長田高校/神撫会東京の広場

兵庫県立第三神戸中学・長田高校OB・OG会
神撫会東京支部について
「Face To Face」:OB紹介(バックナンバー一覧)
神撫会東京支部へのご登録
神撫会東京支部 Topへもどる
リンク
創立100周年記念 東京支部企画
兵庫県が「出会い」をサポート
SEARCH
<< 「Face to Face」(OB御紹介)記事一覧 | main | 61回生中野瞳さん 走り幅跳びで水戸招待陸上優勝 & セイコーゴールデングランプリ陸上に招待 >>
Face To Face NO85「1%のひらめきと99%の努力」 

 49回生 春本雄二郎

 白川台中学卒

 日大芸術学部卒

 松竹京都撮影所

 映画監督

 

 

「映画監督」。誰もが知っている職業だけれど、いったいどうやったら成れるのか?実際にはどんなことするのか?ぼやっとしたイメージでしかない。実際に「映画監督」になった春本さんでさえ、監督になってみて初めて知ったこともあったと言う。

 本人曰く「根拠のない自信」に溢れていた青年時代。なんども反発し、反省し認められ、そして自信を失い、また考えることを繰り返してきた。

 初監督長編映画「かぞくへ」は、日本で最も大きな映画祭の一つである東京国際映画祭に公式出品され、フランス・ヴズ―ル国際アジア映画祭では、最優秀アジア映画賞を含む三冠を受賞した。次回作の準備も着々と進む春本雄二郎さんにお話を伺ってきました。

 

 ―サードからセカンドへー

  気に入った映画はビデオテープが擦り切れるほど何度も観る少年だったが、「人の人生に影響を与えられるような映画を作りたい」と考えたのは二十歳の時。自分が本当にやりたいことは何なのかと、初めて真剣に自分自身に向き合った時間だった。当時、唯一、映画を教える大学だった日大芸術学部映画学科に進んだ。

 

 就職したのは、松竹京都撮影所の演出部。「鬼平犯科帳」「必殺仕事人」などを助監督として経験した。助監督にはランクが三つある。チーフ、セカンド、サードだ。まず、サードでは小道具や美術を担当する。セカンドでは衣装やメイク、エキストラの手配&演出。そしてチーフになると現場全体のスケジュールを管理し、全てを「回す」。

 

 当然、サードからの出発。「監督になる!」と心に決めていた春本さんは、ずっと現場以外での勉強を続けていた。監督は認めてくれていたが、先輩助監督たちからは生意気な態度が反感を買っていた。次第にメインの仕事ではない小さな作品を担当されられることが多くなる。そんな中、一人の先輩助監督が「なんとかしてやろう」と、セカンドとしてのチャンスをくれた。

 

 「ずっとサードしかさせてもらえないのは嫌だろう?だが、それはお前の人格の問題だよ。今のままだと、監督になった時にだれも一緒に作ってくれないよ」

 

 当時、追い詰められて気持ちでいた春本さんは、今こそ挽回のチャンスと意気込む。だが、自分でもできると考えていたセカンドの仕事でいざ現場に立つと、何をしたらいいのか分からない。その優秀な先輩助監督が全て一人でこなしていく。居場所がない。あせった。まずは先輩の仕事ぶりを完全にコピーすることから始めた。一ケ月間は針のむしろ。だが、三ケ月で全方位に目を配り、四手五手先を読む術を身に着けた。

 自他ともに厳しい先輩が褒めてくれた時は嬉しかった。「油断するなよ」と一言付け加えることも先輩は忘れなかった。

 

―セカンドからチーフへ。そしてリセット期間ー

 東京のプロデューサーに声をかけられ、幸いにも出向という形で東京で仕事をさせてもらった時期がある。京都では時代劇が中心だったので、現代劇を扱う東京に出ることは願ったりのオファーだった。京都の撮影所のスタイルしか知らなかった春本さんにとっては新鮮な体験だった。東京ではフリーのスタッフが集まるのでまさに一期一会。徒弟制度が色濃く残る京都とは対照的だ。東京では慣れないスタッフ同士でも意思疎通できる柔軟さが必要だった。改めて大切なものはチームワークだと実感した。

 

 やがてチーフになった春本さん。

「とにかく大切なのは精神力、体力。絶対に途中で集中力を切らしてはいけないんです。撮影現場では何が起こるか分かりません。先の先まで読んで、穴のない状態にしたつもりでもイレギュラーが起こるのは当たり前。そんな時に、パニックになってはいけないし、怒りの感情も起こしてはならないのです」

 

 2009年、30歳の時に、春本さんは京都の撮影所を辞めフリーの助監督として東京に出た。あるプロデューサーが呼んだくれたのだ。だが、このフリーの助監督時代は大変だった。とにかく目の前の仕事の処理で精一杯。やがて「自分が今何のためにこの仕事をこなしているのか」が見えなくなってきたと感じた春本さん。自分は「人の人生に影響を与えるような映画を撮りたかったのではないのか?」と自らに問い直す。そして決めたのは全てリセットするために一年間休職するという選択だった。2012年の2月の話だ。

 

 最初の三ヶ月はとにかく何もしなかった。「廃人のような生活」と春本さんは言う。そして次に始めたのは、とにかくありとあらゆる仕事をして社会を覗いてみるということだった。ゴミ収集、ひたすらネット注文の商品を箱詰めする仕事、マンションの造園、ジムのフロント、スーパーの鮮魚売り場、などなどなど。こうした仕事のかたわら春本さんはシナリオを書き始めるが、なかなか満足のいくものは書けない。しかも、アルバイトでは生活費を稼ぐだけで物理的に時間を大量に消費せねばならず、シナリオを考える時間をとるのが非常に厳しい。

 

 助監督として二、三ヶ月、働いてお金をためては二、三ヶ月シナリオを書く生活スタイルで働こうと決め、映画作りの資金を貯めながらシナリオを更に練った。

(実はこの時に練っていたシナリオは次回作品。テーマが深すぎ、資金も足りないと感じ、いったん寝かした)

 

  35歳の時に、とにかく、自分の力を表現する名刺代わりになる映画を一本撮ろうと決意する。そしてそれは、その映画製作を無償で協力してくれるスタッフ、俳優陣にとっても名刺代わりになる作品だ。初監督で初めて知ったのが、編集の終わった作品の音調整に膨大な手間と時間がかかるということ。そして海外の国際映画祭に出品するための字幕制作に、予想以上の時間とお金がかかるということだった。

 

 とにかく作品は出来上がった。4つの国内映画祭に応募した。そして、日本で最も大きな映画祭の一つである東京国際映画祭から、最終選考に残っていると連絡が来たのだ。

 

 「これは、自分としては全くの予想外の快挙でした。そこから最終選考の結果が出るまで一週間、だれにも言わずに結果を待っていましたが、緊張のあまり吐き気に悩まされたほどでした」

 

 その後の結果は最初に書いた通りだ。

 

「僕はメジャーな映画を撮るつもりはありません。商業ベースに乗るためには、有名作家による原作、有名俳優が必須です。でも僕は、『人を丁寧に見つめ、いま描くべき社会的メッセージを内包した映画』を作りたい。そのためにも、資金を全て自分で用意しています。もちろん、資金集めは非常に大変です」

 

 夢を語るにあたっては「熱く」「大胆」。だが、行動は「冷静」かつ「繊細」。春本さんは、自分のことをこう自己分析した。第二作のキャスティングも既に始まっている。

 

「情報が簡単に入る今の時代こそ、見る、触れる、やってみるの経験を大事にしてほしい。そして、他人の物差しではなく、あなた自身の大きなオリジナルの物差しを作ってください」春本さんから、現役長田生へのアドバイスだ。(20196月 取材・写真・文 田中直美)

 

編集後記

 映画監督である春本さんも、こうしてインタビューを続けている私も、根本のところで「人」が好き。「人」に興味がある。という点で深く共通するものを感じました。もっと、お話を伺いたかったですが、時間切れとなり残念でした。

 第一作「かぞくへ」の劇場公開は終了してしまいましたが、今は鑑賞希望者3人以上で、無料でDVDを貸し出しています。

https://haru-gumi.amebaownd.com/pages/2196423/page_201808191645

次回作応援のためのクラウドファンディングも始まっています。一月500円の応援から可能。返礼は映画のチケットやお名前のクレジットなど。コーヒー一杯の値段で、あなたも同じ長田生として春本さんの夢を応援してみませんか?https://haru-gumi.amebaownd.com/ 

私も、次回作をいち早く拝見したいので、上映会参加の特典付きにさっそく申し込みました ^^) 

追記

なんと、この取材の後、第二作目「嘘に灯して」が、日本でもっとも権威のある「フィルメックス」の

新人監督賞ファイナリストの10作品に選ばれたとのニュースが入りました!

https://new-directors.jp/2019/

今、まさに最終審査の真っ最中です!

 

前の記事はこちらから

http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=196

 

■■■
「Face to Face」今までの記事一覧へ

http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=54

 

facebookでシェアして長田OBに広めていただけると嬉しいです。28回生 田中直美

 

 

 

 

 

| comments(0)|









url: http://nagata-tokyo.jugem.jp/trackback/199