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Face To Face NO.28 「Always positive thinking way and Fair treatment」 

19回生 瀧澤栄子
鷹取中学卒
ESS

松陰女子大学卒
アトラスコプコ株式会社
シニアHRコンサルタント


 
 


  瀧澤さんは19回生。今年、65歳だ。65歳ともなると、長田同期の男性陣もほとんどが現役を引退している。ところが、大学4年生の夏に結婚し、一男一女の母となり、ながらく専業主婦をしていた瀧澤さんは、今も外資系企業で人事コンサルタントを務めるバリバリの現役キャリアウーマンだ。産業機械のスウェーデン企業で65歳の定年まで人事部長を務め、定年後の今もHR(Human Resources)コンサルタントとして、大阪と東京を往復する。

 女性が働くことがまだ珍しかった時代に、どうやってキャリアを積み上げていったのか、お話を伺った。
 

―スタートは赤ペン先生―

「何が、そして誰が、今自分を一番必要としているか?まずはそれを基準に、自分の出来る範囲のことを考えました」
 

 スタートはいわゆる「赤ペン先生」。自宅でできる仕事を選んだ。子どもたちが学齢期になると、「一緒に教えられる」自宅での英語塾を開講。夫の海外勤務に伴いアメリカへ。帰国後は「休みのパターンが子どもと同じになるように」と私立の中・高・専門学校一貫校で英語の専任教師を務めた。
 

 ずっと「英語を教える」仕事をしてきた瀧澤さんに転機が訪れたのは45歳の時。スイス系産業機械メーカーの社長秘書のポストを提示された。
 

 「教師の世界で天狗になってない?」夫の言葉にふとわが身を振り返ったという瀧澤さん。「企業で働いて、いろんな人と出会うのも面白いかも」と秘書の仕事を引き受けた。
 

―秘書から人事部課長にー

 2年の秘書業務を経ていきなり人事部課長に。日本企業であれば、「ありえない」できごとだろう。きっかけは、人事部部長の首切りだった。ある日突然、人事部の膨大な資料が入ったキャビネットが査察された。数度の「警告レター」が部長に向けて出された後も、業務内容が改善されていないとのことで解雇。最終的には、人事部の中の給与担当者だけが残った。
 

 外資系秘書は、人事部門も含めて会社全体のことをかなり把握している。いきなり人事部課長を命じられた瀧澤さん。人事の仕事などしたことのない瀧澤さんには、コンサルタントがつけられた。日々の業務をこなしながら、膨大なキャビネット内の資料を整理。「今まで何がいけなかったのか?何をどうすればいいのか?」
 

 5%ほどの社員に雇用保険がついていなかったことも発覚。社労士の手を借りながら、さかのぼって入れるように手配。下請け業者が起こした労災では、労働基準局から安全について厳しい指導が入り、改善できるまで一年間仙台に通った。労務コンサルタントや弁護士など、その道のエキスパートと仕事をしながら学んだ。
 

 2001年、スイス人社長が別のスイス系企業の社長に転職。同社の人事部長として招聘された。以後、人事畑を歩み続ける。
 

 「外資系企業では人事部を『Human Resources』と言います。つまり人的資源、人財部なのです」適材を適所に。いかにして最大の力を発揮してもらうか?「人を育てる」ということは、瀧澤さんが長らく関わって来た「教育」の世界と多くの共通点があるという。

 とはいえ、女性に対する偏見もまだまだあった。「男性であれば、たまにはどなり声を挙げても『喝を入れる』と評されるかもしれません。でも女性の場合は『感情的』と評価されました。いつも、どんな時も冷静であるよう自分自身をトレーニングしました」
 

 「人事の仕事は、短期で結果が出るものでもないし、プロジェクトのように、一つの仕事の達成感を味わうこともできません。常に諸問題が並列的、継続的です」
 

 だから、気分転換はとても大切と言う。「一歩会社を出たら、仕事のことはなるべく忘れるようにしています。友達や夫と美味しいものを食べたり飲んだり、カラオケをしたり。海外のみならず最近は国内旅行も楽しみの一つ。愛犬とダラダラすごす時間も幸せです」
 

―impossibleはありえないー

 瀧澤さんは6人兄弟の末っ子だ。明治生まれの父は「女性も自立が必要」といつも言っていた。優秀な仲間に囲まれて自信を失った高校時代。希望の大学への受験に失敗し挫折感も味わった。だが、大学では、努力しつづけトップクラスに。この経験が後の人生での自信につながったと思う。
 

 6人兄弟の次姉は今年81歳。69歳まで教授を務めその後、出身大学の学長を2期務めた姉は、今年、請われて広島の女子大の学長に就任した。65歳で現役の瀧澤さんに驚いていてはいけないのだ。
 

 「この世の中にimpossibleはありえない」がモットーだったスイス人社長。その厳しさが今の自分の仕事に対する姿勢として残っている。そう考える瀧澤さんだ。
(2014年9月 取材・写真・文・田中直美)

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