長田高校/神撫会東京の広場

兵庫県立第三神戸中学・長田高校OB・OG会
神撫会東京支部について
「Face To Face」:OB紹介(バックナンバー一覧)
神撫会東京支部へのご登録
神撫会東京支部 Topへもどる
リンク
創立100周年記念 東京支部企画
兵庫県が「出会い」をサポート
SEARCH
<< 「2014年度同窓会誌「神撫台」特集記事 東京支部座談会」 | main | Face To Face NO.30 「一期一会がおもしろい」  >>
Face To Face NO.29「愚直に走り続ける男」

35回生 千原昇
飛松中学卒
陸上部
 

神戸大学農学部卒
小野薬品工業に入社
福井安全性研究所にて10年間研究職
小野薬品工業 営業企画統括部






―トランスジャパンアルプスレース(TJAR)― 


2014年8月10日、午前零時。台風11号が日本を縦断し、日本中の空が荒れに荒れたその日、トランスジャパンアルプスレースはスタートした。日本海の富山湾をスタートし、北アルプス、中央アルプス、南アルプスを縦断して太平洋側の駿河湾まで415キロ。テントを担いで走り抜ける。制限時間は8日間。しかも全て「自己責任」という過酷なレースだ。厳しい予選を勝ち抜いて、レースに出場できる選手はわずか30名。ゼッケン番号は、年齢の若い順に割り振られる。千原さんは27番。49歳11ヶ月だった。
 

―内向的だった少年時代―

 千原さんの「走る」人生は中学時代にスタートした。「球技は苦手で、唯一得意だったのが走ることでした」。 引っ込み思案で、言いたいことも言えない小学生だった千原さん。だが、練習が厳しくて有名だった飛松中学校の陸上部に「これならやれるんじゃないか」と入部した。練習名物は「30分走」。とにかく30分間全力で走る。「全力かどうかなんて、本人にしか分からない。でも、僕はいつも本気の全力で30分間走り続けました。愚直なんです」
 

 陸上競技に関しては、「いつも真摯で一途になれた」と言う千原さん。そんな千原さんの姿を見て、友人たちが千原さんを見る目も明らかに変わったという。
 

 長田時代も当然陸上部。2年生の夏には三高戦(神戸高校・兵庫高校・長田高校)で、まさかの優勝。当時、圧倒的に神戸高校が強く、誰もが予想していない結果だった。「あんな汗臭い仲間と抱き合って喜ぶなんてね(笑)」。忘れられない青春の一コマだ。
 

 長田名物の周回走では、3年間、一度もトップの座を譲ったことがない。サッカー部やバスケ部には負けるわけにはいかなかった。陸上部のプライドだ。「あんなにがんばらなくても良かったのにね」と今は恥ずかしそうに笑う千原さんだ。
 

 就職してからはトライアスロンに挑戦。「やっと自転車を買える収入ができたんで」。トライアスロンは水泳3・8キロ、自転車180キロ、そして42,195キロのフルマラソンを制限時間17時間で戦う。1990年、千原さんは、トライアスロンのハワイ世界選手権にも代表選手として出場した。
 

 そんな千原さんでも、研究職から営業職に配置替えされた時は、仕事が忙しくて週末にランニングするのが精一杯、という日が4年ほど続いた。「お腹も出てきて、まあ、こんなもんかなあと半ばあきらめていました」。トライアスロンが趣味というドクターに仕事先で出会い、「朝練、一緒にやろうよ」と誘われて練習を再開。毎朝、6時半にプールに集合する日々。再び体も絞られた。
 

―山岳レースへのチャレンジ―

 マラソンやトライアスロンが中心だった千原さんが山岳レースにチャレンジしてみようと思ったのは3年前。アドベンチャーレーサーの田中正人さんの地図読み講習会に参加したのがきっかけだ。「こういう練習をつめば、あのTJARにも出場できるかも」。そう考え始めた千原さんは、六甲山に地図を持ち込んだり、オリエンテーリングに参加しながら地図読み練習をつむ一方で、山岳の専門家とも連絡をとり、山の技術も身につけた。

 フルマラソンで3時間20分以内、100kmマラソンで10時間30分以内の走力に加えて、2000m以上の高地でビバーク(簡易テントでの露営)の経験が4回以上なければ予選にさえ出られないTJAR。予選はタイムだけではなく地図読みの技術、緊急時の対応力、テントを張る技量なども加味され選抜される。
 

 ゼッケン27番をつけ、風雨の中をスタートした千原さん。獅子岳では、経験したことのないような強風が吹き荒れ、黒部五郎小屋への下りでは、次第に足の踏ん張りがきかなくなり、何度もこけて顔中傷だらけ、あざだらけ。3日目、ついにこのままでは危険と判断。リタイアを決断する。「自己完結、自己解決が基本のTJARでは、このリタイアはタイミングが少し遅かったかもしれません。山では無理は禁物と、もちろんよく気をつけていましたが、知らず知らずに自分を追い込んでいたのでしょう」
 

 リタイアを決め、下山のコースをとり、でも、とにかく次の山荘でカレーが食べたい!その一心で川のような濁流を歩き通して山小屋についた千原さんは、山荘のドアを開けるなり、「カレーください!」の第一声。顔中、傷だらけあざだらけで、ブルブル体の震えがとまらない千原さんが立っていたものだから、山小屋の人もびっくり。山小屋に駐在していたドクターに「低体温症」と診断され、「応援してくれていた人たちに心配をかけてしましました」
 

―家族、そして友人―

 そんな「愚直」な千原さんが、「最も影響を受けた人物」として名前をあげるのが、長田時代の友人、北野学さん。当時、互いに入れ込んでいたビートルズの大切なレコード。いざ返そうと中を確認したら、なんと二つに割れていた。「その時、あやまる僕に、彼は全く怒ることなく、一言、『これがこのレコードの運命やったんや。』ジーンときました」1989年、トライアスロンの自転車で再起不能かと思えるほどの怪我を負った時も、便せん10枚にも及ぶ手紙で励ましてくれた。「唯一無二の親友です」
 
 知り合ってすぐの彼女の誕生日に、花束を送って心をゲットした奥さんとの間には、一男一女の子どもに恵まれた。「普段はこうるさいオヤジと思っているようですが、走ることに関しては一目おいてくれているようですね」
 

 「律義で融通のきかない、愚直な男」。そう自己分析する千原さんは、もう一度、TJARにチャンレジンしてみたいと考えている。(2014年10月 取材・文・写真 田中直美 )


「Face to Face」今までの記事一覧へ
 http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=54

  ハワイでのアイアンマンレース(1990年)の様子。















2014年8月 トランスジャパンアルプスレースにて

左)出発前に 中央後ろが千原さん


 

| comments(5)|
千原昇 (2016/05/17 11:08 PM)
おぉ松木さん!ご無沙汰です。
松木さんも走られているんですね。私も嬉しいです。
私は相変わらずです。このGWは『川の道520kmフットレース』というのに出て、東京から新潟まで走ってぎました。
また会いましょう!
松木義徳(高34) (2016/05/17 12:54 PM)
千原君、元気してる?いまさらですが、今頃登場しているのに気が付きました。走り続ける人生だね。私もここ数年フルマラソンとマスターズ参加とまた走り出しました。とは言え、健康目的で生成期は全然ダメダメですが..。機会があれば、また会おう。
千原昇 (2014/11/13 7:48 PM)
小百合様、コメントありがとうございます。
よくも本戦まで進めたものだと、自分でも思います^_^;
2年後、リベンジの機会が得られるかどうか分かりませんが、やれるだけやってみます。ボチボチと。
田中直美 (2014/11/13 5:27 PM)
小百合さま。初コメントありがとうございました。コメントをいただくと、いつもとても嬉しい気持ちになります!反応をいただくと、また、がんばろうという気持ちに拍車がかかります。これからもよろしくお願いいたしますね♪
小百合(高26) (2014/11/13 5:21 PM)
 いつも楽しく拝見させて頂いていますが、私も初めてのコメントです。
 以前テレビでこのトランスジャパンアルプスレースのドキュメント番組を偶然見たことがあります。あまりに過酷でこんなレースに出る人がいるなんて人間じゃないと遠い事のように思っていました。
 そのレースになんと長田の卒業生が出てるなんて本当に驚きました。予選に通過するだけでもすごい!!日々のたゆまぬ鍛練に頭が下がります。どうぞこれからも頑張ってください(ぼちぼちと^_^;))

田中直美様
いつも楽しい興味深いインタビュー記事ありがとうございます。楽しみに読んでいます。
 









url: http://nagata-tokyo.jugem.jp/trackback/96