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Face To Face No.19「あたってくだけろ」(前篇)

中22回生 高榎 堯(たかぎたかし)

京都大学 工学部
電気工学科卒

毎日新聞社論説委員

日本記者クラブ会員
日本エッセイストクラブ会員


―父の記憶―
 母は人力車で女学校に通うような裕福な家に育った娘だった。実家は神戸で居留外国人向けの英字新聞を発行していたらしい。だが昭和4年の世界大恐慌で没落。そのころ父と出会い結婚した。父は外国航路の汽船の機関士をしていた。

 高榎さんは小学校の3、4年のころ、病弱でほとんど登校していない。家で本ばかり読んでいた。なかでも海野十三のSF小説に没頭。そこで「核」や「宇宙」に強く興味を抱くようになる。

 太平洋戦争勃発の翌昭和17年に三中に入学。父はその年の8月に台湾沖で消息を絶った。のちに戦死と認められ、勲章だけが残された。当時の外国航路の船乗りは、年に数日しか陸に上がらなかった。だから、高榎さんには父の記憶がほとんどない。

 高榎さんのご両親

 父の記憶はないが
 明治の男の顔をしていると思う
 大分出身だった父のルーツを
 訪ねてみたい
 グーグル地図をみながら
 秘かに策を練っている



―「少年T」−
 昭和5年生まれの高榎さんは、「少年H」の著者、神戸二中の妹尾河童さんと同年。三中時代は戦争一色だった。2年生の時には今の三木市あたりの飛行場造りに駆り出されてモッコで土運び。数ケ月間、木造の粗末なバラックに寝泊まりした。続いて和田岬の電機工場に動員。空襲が激化してからは、学校の教室が工場になり、高射砲の照準器などを組み立てた。

「僕は勉強が嫌いだった。教室でしぼられるよりも工場でハンマーを振るっているほうがおもしろかったよ」。

 この頃、高榎さんは学校で、だれかれなしに捕まえては、原子爆弾のことについて語っていたらしい。三中22回生の旧友の証言だ。広島、長崎に原爆が落とされる少し前のことである。SFを読んで知った生かじりの知識の受け売りだった。

「高榎は奇人変人だった」とは、これまた旧友の証言。

 生物の授業に「桜」の項目があった。「花びらもがくも5枚」と説明する先生に「なぜ5枚なんですか?」と質問してビンタをくらった。友人は「高榎は外国で勉強したら伸びただろうな」と評価したと言う。暗記ではなく「なぜ?」と問う思考回路だったのだ。

 父の戦死で高榎さんはいまの言葉でいう反戦に傾いていた。今も覚えている。北長狭小学校(いまの生田中学)に生徒全員が集められ、待ち受けていた海軍の将校に志願兵の願書への署名を強要された。ただ一人、がんとして署名しなかったのが高榎さんだ。将校にぼこぼこ殴られ、結局は家に帰してもらえた。

―神戸大空襲、終戦―
 今も神戸の北野にある、丸い大理石の大屋根が特徴のムスリムモスク。自宅はその近くの中山手通だった。3月の大空襲の翌日、焼野原を6キロも歩いて学校に行った。劫火の余燼がくすぶり、喉や目が痛かった。無残な遺体がころがっていた。

 「学校は鉄筋の校舎だけを残し、木造の建物は全焼していました。運動場一面にシカゴ製の焼夷弾の燃え殻が、雨後の筍のように突き刺さっていた光景が今も忘れられません」。

 6月の大空襲では自宅近くの防空壕に逃げ込んだ。背をもたせかけていた壁に大きな衝撃が走った。壁からわずか30センチほど離れた地面に焼夷弾が落ちたのだ。隣の壕は被弾して、不幸にも全員が死亡。生きるも死ぬも運一つだと実感した。

 終戦の放送は、焼け残った鉄筋の校舎の一階の校長室のラジオの前に集まって聞いた。雑音や言葉が難しくてよく聞き取れなかったが、やれやれ助かったという思いで一杯だった。

―図書館大学―
 4年、5年修了時に旧制姫路高校を受験したがいずれも失敗。結局三中には6年間世話になった。6年生?の教室はないので学校の図書館に通った。図書館は当時「図書館大学」などと呼ばれていた。今も長田高校に建つ、あの建物がそれである。

 姫高を経て京都大学電気工学科に進んだ高榎さん。その後何度か転機を迎え、毎日新聞(東京)の論説委員になる。人生は摩訶不思議だ。作文は三中時代から大の苦手だったのに。
  (後篇に続く)

http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=78

((取材・文・写真 田中直美 2014年1月5日)

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