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Face To Face No.74「エッセイストから小説家へ」

 高30回生 谷川直子

 飛松中学

 生物部

 筑波大学第二群比較文化学類卒業

 

 

 

 現在、五島列島在住の谷川直子さんは、小説家・文芸評論家として著名な高橋源一郎の元妻として、また、彼との離婚を挟んで罹患したうつ病を克服した後、第49回文藝賞を受賞、作家デビューした女性として知られています。その谷川さんの半生を五島列島福江市でお聞きしてきました。

 

―エッセイストー 

 大学生時代、谷川さんは詩人になりたかった。だが詩人で食べていくことは至難の業だ。卒業後、父の勧めで神戸の会社に就職したにもかかわらず、わずか八カ月で勝手にそこを辞め、土曜美術社「詩と思想」編集部に転職した。両親は激怒。ボストンバック一つで家出同然に上京した。少しでも詩に近い所で働きたいという一念だった。

 

 高橋源一郎と出会ったのは谷川さんが25歳の時。彼の小説をよく読みファンだった谷川さんのことを知る編集部の人が、会う場を作ってくれた。

 

 「初対面とは思えませんでした。文学の趣味が似ており話がはずみました」

 

 ほどなく結婚。だが、当時の高橋はまだ収入的には駆け出し。原稿料が振り込まれているかと、どきどきしながら銀行の記帳に通うような日々だった。

 

 この頃、競馬と出会ったのが人生の最初の転機になったと谷川さんは言う。

 

「あまりにも生活が苦しく『競馬でお金をふやせるかも』という高橋の意見で、生まれて初めて競馬場に足を運びました。私はそこで美しい馬の虜になったのです。競馬の面白さに目覚め、奥の深い競馬を徹底的に学びました。ちょうと武豊氏が活躍している時代で中央競馬会も女性客に目を向け始めていました。JRAPR誌などでエッセイを、サンケイスポーツで予想コラムを執筆するようになり、初めて文章でお金を貰うようになったのです」エッセイスト谷川直子の誕生だった。

 

―うつ病の克服―

だが、高橋源一郎との結婚生活は14年間でピリオドを打つ。離婚する3年ほど前から「寝られない。食べられない。ひきこもる」生活が続いていた。初めて診察を受け入院・治療が始まったのが発症後三年。

 

「病名がついて薬を貰えたことを、とても嬉しく感じたことを覚えています」と谷川さん。

 

 多才でいろんな新しい世界に自分を導いてくれた高橋を、谷川さんは尊敬していた。だが、結果として他の女性を選んだ高橋との離婚と、その前後の日々は想像以上のダメージを谷川さんに与えていたのだ。

 

立ち直るきっかけとなった日のことは、鮮明に記憶に残っていると言う。

 

「すばらしいカウンセラーと出会えていたことが幸いしたと思います。回数を重ねるカウンセリングの中で『自分は自意識過剰である』と気づいたのです。『人に良くみられてたい。人よりすぐれていなければいけない。捨てられた奥さんというレッテルを貼られたくない』」そんな自分の心の奥に気付きました」カウンセリングが始まって2年の時が経っていた。

 

もちろん、うつ病は気付き一つで回復するような単純な病ではない。だが、この日を契機として徐々に回復し、その後3年で全快することができた。

 

―五島列島へー

 この頃、五島列島生まれで五島列島の役所で働いていた大学時代の同級生と再会。彼との再婚を機に、谷川さんも五島列島に移り住む。

 

 「私はエッセイストではなく作家になりたいと考え始めていました。お世話になっていた編集者に相談すると『まずは何か賞をとってください』と。移住当初は、一年ぐらいで賞をとってみせると意気込んでいましたが、結果としては賞を戴くまでに7年の年月がかかりました」

 

 2012年、「おしかくさま」で文藝賞を受賞。小説家谷川直子の誕生が人生の第二のターニングポイントとなった。

 

 谷川さんの小説には「おしかくさま」「断貧サロン」のような、新興宗教をとりあつかったコミカルな作品と「四月は少し冷たくて」「世界一ありふれた答え」のようにうつ病患者の患者視点からみた、繊細で美しい文章で綴られた作品がある。

 

 「私が自身のうつについて語ると、『自分の家族もうつです』と相談の反響がすごかった。うつを克服することができた私だからこそ発信できる何かはないか?そう考えました」

 

 また、うつを契機に「宗教」を見る目も変わったのだと言う。

 「うつが克服できるなら神でもなんでも信じたいと思った時期もあったのですが、ある時、救ってくれるのは神ではなく自分自身、と気づいた時から何かが大きく変わりました」

 

 五島列島に移住し、ひきこもって小説を書いては応募・落選を繰りかえしていた七年間。まるでプライベートビーチのように誰もいな海岸に一人、引いてはうちかえす波に癒されたこともあった。

 

 移住生活十二年になる今は、映画館もない島の生活に、アートや文化の飢えを感じることもあるという谷川さん。書きたいテーマはまだたくさんある。だが、島の生活では都会のリアルは手に入らない。流行りの食べ物も洋服もネットの中でだけの出会いはもどかしい。あと二年で夫の定年を迎えるが、どこで暮らすのがベストか思案中だそうだ。

 

 「高校時代に、自分の肉体の限界に挑戦することが、後々の人生をいかに生きるかにつながってきます。限界までがんばってください」谷川さんから現役長田生へのアドバイスだ。(201712月 取材・写真・文 高28田中直美)

 

編集後記

 「五島列島に住む谷川直子さんにお話を伺ってみたい」。それも理由の一つとなって、今回、私の長田時代の友人三人で五島列島への旅が実現しました。旅人の眼に映る美しい大自然とおっとりとした島人は、生活者である谷川さんにとっては、また違う側面を持つことも知った旅でした。「移住当初、ばりばりの島言葉はイタリア語にしか聞こえなかった」そうです(笑)

 インタビュー前夜に脱稿したという「私が誰かわかりますか」が8月に朝日新聞社から発刊されます。長崎の架空の都市を舞台に、介護する長男のお嫁さんたちが登場する物語だそうです。最新刊は「ゆうべ不思議な夢をみた」文蔵ブックス、ぜひご一読を!

 

 

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| comments(2)|
田中直美 (2018/06/21 8:07 PM)
長谷川さま。コメントありがとうございました。取材を兼ねてこのように旅をし、素敵な後輩から直にお話を伺える。こんな嬉しいことはないです!このような機会を持つことができたことに感謝しています。これからも「Face to Face」をよろしくお願いいたします。
長谷川隆士 (2018/06/21 7:17 PM)
沢山の賞を取られるようお祈りしています。
取材で現場まで行かれた皆様にも感謝です。









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