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Face To Face No.81「やんちゃと生真面目」

 河合伸一

 三中25回生 高3回生

 京都大学法学部

 弁護士

 最高裁判所判事

 

 河合さんは、裁判官、弁護士、最高裁判所判事、そして再び弁護士、という人生を歩んできた。それは、河合さんの「真面目で細かいところまで気になる」性格と、「やんちゃ」な性格が表裏一体となりながら、それぞれの仕事に邁進させたと、妻でもあり弁護士でもある徹子さんは言う。今は閑静な住宅街で奥様と二人で暮らす河合先輩にお話を伺ってきました。

 

―歩んできた道ー

 「小学生時代は本当にやんちゃでしたね。先生にも怒られてばかり。それも教室の後ろとかじゃなくて、机の上に立たされちゃう。あれは恥ずかしかったなあ。級友たちはともかく、他の組の連中にも廊下から見えちゃうからね」と愉快そうに笑う河合さん。

 

 三中に入学前後は戦争だった。妹をオンブした河合さんは、機銃掃射で後ろから撃たれながら神戸電鉄のトンネルをめざした。走る河合さんの背中を、弾があたって跳ねる線路の敷石の音が追いかける。神戸の大空襲では、火の中をたった一人で裏山まで走った。どうしょうもない空腹とともに残る戦争の記憶だ。

 

 河合さんたち三中25回生は、最後の三中での入学生。卒業するときは高3回だった。

 

 「家が貧乏だったからね、地元の国立大学である神戸大学に行くつもりだった。京都大学なんて考えたこともなかった。でも、学年主任の先生が『京都大学を受けてみたら』と勧めてくれたんだよ」

 

 進学した京都大学法学部の友人が「司法試験」なるものを受けると言う。お前も一緒に頑張ろうやと誘われ、「司法試験っていったいなんや?」と雑誌で調べた河合さん。じゃあ、俺もやってみるかと、5人グループで勉強を始めたが、仲間は次々と脱落。「みんなに司法試験を受けると宣言していたからね。全員が辞めてしまったらカッコワルイと思って僕だけがんばったんですよ」。そして三回生で司法試験に合格。

 

 だが、その段階でも法律家の道に進むつもりはまだなかった。とにかく安定したサラリーマンの職に就いて稼ぎたい。超就職難の時代だった。

 

 「その頃、京大のゼミの先生で大隅健一郎という先生がいらした。一流の商法学者で、とにかくその先生の推薦がもらえると一流企業に就職できる。お願いに行ったら激怒された。『司法試験に通っているんだろう?推薦をもらってからどこの会社に行くか考えます、なんて言うやつに推薦はやれない!』。恥ずかしかったですね。そして司法修習生になりました」

 

 司法研修所で徹子さんと出会い結婚。裁判官となってすぐにハーバード大学へ留学。氷川丸で一ヶ月近くかけて渡った。一年間の留学生活の後、帰国。司法研修所付判事補となる。

 

 「この頃生まれた次女が、心臓が生まれつき悪くてね。大きな病院で治療を受けさせたかったが、裁判官には地方勤務がある。それで裁判官を辞めて弁護士になりました」

 

 河合さんの扱った案件ではイトマン事件が有名だが、阪神で活躍したランディ・バースとの契約に関わったのも河合さんだ。

 

 「バースの件でアメリカに行った時は、ファーストクラスの席だった。タイガースが用意してくれていたんだが、あの時は驚いたね。なんせ、その前にアメリカに行った時は氷川丸で一ヶ月の航海だからね。アメリカ人向けのシートは大きくて、僕が座ると体が埋もれてしまうぐらいだったよ。当時はキャビンアテンダントではなくスチュワーデスさんだけどね、これが女性なのに、みんな薄っすらと髭が生えていたのにびっくりしたね」

と昔を懐かしむ。

 

 経済通として知られた弁護士として活躍していたが、62歳の時に、最高裁判所判事に任命される。妻と4人の娘に「承けてもいいか」と尋ねたら、すぐに次女と末娘から葉書で返事が来た。

 

 心臓が悪かった次女は裁判官になっていた。来た葉書に書いてあったのはたった二言。「いやだ。困る」。劇作家になっていた末娘の葉書には「たとえお父さんが殺人を犯しても、父であることに変わりはありません。お好きな道を」。妻はあわてて長女と三女に電話して「当たり障りのない返事を書くように」とお願いしたと笑う。

 

―靴ー

「裁判官である時は、とにかく『公平中立』であることが第一。私生活であってもそのことは常に意識していました」

 

 ある日、靴を磨いていた妻が驚いて言ったという。

「裁判官の時は靴のかかともまっすぐにすり減っていたけど、弁護士になってからはかかとが傾いて減っているわ!」

 

「夫の本質は裁判官に合っていると思います。でも、子どもの時はかなりのやんちゃだったようで、それが弁護士時代には役に立ちました。たくさん喧嘩もしてたくさん仲直りした子ども時代。その経験が依頼者の役にたったと思います」

 

 2002年に最高裁判所判事を退官、東京弁護士会の弁護士となる。2004年旭日大綬章を叙勲。2017年に弁護士資格を返上。

 

 引退後の生活はいかがですか?とお尋ねすると、「楽だねえ」とニッコリ。毎日、妻の手料理を楽しむのが最高に幸せとのこと。

 

 「学生時代は、力一杯、好奇心を持ってできることはなんでもやってください。早くから進路を決めすぎないで。君たちはものすごい広い可能性を持っている。無限ですよ」

河合先輩から現役長田生へのアドバイスだ。(2019年1月 取材・写真・文 田中直美)

 

編集後記

 河合さんを推薦くださった中25回生のみなさんは、今も有楽町にある「東京六甲倶楽部」で二ヶ月に一回、集まられるそうです。最初はただ集まっていましたが、仲間の一人が「孫や健康の話に終わるのはやめよう。毎回、何かテーマをもって勉強しよう」と言い出し、言い出しっぺの福留さんが、毎回、資料も用意してミニ勉強会を開催されているとのこと。そして、お仲間の尽力で、河合さんの旭日大綬章も母校に寄贈され、他の運動部や文化部の優勝旗などと共に飾られているとのことです。

 大先輩のインタビューに最初はちょっと緊張しましたが、河合先輩のチャーミングな、そして時々いたずらっこのような笑顔と、今も明晰なそのお話しぶりに楽しくお話を伺うことができました。「妻の方がうんと記憶力がいいからね」と奥様にもご同席いただきました。ありがとうございました

 

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| comments(3)|
前田哲兵 (2019/01/22 10:22 AM)
田中様 はい、先日お会いさせていただいた前田哲兵です。匿名で失礼いたしました。とても興味深く拝読させていただきました。改めて諸先輩方の名に恥じない仕事をしたいと思った次第です。Face to Face、いつも楽しみにしています。
田中直美 (2019/01/22 8:14 AM)
TM様 おそらく、この間お会いした法曹関係の方ではと推察しています。コメントありがとうございました。専門家の方のご意見、嬉しく拝受しました。先日は、河合さんの同期の方の甥っ子さんからもメールをいただき、叔父様が疑獄事件で連座したとき、「同期を代表して」と河合さんが接見にこられ、本当に心強く嬉しかったと、生前言っておられたとのメールでした。仕事としても人としても河合さんの人格を彷彿とさせる反響をいただき、取材させていただいた後輩としても冥利につきます。
TM (2019/01/22 7:56 AM)
先日、最高裁平成10年6月12日判決における河合判事の補足・反対意見を拝読し、その内容に感銘を受けていたのですが、私の高校の大先輩であると知り、ものすごく光栄に思いました。









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