレーションする」災害医療の大切さを水谷さんが啓もうする意味を痛感しました。

 「震災当日の医療現場のフィルム」。他にはないこの貴重な資料を生かさねばと奮闘する水谷さん。ありがとうございます。

 

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Face To Face No.74「エッセイストから小説家へ」

 高30回生 谷川直子

 飛松中学

 生物部

 筑波大学第二群比較文化学類卒業

 

 

 

 現在、五島列島在住の谷川直子さんは、小説家・文芸評論家として著名な高橋源一郎の元妻として、また、彼との離婚を挟んで罹患したうつ病を克服した後、第49回文藝賞を受賞、作家デビューした女性として知られています。その谷川さんの半生を五島列島福江市でお聞きしてきました。

 

―エッセイストー 

 大学生時代、谷川さんは詩人になりたかった。だが詩人で食べていくことは至難の業だ。卒業後、父の勧めで神戸の会社に就職したにもかかわらず、わずか八カ月で勝手にそこを辞め、土曜美術社「詩と思想」編集部に転職した。両親は激怒。ボストンバック一つで家出同然に上京した。少しでも詩に近い所で働きたいという一念だった。

 

 高橋源一郎と出会ったのは谷川さんが25歳の時。彼の小説をよく読みファンだった谷川さんのことを知る編集部の人が、会う場を作ってくれた。

 

 「初対面とは思えませんでした。文学の趣味が似ており話がはずみました」

 

 ほどなく結婚。だが、当時の高橋はまだ収入的には駆け出し。原稿料が振り込まれているかと、どきどきしながら銀行の記帳に通うような日々だった。

 

 この頃、競馬と出会ったのが人生の最初の転機になったと谷川さんは言う。

 

「あまりにも生活が苦しく『競馬でお金をふやせるかも』という高橋の意見で、生まれて初めて競馬場に足を運びました。私はそこで美しい馬の虜になったのです。競馬の面白さに目覚め、奥の深い競馬を徹底的に学びました。ちょうと武豊氏が活躍している時代で中央競馬会も女性客に目を向け始めていました。JRAPR誌などでエッセイを、サンケイスポーツで予想コラムを執筆するようになり、初めて文章でお金を貰うようになったのです」エッセイスト谷川直子の誕生だった。

 

―うつ病の克服―

だが、高橋源一郎との結婚生活は14年間でピリオドを打つ。離婚する3年ほど前から「寝られない。食べられない。ひきこもる」生活が続いていた。初めて診察を受け入院・治療が始まったのが発症後三年。

 

「病名がついて薬を貰えたことを、とても嬉しく感じたことを覚えています」と谷川さん。

 

 多才でいろんな新しい世界に自分を導いてくれた高橋を、谷川さんは尊敬していた。だが、結果として他の女性を選んだ高橋との離婚と、その前後の日々は想像以上のダメージを谷川さんに与えていたのだ。

 

立ち直るきっかけとなった日のことは、鮮明に記憶に残っていると言う。

 

「すばらしいカウンセラーと出会えていたことが幸いしたと思います。回数を重ねるカウンセリングの中で『自分は自意識過剰である』と気づいたのです。『人に良くみられてたい。人よりすぐれていなければいけない。捨てられた奥さんというレッテルを貼られたくない』」そんな自分の心の奥に気付きました」カウンセリングが始まって2年の時が経っていた。

 

もちろん、うつ病は気付き一つで回復するような単純な病ではない。だが、この日を契機として徐々に回復し、その後3年で全快することができた。

 

―五島列島へー

 この頃、五島列島生まれで五島列島の役所で働いていた大学時代の同級生と再会。彼との再婚を機に、谷川さんも五島列島に移り住む。

 

 「私はエッセイストではなく作家になりたいと考え始めていました。お世話になっていた編集者に相談すると『まずは何か賞をとってください』と。移住当初は、一年ぐらいで賞をとってみせると意気込んでいましたが、結果としては賞を戴くまでに7年の年月がかかりました」

 

 2012年、「おしかくさま」で文藝賞を受賞。小説家谷川直子の誕生が人生の第二のターニングポイントとなった。

 

 谷川さんの小説には「おしかくさま」「断貧サロン」のような、新興宗教をとりあつかったコミカルな作品と「四月は少し冷たくて」「世界一ありふれた答え」のようにうつ病患者の患者視点からみた、繊細で美しい文章で綴られた作品がある。

 

 「私が自身のうつについて語ると、『自分の家族もうつです』と相談の反響がすごかった。うつを克服することができた私だからこそ発信できる何かはないか?そう考えました」

 

 また、うつを契機に「宗教」を見る目も変わったのだと言う。

 「うつが克服できるなら神でもなんでも信じたいと思った時期もあったのですが、ある時、救ってくれるのは神ではなく自分自身、と気づいた時から何かが大きく変わりました」

 

 五島列島に移住し、ひきこもって小説を書いては応募・落選を繰りかえしていた七年間。まるでプライベートビーチのように誰もいな海岸に一人、引いてはうちかえす波に癒されたこともあった。

 

 移住生活十二年になる今は、映画館もない島の生活に、アートや文化の飢えを感じることもあるという谷川さん。書きたいテーマはまだたくさんある。だが、島の生活では都会のリアルは手に入らない。流行りの食べ物も洋服もネットの中でだけの出会いはもどかしい。あと二年で夫の定年を迎えるが、どこで暮らすのがベストか思案中だそうだ。

 

 「高校時代に、自分の肉体の限界に挑戦することが、後々の人生をいかに生きるかにつながってきます。限界までがんばってください」谷川さんから現役長田生へのアドバイスだ。(201712月 取材・写真・文 高28田中直美)

 

編集後記

 「五島列島に住む谷川直子さんにお話を伺ってみたい」。それも理由の一つとなって、今回、私の長田時代の友人三人で五島列島への旅が実現しました。旅人の眼に映る美しい大自然とおっとりとした島人は、生活者である谷川さんにとっては、また違う側面を持つことも知った旅でした。「移住当初、ばりばりの島言葉はイタリア語にしか聞こえなかった」そうです(笑)

 インタビュー前夜に脱稿したという「私が誰かわかりますか」が8月に朝日新聞社から発刊されます。長崎の架空の都市を舞台に、介護する長男のお嫁さんたちが登場する物語だそうです。最新刊は「ゆうべ不思議な夢をみた」文蔵ブックス、ぜひご一読を!

 

 

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facebookでシェアして長田OBに広めていただけると嬉しいです。28回生 田中直美

 

 

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走り幅跳び・中野瞳さんを全力応援! in 2018神撫東京総会

2018/6/9、今年も神撫会東京総会が渋谷の東武ホテルで開かれました。

今回のメインイベントの一つ、2020年走り幅跳びでの東京オリンピック出場を目指す中野瞳さんが登壇。

東京支部「中野瞳を応援する会」が総力を結集して応援した様子をご紹介します!

 

まずは中野さんの走り幅跳び人生を紹介するムービーでスタート。

会場はその輝かしくも苦難の記録に言葉を失い、そして希望に勇気づけられました。

 

【動画】ひとみん、私たちをオリンピックへ連れていって!
https://vimeo.com/273166092/1731135926

 

続いてひとみん登場!

フジテレビ伊藤利尋アナウンサー(43回生)の巧みな話術で、ひとみんの今の決意がどんどん明らかになります。

 

そこへとっておき「中野瞳さん応援歌」をサプライズプレゼント!

ギタリスト藤井浩さん(41回生)作曲・幹事43回生と応援団の作詞です。

藤井さんのドルサイナ伴奏に合わせて会場で大合唱♪

 

【歌詞付き動画】中野瞳応援歌 A mi manera〜神撫の風〜

(下記のアドレスクリックすると、ビデオ楽譜と演奏がスタート!)

https://vimeo.com/274592438 

この歌にはこんな意味が込められているんですよ。

 

中野瞳さんを応援する歌として、
---------------------------------------------------------------------
(1番)始めのほうに「中野瞳」と名前があり、夢に向かって努力し、
(2番)仲間から心の支えを受けて、
(3番)最後に大きくジャンプして東京オリンピック代表を勝ち取る。
---------------------------------------------------------------------
という、夢に向かって挑戦する気持ちを鼓舞する歌にしました。
長田生の応援が、長田生を象徴する”神撫台”の風となって中野さんへ追い風を送って大飛躍を生み、
東京オリンピック代表を勝ち取るという内容にしました。

 

ひとみんの感激の涙、嬉しかったなぁ・・・

 

中野瞳さんが2020年、新国立競技場のグランドで高く跳ぶ姿を見てみたいと思いませんか。

「中野瞳を応援する会」では、中野選手の選手活動支援金の募集を開始しました。

長田生みんなで、オリンピック選手誕生を後押ししましょう!


▼募集の経緯はこちら
https://readyfor.jp/projects/gogohitomin

▼寄附方法の詳細はこちら
https://readyfor.jp/projects/gogohitomin/announcements

 

(文責:41回生井川)

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Face To Face No.73「大切なものを大切に」

 高62回生 宮本千尋

 伊川谷中学卒

 水泳部

 広島大学理学部地球惑星システム学科

 東京大学大学院理学系研究科地球惑星システム学科

 

 

―理科好き少女―

 子ども時代、ゴールデンウイークや夏休みの度に、両親は宮本さんと弟二人をキャンプに連れていってくれた。「これは食べられる。これは食べられない」。母は植物を手にしながら教えてくれた。星好きの父は、近くの天文台が主催する定例会に宮本さんを頻繁に連れ出し、一緒に望遠鏡を覗いた。

 

 こうして理科好き少女に成長した宮本さんは、中学時代に、大学で地学を専攻した理科の先生に出会った。話を聞いていくうちにフィールドに出て自然の中で学ぶ学問に魅力を感じた。恩師が大学で学んできたのと同じようにフィールドで学べる学問をやってみたい。広島大学理学部地球惑星システム学科に進学することを選んだ。

 

 「生まれて初めて家族の下を離れ、部屋に帰っても誰もいない、食事の用意もない、話す人もいないという環境の中で、夕食もお弁当もいつも用意してくれていた母に改めて感謝しました。初めて一人で作って一人で食べたカレーのまずかったことは忘れられません」

 

 ひどい反抗期もあったし兄弟げんかもよくしていたが、それさえ懐かしく、毎晩部屋で一人泣いていた。高校時代までどちらかというと人とかかわるのが苦手だった性格が「積極的に人とのつながりを自らもつ」性格に変わっていったのはこの頃だ。

 

―出会いの縁を広げてー

 広大時代は、とにかく目一杯やりたいことをやった。勉強、部活のラクロス、アルバイト。ラクロスでは山口、岡山、四国など幅広い地域の他大学の学生ともつながりができた。せっかくできたその新しい縁が途切れないよう、積極的に関わりを持ち続けるようになっていた

 

 たまたま雑誌で読んだ嵐の二宮くんのインタビューがとても心に残っているそうだ。

「人も物も仕事も全て『縁』。出会えたのも縁。別れたのはきっと縁がなかったから。でも、一度別れてしまっても縁があればきっとまた会える」

 

 学部四年生の時に、指導を受けていた広大の教授が東大の教授に異動になった。宮本さんは先生を追いかけて東大へ行くことを決心する。研究対象はPM2.5と黄砂などエアロゾルと呼ばれる大気中の微粒子だ。地球環境や人体に様々な影響を与えるエアロゾルが、アジア圏さらには地球全体にどのような影響があるかを解明することを目指し、研究している。

 

 「東大の大学院に進学して上京したことは、私の人生での第二の転機となりました。上京してからのこの三年間は、これまでと比較にならないほどのスパンで新たなものや人に出会っているように感じます」

 

 そうした新しく出会ったものの一つが「柏の葉サイエンスエデュケーションラボKSEL)」だ。

 

―科学で地域活性化!ー

 「柏の葉サイエンスエデュケーションラボ」は、2010年に東大の柏キャンパス院生が、

「科学を通して地元の人と交流し地域を活性化したい」と始めた活動だ。現在では、イベントに参加してくれた人たちの中から会の運営に携わってくれる人も現れ、学生と合わせて20人ほどで活動している。昨年から宮本さんはその学生メンバーの代表になった。

 

 「私は広大時代にも、所属専攻が主催していた『サイエンスカフェ』のスタッフを経験していました。同じような活動がないかと、上京後にパソコンで検索してたまたま見つけたのが『柏の葉サイエンスエデュケーションラボ』でした。東京での、こういった活動を行う団体やイベントの多さには驚きました」

 

 KSELの活動の一つが、「理科の修学旅行 」だ。小3〜小6ぐらいの子どもたちを、20人から多い時には40人ほど、10名ほどのスタッフで、一泊ないしは二泊で山や海に連れていく。

 

 「子どもたちの好奇心に合わせてスタッフは走り回ります。基本的には自由研究で、子どもたちは自分で課題を設定して自分で研究します。中には帰宅後も家で研究を継続する子どももいます」

 

 「今年の夏も修学旅行するよ!」と宣言したら、子どもたちの眼がいっせいにキラキラしてとても嬉しかった、と宮本さん。

夏の修学旅行、集合写真

 

 

KSELでは、更に手作りの科学館「Exedra(エクセドラ)」を開館した。エクセドラとは、古代ローマ時代、貴族の舘の中庭にあった皆で座れる円形の椅子のこと。「科学に気楽に触れて語れる場所をつくりたい」というスタッフの想いから名付けた。宮本さんは副館長を務める。

 

 大家さんのご厚意で6室のアパートを無料で提供いただき、それをメンバーたちがDIYで改装。クラウドファンディングで目標額だった約60万円を寄付で集め、トイレ、水道を使えるようにした。水道工事は技術を持つ社会人スタッフが協力してくれた。科学館は今も改修工事続行中。宮本さんは、ほぼ毎週末、柏に出かけている。ありがたいことにメディアの取材も増え、つい最近では韓国のテレビ番組でも紹介された。

 

 10年後は地元神戸でも科学のコミュニケーション団体を作りたい。科学への好奇心を大人にも子どもにも広め、そのことで地域活性化の一翼を担いたいと思い描いている。

 

Exedra 館内の様子

 

 「長田時代は、とにかく朝から晩まで部活の水泳に打ち込む毎日でした。あの3年間以上に必死になってがんばったことは未だないような気がします。ちょっとくじけそうになった時や怠け心が出た時、当時を思い出すと『まだまだ頑張れる』と思います。高校時代は、自分の好きなこと、大切だと思えることに一生懸命に取り組んでください。その一生懸命さや自分の興味関心が、今はまだはっきりみえない未来を形づくって行くと思います。そして、その中で出会えた人を大切にしてください。人は何よりの財産だと、私は思います」

 

宮本さんから現役長田生へのアドバイスだ。(2018年5月 取材・写真・文 田中直美)

 

編集後記

 宮本さんたちが利用したクラウドファンディングは、偶然にも「Face to Face」No45

http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=119 で紹介した富澤由佳さんが勤めるREADYFORでした。「Face to Face」の記事を読んで、先輩が務める会社だったと知ったそうです。

 また、No.70でご紹介した上杉さんhttp://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=174 とは同じ62回生の水泳部ですが、卒業以来、なかなか会う機会がなかったそうです。今回、この取材がきっかけで「久しぶりに連絡を取りランチしたいねと盛り上がりました 」と嬉しそうに話してくれた宮本さん。「縁」がどんどんつながり、若い世代のOBが新しい何かを造り出してくれそうで嬉しいインタビューとなりました。

 

 

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高61回 中野瞳さん 女子走り幅跳び 兵庫リレーカーニバルで大会新記録 (2018/04/22)

高61回 中野瞳さんが4月22日 兵庫リレーカーニバル 女子走り幅跳びにおいて、6m43の大会新記録で優勝しました。
これはご自身が高校時代に出した日本高校記録6m44に迫るものです。

また、この後5月5日に行われた水戸招待陸上では、6m30と2位に大きな差をつけての圧勝。

東京オリンピック出場の夢に向かって進化し続ける中野さんから目が離せません!

Face to Face No. 59 中野瞳さん「うまくいかないからこそ面白い」
http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=156

中野瞳さんブログ
https://ameblo.jp/hitomi-nakano/entry-12336358764.html

 

神戸新聞2018年4月23日付(転載許諾済)

水戸招待陸上(2018/05/05)

 

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