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「Face To Face」NO.88「ニュースの中の物語を探して」

 29回生 田中規雄

 鷹取中学卒

 硬式テニス部

 横浜国立大学経済学部卒

 夕刊フジ

 産経新聞

 

 

産経新聞の論説委員になって14年。一面コラムの「産経抄」を月曜日から金曜日まで担当している田中さん。新聞記者としてのスタートは夕刊フジだった。新聞としては、かなり軟派ともいえる夕刊フジの記者から論説委員に。その道筋をお聞きしてきました。

 

―夕刊フジー

 新聞記者ってかっこいい。なんとなくそんな風に思い始めたのは、長田時代かもしれない。

 

入社試験に合格した夕刊フジに就職した。「他に受けていたのは、なんとアパレルのワコールやワールドでした。ファッションになんて全く興味がないのに、女性相手の仕事がしたいと思っていたんですから可笑しいでしょう?」といたずらっぽく笑う田中さん。

 

 モットーはケセラセラ。小心者なのにとんでもないことをしでかす。そう自己分析する田中さんだ。

 

 夕刊フジでは、人手不足もあったのか、入社当初から紙面1ページをまるまる任された。必死で書いて、書いて、書きまくって、それを上司が直しまくる。そんな風に実戦の中で鍛えられた。

 

 夕刊フジには10年ほどいたが、任せられた特集の一つが「体験コーナー」の記事だった。とにかくいろんなことを実体験してそれをリポートする。いろんな面白いことをさせてもらったが、その中の一つが「一日ホスト」。

 

 「こられたお客様は、僕が一日だけの体験ホストだなんて知りませんからね。他のホストと違って僕だけが安物のビジネススーツ。『あら、銀行員??』なんて言われました」

 

 ホストの一日体験中の若き日の田中さん

 なんだか楽しそう??!
 

 そして、もう一つ任せられたのが、とにかく誰でも会いたい人に会ってインタビューして記事を書くという仕事だった。

 

 「これも楽しい仕事でしたね。とにかく『新聞記者』という看板をしょっていれば、たいていの人が会ってくださる」

 

 とりわけ記憶に残る人は、大学の先輩でもあるノンフィクション作家の沢木耕太郎さんだそうだ。「とにかくかっこいいんです。話し方もかっこいい。顔もかっこいい。話す言葉と顔がマッチしすぎてかっこいい。赤坂の地下にある喫茶店でお話を伺ったのですが、インタビューの後、その階段を駆け上がっていく後姿がまたかっこいいんですよ」

 

 記事の最期を「階段を駆け上がっていく、その後姿。『くそ!かっこいい!』」と締めくくった田中さん。デスクはその部分を削ろうとしたが、田中さんは断固としてそこは譲らなかったとか。

 

 女優のジャンヌ・モローに、パリの彼女のアパートメントでインタビューしたこともある。手違いでフランス語の通訳がこなくなり、なんと彼女と二人!

「行きのエアーフランスで『ペリエ(水)』を頼んだら「ピロー(枕)」が出てきた僕ですからね」。つたない英語でのインタビュー。エッフェル塔が見える彼女の部屋には山のような本が積んであったそうだ。(今の若い世代の長田OBの方々はジャンヌ・モローをご存じないかもしれませんが、ぜひ検索してみてください。私や田中さん世代では知らない人はいない、妖艶なフランスの大女優です)

 

―葬送ー

 夕刊フジで10年間働いた後、産経新聞の社会部に異動になった。他の記者仲間は、もっと若い時期にサツ回りなどはこなしている。社会部記者として修業するには、ちょっと遅いスタートだった。サツ回りに行っても周りは若い記者ばかり。「オレ、大丈夫か?って思いました(笑)」

 

 そんな時に任されたのが「葬送」というコーナーだった。アメリカから戻ったばかりだった当時の社会部長がアイデアを出したコーナーだった。

 

 「米英では、死亡記事をとても大事にしている。弊社でも読みがいのある特集にしたい」

 

 社には喪服を常備。出社したら、まず当日の朝刊の死亡記事を読む。そして、「この人」と決めた方のお葬式に出向き、葬儀の場に映し出された亡き人の人柄を描きだす。お葬式の会場で長いインタビューはできない。ほんの23分お時間をいただくのが精いっぱいだ。

だから、質問は事前に練りに練った。

 

 毎日、毎日、葬儀に参列して記事を書くのが仕事。日本で初めての「葬儀記者」と呼ばれた。

 

「これは、今思えば、一日に一話書く、まさにコラムと同じ形でしたね」

 

―ロンドンへー

 2年間の葬儀記者を務めた後、アメリカのデューク大学への社費留学を経てロンドン支局に赴任した。

 

 「赴任して10日目に起きたのが、あの、ダイアナ妃の急逝という大事件でした」

 

 それは、言葉で伝えきれないほどの大きな渦だったと田中さんは振り返る。イギリス全体が熱に浮かされたような異常な状態になっていた。

 

 「『ケンジントン宮殿の前が、ダイアナを悼んで花の海になっている』という表現を見て

『嘘だろ!』と思いましたが、実際に行って驚きました。そこはまさに花の海でした」

 

「僕は自慢ではないですが、いわゆる『特ダネ』というものをスクープしたことは一度もない。でも、いろんなニュースを『読み物』として書く。それが得意でした」

 

 日本ではまだ全く知られていなかったハリーポッターの作者のJK ローリングは、生活保護を受けながらカフェで作品を書いた人。そんな『読み物的ニュース記事』を次々と書いていた。

 

 海外旅行は新婚旅行だけだった田中さんにとって、このアメリカ留学から続くロンドン支局時代は、見るもの聞くもの全てが面白かったと振り返る。

 

―怖い夢ー

 産経新聞の産経抄は大先輩の石井英夫さんが35年に渡って執筆されていた名物コラムだった。その石井さんが奥様の看病のために突然の引退。

 

 「後任者は大変ですよ。誰が書いても酷評されるのは目に見えていますから。なので、最初はチームが結成されて皆で順番に書いていました」

 

 やがてチームからは一人抜け、二人抜け、いつしか月曜日から金曜日までを田中さんが書く、今の体制になった。

 

「私はほとんどまとまった休みを取れず、どこにも行っていません。神戸にさえ、父の納骨の日に帰っただけ。病気にもなれないという気合からか、インフルエンザにもかかったことがありません」

 

 ときどき「書けない夢」を見るそうだ。

 

コーヒーを飲んでも、図書館に行っても、散歩してもだめ。ああ、どうしようと思った時に絶好のアイデアを思いつき、その瞬間に目覚めてほっとする。でも、そのアイデアを思い出せたことは一度もないそうだ(笑)

 

「新聞、読んでね!」田中さんから現役長田生へのアドバイスだ。(20198月 取材・写真・文 田中直美)

 

編集後記

 アメリカに留学した時、一人娘のお嬢さんは2歳だったそうです。いきなり現地の保育園に入園。日本語も英語もままならないお嬢さんは、迎えに行くと、涙も枯れはて、真っ白な画用紙を前に呆然と座っていたとか。最初に覚えた英語が「Don’t touch me!」絶対に幼稚園に行かない、と泣き叫んだお嬢さんも、一週間ですっかり慣れたそうです。そのお嬢さんも今は立派な救急救命医。その話をされた時の田中さんは、すっかり優しいお父さんの顔でした。

 

 

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