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Face To Face No.77「楽しいは強い」

 高54回生 鈴木美央

 伊川谷中学卒

 バスケ部マネージャー 

 早稲田大学理工学部建築学科卒 

 英国 Foreigin office Architects

  慶応大学大学院理工学研究科博士後期課程 博士(工学)

  

 

 

経験は種ー

 美央さんは、整形外科関連の疾患により小学生の頃から通院を行い、中学で1回、高校で2回手術を受け、その度に三ヶ月の入院を余儀なくされた。子どもの頃は、白くて古くて研究室のような病院が怖くて足がすくんだ。だが、高校生になると疑問を感じるようになった。「本来、人を癒すためにある病院なのに、辛い人をよけい辛くさせるような建物でいいの?」

 

 小学5年生で経験した阪神淡路大震災も、美央さんに大きな影響を与えた。住居のあった西区は比較的被害の小さな地域ではあったが、それでも新幹線の橋げたが落ちているのを目撃し、家が潰れて亡くなった人のいることを見聞きした。「本来、人を守るはずの建築物が人を傷つけていいの?」

 

 この二つの経験を「負の遺産」にしたくない。この経験を生かしていきたい。人の生活に建築は大きく関わっている。私は「建築」を使い、たくさんの人が笑顔になる空間を作っていきたい。

 

 こうして、美央さんは大学の建築学科に進学した。大学在学中に、完成したばかりの「横浜の大さん橋」を観に行った美央さんは衝撃を受ける。全てが穏やかな曲線で表現された大さん橋は、見事に横浜のランドマークと調和し、人々は幸せそうに散歩していた。

「大さん橋」を設計したのがイギリスの設計会社だということを知った美央さんは、そこでインターンシップとして働かせてもらおうとイギリスに渡る。

 

―チャレンジー

 「建築業界では、学生がアルバイト的に設計事務所で働くことは『オープンデスク』と呼ばれてごく普通のことでした。だから私もアルバイトでもいいから憧れの建築家の元で働くことができればと思っていたのです」

 

 ところが美央さんの人生はここで大きく変わる。応募してみるようにと勧められた高層ビルのコンペで勝ってしまったのだ。コンペ時のプロジェクトの主要メンバーはたったの三人。30代半ばのオーストリア人とスペイン人、そしてまだ23歳の美央さんの三人のチームだった。

 

 その事務所には、その事務所で働きたい人たちが世界中から集まっていた。そして、その集まった若い人たちに全面的に仕事を任せるのが、その事務所のやり方だった。

 

 その後、美央さんは大きな仕事を次々に任される。マレーシアで建築された50階建てツインタワーの建築意匠をたった一人ですべてやっていた時期もある。外壁のデザイン、ランドスケープのデザイン、内装のデザイン、全てである。発注主は、まさかの若い小娘がやってきて驚いていたが次第に信頼を勝ち得る。

 

 「若い時に、責任を持たされてチャレンジングな仕事をする。大変だけどめちゃくちゃ楽しい。ものすごく仕事しましたが全く苦ではありませんでした」

 

レイバンズボーン ユニバーシティ ロンドンの外壁意匠

美央さんのプロジェクトチームで担当した。 

 

 だが、5年ほどがむしゃらに働いた美央さんに、また新しい疑問が浮かんできた。

「建築技術の伴わない途上国で高層ビルを建てることは、危険な作業を伴っていました。2008年にはエコノミッククライシスが起こり、多くのプロジェクトが途中で放棄されました。大きな建築物を建てることで、新しい可能性を掘り起こす可能性はもちろんある。でも、それはどの時代にでもどの都市にでもあてはまることではない。そう感じ始めたのです」

 

 顧客の要望に応えるのではなく、もう一度もっとアカデミックな場所に身をおいてみたい。永住権まで得ていたイギリスを離れた理由は、実はもう一つあった。当時、付き合っていた現在の夫が、駐在が終わり帰国することになったのだ。帰国して結婚。慶應での勤務を始め、仕事として研究を行う中で研究の楽しさに目覚めた。そんな時、当時の勤務先の先生に勧められ「働いた経験で修士課程を修了したとみなす」コースがあることを教えられ、慶応で博士コースに進学した。

 

―マーケットー

 博士コースで美央さんが選んだテーマは公共空間の研究だった。ロンドンの街で馴染みの風景だった「マーケット」。「マーケット」には二つの定義がある。一つは可変性。規模も形態もフレシキブルで、その時々の街の人口、必要な物、また目的によってその姿は容易に適応することができる。そしてもう一つが継続性。普通の道が一週間に一度マーケットになる。あるいは月に一度、場合によっては年に数度。しかしそこに「継続性」があることが必須条件である。

 

 「大きな建築物は作ってしまったら変化できない。でも、マーケットは至極簡単に姿を変えながら存在することができます。欧州ではマーケットは生活の中に根ざし、生まれた時からそこにあり、マーケットなしの生活は考えられないという文化があります。かつては日本にも露店の文化があった。でも、戦後、道路が警察の管理下に置かれるようになり日本独自の露天の文化は消滅してしまいました。私が建築を目指した原点は『建築で人幸せにする』です。マーケットは日本ではおしゃれなイベントとして認識されていますが、実は世界では都市のインフラとして機能しています。このマーケットというツールを日本でも使いこなしていき、いずれはそのツールを、開発著しい中国の街にも輸出していく。そんな夢を抱いています」

 

 今年6月に「マーケットでまちを変えるー人が集まる公共空間のつくり方―」が学芸出版社から出版された。重版も決まり、共同通信社により書評が配信され各地方紙に掲載されている。

 

「好きなことを楽しく頑張ってください。誰かが手助けしてくれ道は開けます」美央さんから現役長田生へのアドバイスだ。(20189月 取材・写真・文 田中直美)

 

編集後記

 実は美央さんが大学院博士コースに進学したとき、長女は生後6ヶ月。論文研究のために10日間の研究旅行で渡英したときは生後10カ月だった。「夫は、私のことを褒めたり鼓舞したりはしませんが、私がやりたいことを自由にやらせてくれ、そしてとても淡々とサポートして私が留守中の子育てもこなしてくれます。本当に感謝しています」。右手に5歳の長女、左手に3歳の次女を抱いて眠るとき、最高に幸せを感じると言う美央さん。どうぞ、だれにも優しい公共空間をプロヂュースして、私たちに幸せな時間をプレゼントしてくださいね!

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| comments(1)|
藤野 卓而 (2018/10/21 6:09 PM)
次の投稿が楽しみです。

スペースワールドなご活躍を期待します。









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