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Face To Face No.14「1.5足のわらじ」
 
高22回生 高山孝夫
兵庫中学卒業
吹奏楽部(クラリネット) 数学部

横浜国大卒
昭和53年 公認会計士試験合格
―学生運動―
「人の人生は小さなきっかけで大きく変わる。運命って言うのでしょうかね。この年になると、そんなことを不思議だなあと感ずるようになりますね」

 「シンパ」「総括」「ベ平連」。今ではほとんど死語になってしまったが、70年安保闘争で東西の大学が荒れる中、昭和44年から45年にかけて、長田高校でも高校紛争の嵐が吹いた。最初のきっかけは、「革靴・長髪」の許可の要求だったそうだ。
 「当時はビートルズが超アイドルでね。皆、長髪にあこがれたわけですよ。そして運動靴ではなくて革靴を履きたいと。僕としては、通学路ですれ違う灘校生の長髪をかっこいいなあと思ったりしてましたね」。

 そして、それはやがて「政治活動の自由化」を求める流れとなる。5、6名の、政治的に早熟な22回生が中心だった。校庭ではしばしば「集会」が開かれ、「弁舌のすごいやつ」が二人、熱弁をふるった。職員室からは先生が飛んできて止めに入る。やがて「高校教育の長田での実態について総括せよ」と当時の石原校長先生や教頭先生に詰め寄る場面もしばしばに。「精神的な過労から、しばらくお休みになっていた時期もあったと思います」。高3の卒業式前は連日のように講堂で集会が開かれ、2年生も含め200人程度が参加していたそうだ。

 「そのような日々の中で、私には一つ忘れられないできごとがあります」

連鎖的に色々な問題提起がされる中、在日韓国人だった女性徒が二人カミングアウトし、それまでの日本名を捨てて実名を名乗るようになったのだ。
「そのうちの一人は、女子生徒の中でも三本の指に入る優秀な人でした。でも、彼女は大学の受験もやめてしまった。そういう人だから、きっと自分の選択を後悔はしていないと思うけれど、あの時、もし学生運動がなければ彼女の人生は違う道を歩いただろうと、今頃になってふと考えたりするのです」

―美人投票ー
 そんな高山さんの高校生活だが、前半は「高度成長期まっただ中」で活気にあふれ、六甲山系ハイキング・嬉野のキャンプに始まりきわめて楽しい時期が続いていたと言う。なかでも思い出に残るのが「美人投票」。

「もう時効だから言ってもいいですよね?(笑)4月の長雨の中、体育の授業がことごとく教室での自習に変わっていたある日、誰が言いだしっぺだったか忘れてしまいましたが、各クラスで、『各自、一番きれい・かわいいと思う女生徒を一票ずつ投票してクラス単位で集計、そしてその全情報を全男子生徒で共有しよう』ってことになったんですよ」
 「その後、じゃその10人の中で一番美人は誰だ、というのが当然次の関心事になるわけで、これは投票というわけにはいきませんでしたが、男だけのちょっとした時間などで、品評会があちこちでさみだれ式に開催されてね。その結果、1位、2位、3位とおおよその共通認識が出来ていきました」 今でも、男子だけが集まる同窓会では必ず話題にのぼるそうだ。なんと高山さんは、美人投票で一番に選ばれた各クラス代表の女生徒の名前を、10人全員フルネームですらすらと答えて下さった。「これは自分でもびっくりした(笑)」と高山さん。「22回生男子の、共通かつ最大のイベントだったかも知れませんね」

―マジックー
 中学時代、テレビでの引田天功のマジックショーに魅せられた高山さんは、ステージマジックを大練習。当時、長田では「三年生を送る送別会」があり、高一の時、『ハイ』と手を挙げてステージで披露した。「BGMをかけて、スポットライトを浴びて、かっこ良くという憧れで」。ステージは大成功。その後、高二時の文化祭、送別会・高三時の文化祭と毎回活躍。「卒業後、10年たって日本郵船で開催された神撫会東京支部総会に出席した時、世界史の森脇先生に『お久しぶり。マジックやってる?』と声をかけていただき嬉しかったですね。おかげで、今でも同窓会では話したことなかった同窓生からも声を掛けられます」
講堂でマジックを演ずる高山さん

―卒業後―
 浪人中に、書店でふと手にした旺文社の「職業案内誌」。そこで「公認会計士」なる職業があることを高山さんは知る。「18歳の若造の若気の至りですね。全くの勘違いだったのですが、その時私は『公認会計士』になれば企業の粉飾を看破して『企業の社会的責任』を追及出来る」なんて考えたんですね」。それも長田時代の、学生運動から受けた影響の延長線だったろう。26歳で公認会計士の国家試験に合格した高山さんは、最も先進的な外資系会計事務所(現、コンサルタント会社)の一つに就職し、大企業の会計部門のIT化コンサルタントとなる。

 「そりゃあもうめちゃくちゃハードで、残業含め月間300時間なんて当たり前。担当会社の近くに引っ越して通勤時間を削ってまで仕事しました」。そして3年後に転職。「第二新卒のはしり?ですね(笑)そのあと、10社ぐらい会社を変わりました。ただ技術を持っていたので、一つの会社をやめるやいなや複数の会社からオファーをいただくような恵まれた時代でもありました」

 「はしり」と言えば、高山さんは元祖「イクメン」のはしりでもあるそうだ。「僕は結婚が遅くて、結婚したときは36歳でした。妻は病棟看護師だったので夜勤も頻繁。長い独身時代のおかげで、家事全般なんでも出来たので、そのことは妻も感謝してくれています」。
 阪神大震災一年後の夏休みには、当時小学生だった一人娘を連れて、高速長田の駅から長田の校舎までの坂道を一緒に登った。「夏の暑いさなか、リュックを背負わせて歩きました。今でもその日のことは覚えてくれているようです」

 高山さんの座右の銘は、武者小路実篤さんの「この道より我を生かす道はなし、この道を行く」。公認会計士の資格をとりながら、ITの道を進んでしまった高山さんにとって、ITの道が一、会計士が05.合わせて1.5足のわらじという感じだそうだ。
 あと、10年はこの道で働きたい。そのためにも健康が第一とマラソン、筋トレ、エアロビクス、ストレッチと自己管理は完璧だ。東京マラソンも10キロ・フルと出場した。次は神戸マラソンで、懐かしい朝霧から須磨への海外線を走り抜けたい。インタビューの前にも汗を流してこられた高山さんでした。
(取材・文・写真 田中直美 2013年8月6日)


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 http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=54
| comments(3)|
高山 (2013/08/15 6:51 PM)
高森さん、コメントありがとうございます。長田高であのような盛り上がりをみせたのは、あの時代の趨勢を感じて行動に移すという自由解放的な土壌が伝統的にあったからでしょう。関係者個々人の資質も要素ではあるとは思いますが、よく言われる「時代の要請」みたいなものでたまたまその時が22回生だった、ということかと思います。殻を破っていくというか、皮がむけていくいくというか、表面的な制度などがどうなったかは別にして、長田生の中に変化をもたらしたのでしょう。その後具体的にどのように推移したかは卒業してしまったゆえ、分からないのですが、高森さんのように当時の下級生にも影響を及ぼしたということを教えていただき、今回この話題を出さして頂いて良かったです。
高森 茂 (2013/08/14 4:28 PM)
24回生(当時1年)の私も集会に行っていました。後半になって大将格の黒田さんが発言し始めたことや、高山さんが書かれているカミングアウトした女性徒の一人の方がマイクを持って「お父ちゃんは血だるまにされて朝鮮から強制的に運ばれてきた!」と発言されたことをありありと覚えています。その後、小生は東京の大学を卒業し、そのまま東京の出版社に就職し歳もとりましたが、あの時の純粋で勇気ある先輩たちの姿が今でも自身に大きな影響を及ぼしています。
時間は経過し、世間も変わりましたが、あの季節は間違いなく存在する意味があったと思っています。
高山 孝夫 (2013/08/11 8:43 AM)
最初にインタビュイーの追伸的コメントで申し訳ありません。
今回取り上げさせていただいた高校紛争(学園紛争)は表の学校史には出てこなく、忘れ去られてしまうものなので、何らかの形で表に出しておいてこういう高校があった、高校生がいたんだ、と残しておきたかったのです。大学紛争が主として難関有名大学で発生したように、高校紛争は、別の捉え方で進学校の証明、とも言われていました。表現が難しいですが、受験勉強一辺倒でもなく、それへの反発という側面もあったかもしれませんが、志の高い高校生もいたのかな、と。
Wikipedia の日本の学生運動
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%81%8B%E5%8B%95
 をご参照ください。
当時の東大合格者数トップの日比谷高校はじめ旧制中学を母体とする高校が主で、灘高、麻布高などでもありました。
なお、長田では、「全校闘争委員会(全闘委)」という組織でした。漢文・剣道の太田先生が「全闘委は、…」と先生らしく気を吐いて対峙していたのを覚えています。
 美人投票は、男の子が大人の男になる通過点ですね(笑)。その後の大学のミスコンを先行するものです。長雨という状況があったので、どの回生でも、ということはないでしょう。









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