長田高校/神撫会東京の広場

兵庫県立第三神戸中学・長田高校OB・OG会
神撫会東京支部について
「Face To Face」:OB紹介(バックナンバー一覧)
神撫会東京支部へのご登録
神撫会東京支部 Topへもどる
リンク
創立100周年記念 東京支部企画
兵庫県が「出会い」をサポート
SEARCH
<< Face To Face No.3「どの土地にもある日常。その中の魅力を見つけ出し伝えたい」  | main | Face To Face No.5「自分の人生は自分でデザインしろ」 >>
Face To Face No.4「気がつけば40数年を赤坂に生きて」
 21回生 武田修一
歌敷山中学卒業
硬式テニス部
赤坂にてBar「ナチュラ」を経営
 
 
 
―広尾のBarへー
 武田さんが長田高校を卒業した1969年は学生運動全盛時代だった。「僕自身は、軽い気持ちでデモに参加したことがある程度でした。ただ、入学した大阪外大も授業はなく、誘われるままに東京に遊びに行き、広尾のBarでアルバイトを始めたのです」。まだカラオケがなかったこの頃は、赤坂・六本木あたりのクラブでは、どこも生バンドが演奏し、ピアノやギターの弾き語りが「イカして」いた。そういう時代だった。

ーギターとの出会いー
 あるバンドに声をかけられ、まだ何も楽器が演奏できなかった武田さんは、打楽器のコンガで参加。オーディションに受かり、クラブで演奏を始める。やがて、メンバーの中の「本当の音楽好き」はアメリカに渡り、ピアノ奏者と武田さんだけが残った。「ギターの弾き語りをしてみたら?」と勧められ、コードを覚え、クラブでの弾き語りを始めたのが20歳の時。「僕は東京で生活していくから」と、母からの電話に答えたのもこの頃だ。

 40
歳まで、赤坂と六本木のクラブでギター一本で弾き語りを続けた。カラオケが流行り始めたが、幸いなことにいろいろな人の紹介で仕事が途切れることはなかった。カクテルと料理で有名だった六本木のお店には34歳から6年間お世話になった。お世話になった店主夫婦が店を閉じると知り、自分の店を出そうと決心する。バツイチ同士で再婚した8歳年下の妻は、50年続いた銀座の料亭の娘で、Barの経営は人好きな彼女の望みでもあった。

ーナチュラー
「自分の名刺なんて持ったこともなかった僕です。だれも僕の名前なんて知らない。それで、今までに知り合ったお客さんに、『ギターを弾いていた武田です。店を始めます』と一枚一枚手書きで書きくわえた葉書を送りました」こうして赤坂に自分の店「ナチュラ」をオープンした。

ー長田の先輩・同期ー
 奇しくもこの年、東京に住む21回生が、初めての同窓会を新宿で開いた。そして「ナチュラ」の開店を知っていた一人が、二次会で仲間を連れてきたのだ。以来21年間、毎年11月の最終土曜日に21回生の面々は「ナチュラ」に集まる。そんな友人たちは「武田はシャイな奴」と評する。

 「高校卒業以来、僕がずっとやってきたことはいわゆる『水商売』。こんなことしていていいのかなあと思った時期もある。でも、毎日のように初めての人と出会え、酒を飲みながら本音を交えて交流できる。僕は、『ほっとしている男』を見るのが好きなんだ。彼らの昼間の姿は知らない。オフタイムの姿だけを見ている。そして、がんばってほしいと思うんだ」

 開店当初、長田の16回生の先輩たちが、店をよく使ってくれた。鉄鋼や商社でばりばり働いていた彼らもすでに第一線を退いて久しい。「だって、僕自身がもう62歳ですからね。40年以上もよくこの世界で続けてきたなあと自分でも思います」

ー想いー
 リーマン・ショック以降、赤坂近辺の雰囲気も変わった。でも「ナチュラ」のように、男たちが酒を飲み、昼間の激務から離れてほっとする場所はすたれることはない・・いや、すたれてはいけない・・。そう思う武田さんだ。
(取材・文・写真 田中直美 2012年12月4日)
natura ナチュラ
所在地:東京都港区赤坂3-12-18 赤坂館4F
電  話 03(5570) 0025

「Face to Face」今までの記事一覧へ
 http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=54
| comments(1)|
島谷広昭 (2012/12/13 12:45 PM)
 編集の田中さん、同期の武田君を取り上げてくれて有難う。
 我が高21回生の東京支部は武田君のお陰でこの21年間毎年集まることが出来ました。
やはり、決まった集まる場所があることが大事ですね。
 武田君、つぶれもせずちゃんとお店を経営してくれて有難う!
 
 長田高校卒業の皆さん
東京に来た時は、「長田高校出身です」と言って赤坂の武田君のお店「ナチュラ」にお越し下さい。