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Face To Face No.5「自分の人生は自分でデザインしろ」

 8回生 中西元男

西代中学卒業
美術部・演劇部
PAOSグループ(東京・上海・WGD)代表
STRAMD(戦略経営デザイン人材育成講座)主宰
桑沢デザイン研究所客員教授
早稲田大学 社会連携研究所 招聘研究員
上海 復旦大学客座教授
ーThink Creativeー
 新春には75歳の中西さんだが、現在もデザイン思考と企業経営を結ぶ各種プロジェクトと人材育成に多忙な日々を送る。早稲田大学の学生サークルだった「デザイン研究会」の仲間と共にPAOSを立ち上げて45年。ベネッセ、NTT、伊藤忠・・100社を超える企業と、理念づくりから経営に深く係わり、著書も50冊を超える。それでもなお、「Think Creative(今考えていることはもう古い)」。こう自分に言い続ける毎日だ。

ー総領息子に生まれてー
 中西さんは、長田区池田上町で何十代も続く旧家の総領息子として生まれた。書棚にぎっしりとつまった志賀直哉や武者小路実篤らの文学書、「芸術新潮」に「婦人の友」。兵庫の旧家から嫁つぎ文学少女だった母の本に囲まれ、「創作物や美」を自然と目にして中西さんは育った。だが、長田卒業時には、地元の大学受験しか認めない父親に反発して入試をボイコット。家から、父から自由になりたかった。
桑沢デザイン研究所ー
 東京行きを唯一賛成してくれた中学の絵の先生のつてで、東京芸大の建築科の院生と知り合う。「建築もおもしろそう」と芸大を受験するも、一年目は、迎賓館を鼻歌を歌いながら見事に描く他の受験生を見て驚愕。二年目の受験では三次試験まで進んだにも関わらず、三次試験会場で手をあげて監督官に「帰りたい」。課題だった住宅設計の試験に、突如「僕がやりたいことはこんなことではない」と中途退室。監督官の「三次試験までたどりついているのに帰るのか」の言葉が今も記憶に残る。

 そんな中西さんに、桑沢デザイン研究所を奨めてくれたのも、その院生だった。ドイツのバウハウスはデザイン関係者なら誰もが知る革新的なデザイン学校だが、その影響を強く受けた桑沢洋子氏が創設したデザインの専門学校で、先進気鋭のわが国を代表する素晴らしい先生が揃っていた。

ー死にものぐるいー
 研究科の夏休みに、「デザイナーになって何ができるんだろう」と自問自答、その時、はたと気付いた。どのデザインを具現化するか、意思決定するのは経営者だと。
経営とデザインを勉強したい。そのためには大学に入って四年間という自由な時間を手に入れよう。転校した予備校の模擬試験では2000余人中、下から43番。「一日4時間以上寝ない」と決め、食事時間以外はバスの中だろうとどこであろうと、ずっと声に出して過去問を丸暗記。この時、すでに長田を卒業して三年半経過していたが、三か月ほどその生活を続けると、突如、過去に身に付けた知識と受験勉強が繋がりだして、最終模試では、遂に上から39番。「死にものぐるいでやった」結果として、今もその模試の成績結果は記念にとってあるそうだ。

ーPAOSー
 高校時代の友人たちが卒業する年に、早稲田に入学。「デザイン研究会」に入るも、部員30人と少なく資金も乏しい。3年生の時に、「金を集めるぞ!」と一大決心。当時、ガリ版刷りのチラシが普通だった時代に、カラーでチラシを印刷、ポスターも型紙をデザインし手分けして彩色、完成度の高いものに仕上げた。結果、一挙に300人近い大サークルに成長、4年生修了時には500人にふくれあがっていた。「デザインは人を動かす!」と気付いた実体験だった。この時の仲間たちと「だめだったら勤め人になればいい」と、デザインと経営の研究機関を立ち上げたのがPAOSだ。学部生修了直後に、日本を代表するデザイン評論家浜口隆一先生と共著での「デザインポリシー」は、わが国初めての経営とデザインの書、資生堂、サントリー、ソニー、ヤマハなどの企業を取材し今も評判の書籍に。以来、気づけばPAOSは45年、デザインを切り札とする経営コンサルティング会社として走り続けている。

ー神撫会東京支部の再興ー
 中西さんは、創立70周年の記念講演を機に要望され、現在の神撫会東京支部を再興、「卒業後25年の学年が支部総会を運営」という現体制を造り上げた人でもある。ライオンのような髪にマオカラーのスーツ。私たち28回生が初めてお目にかかったときは、「いったい何をしている人なのだろう?」と皆で噂しあったものだ。「日本のCIの創始者で、すごい人らしい」と我々が知ったのはしばらくしてからだ。幹事会では、中西さんに結構手厳しくやられた我が幹事長が、キレそうになり、「落ち着け!」と箸袋に書かれた先輩からのメッセージが回ってきたのも懐かしい思い出だ。
「同窓会の運営は、絶対にボランティアでなくてはいけない。金も時間もかかるが、出来る人が出来ることをやれば良い」と叩き込まれた。

ーポリシー通りに生きるー
 若かりし頃、強く反発した父は96歳で亡くなり、「したいようにすればいい」といつも中西さんを全面的に受け入れてくれた盲愛の母も、父の逝った三週間後に、94歳で亡くなった。いつも自分のチャレンジを見てくれていた人を失ってしまったのは寂しいが、中西さんは、ライフワークの集大成として、2010年4月にSTRAMD(戦略経営デザイン)という人材育成教育をスタートさせた。常に観察し、自問自答し、そこから得たものをいつでも活かせる知識にして自分の中にしまっておく。単に過去の経験の蓄積では社会を動かす力は創れないと中西さんは思う。「自分の人生は自分でデザインする」。中西さんは自分のポリシー通りの人生を今も歩み続けておられる。
(取材・文・写真 田中直美 2012年12月27日)
       PAOS  http://www.paos.net/
        
                  STRAMD http://stramd.asia/

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