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「Face To Face」NO.68長田スピリットで「志高く」生きる

 高54回生 竹内健太

 舞子中学卒

 野球部

 早稲田大学政経学部卒

 ペンシルバニア大学ウオートン経営大学院卒

 モルガン・スタンレー証券会社

 ビズリーチ

―学生時代の起業―

 今でもよく覚えている。高校3年生の時新長田のローソンで立ち読みした経済雑誌。「日本の大都市の中で神戸の財政状態が一番悪い」との記事。ショックだった。「経済に強い政治家になって、愛する神戸の財政を再建するんや!」今につながる志を立てた人生の転機だったと竹内さんは言う。

 

 政治と経済の両方が学べると考え進学した早稲田の政経学部だったが、学問としての経済学だけではなく実務に触れたいと大学3年生時に起業する。「企業や病院の空きスペースに保育所を作る」という福祉系のコンサルティング会社だ。全国で保育所を100ヶ所あまり経営している会社の社長と、不動産会社の社長が、合わせて3千万円を出資してくれた。

 

 「企業や病院には、従業員への福利厚生としての保育所のニーズがあり、敷地もある。けれど保育所運営のノウハウはない。出資してくださった会社には保育所運営のノウハウがある。それを結びつけました」

 事業として成立し、その会社は今も存続しているが、竹内さんは「将来の夢のために、経済の最先端で働いてみたい、もっとグローバルな仕事も経験してみたい」との思いから、同社を共同経営者に譲り、自身は外資証券会社のモルガン・スタンレーに新卒入社した。

 

―外資金融機関で働く―

 就職して2ヶ月目に、父が病により亡くなった。49歳の若さだった。23歳で喪主を務めた竹内さん。母、大学生の弟、高校生の妹、中学生の弟。この家族の生活を守る責任が、長男である竹内さんの肩にかかった。

 

 「不幸中の幸いとして、一般的に給料が高いとされる外資系金融機関に勤めましたので、とにかく必死で働いて、家族の生活費と学費を稼ぎました長田の後輩で、当時は大学生だった弟が、難関を突破して同じ業界の内定を取ってくれた時は、家計の担い手が増えると思い、非常に安心しました」。

 

 外資での仕事は「非常にハードで、まるで軍隊のようでした」と笑う。毎日夜中の三時過ぎまで仕事した。上司も平気で一時過ぎまで仕事する。日経新聞の一面を飾るような大きな案件を何件も担当させてもらった。「非常にやりがいを感じていましたが、今振り返っても、我ながらよく頑張ったなあと思います」。モルガンで5働いた竹内さんは、米国政府の奨学金試験に合格したのを機に退職。トランプ大統領も学んだペンシルバニア大学ウォートン・スクール2間の予定で進学した。

 

―米中への留学と初めての転職―

 米国で学んで一年。夏休みで一時帰国していた竹内さんに「株式会社ミクシィ再建を手伝って欲しい」との依頼が同社の社長となっていた友人から舞い込む。ミクシィ往時こそ破竹の勢いを誇っていたもののFacebookが日本を席巻してからは、業績が落ち込んでいた。

 

 本業のSNSでの挽回ではなく、新規事業であるスマホゲームでの成長牽引にミクシィは舵を切る。これが大当たりして株価は20倍に。経営企画室長として、一連の事業転換に関与した竹内さんは役目を果たし、1休学していた大学院に復学する。米国で学びながら中国語も勉強していた竹内さんは、最後の半年間は交換留学生として北京大学光華管理学院学び合計2年間の経営学修士課程を終えてウォートン校を卒業した。

 米国留学中のクラスメートとの年末パーティーでの一コマ
 

―忘れ難き卒業旅行―

 記念の卒業旅行の行き先として選んだのは、なんと北朝鮮だった。北朝鮮の国境までは中国の旅行社の人が付き添い、国境を超えると、竹内さん一人に日本語ガイド二人と運転手の計三人の北朝鮮の人が付き添った。

 

 三人は、ガイドしてくれている間中、日本、米国、韓国の悪口を言っていたものの誠実に仕事はこなしてくれた。純朴な人柄で、聡明でもある彼らに対して、竹内さんは意外な好感を抱いた。

 

 「僕は20歳の時、神戸市での成人式の集いで、横田めぐみさんのご両親のを聴きました。拉致問題に対しては強い怒りを感じる、現地で出会った北朝鮮人は親切にしてくれた。『拉致問題の解決なくして、日本北朝鮮国交を回復することは絶対にない。大っぴらに語れないかも知れないが、問題が解決するよう、心の中だけ良いから皆さんも祈ってください』と、どうしても伝えたかった」

 

そのチャンスを作るために、三泊四日の旅の終わりに、竹内さんはチップを少しはずみ、手渡しながら気持ちを直接伝えたと言う。

 

北朝鮮旅行中のガイドさん達との写真

―事業で社会問題を解決する―

 帰国後は、急成長ベンチャー企業であるビズリーチに、創業者から誘いを受けて入社。社長室長、管理本部長を経て、現在は事業承継M&Aプラットフォーム事業である「ビズリーチサクシード」推進している。

 

 「中小企業の後継者問題は日本の未来を左右する大問題です。多くの従業員を抱えつつ、黒字も確保している優良企業が、後継者問題で廃業に追い込まれる。これは日本の宝の損失と言えます。『価値ある事業を未来につなげる』。これが、僕達の事業のミッションです。個人的にも、これまで学んできたことを全てぶつけるつもりで取り組んでいます。」

 

―吹き込まれた「無限の可能性」―

 長田時代の野球部の監督、大津先生は、竹内さんの人生に大きな影響を与えた人だと言う。

「お前たちは無限の可能性を持っている。甲子園に行って、東大に行って総理大臣にだってなれる!」

 

 「だいたい似たようなレパートリーで、本当に毎日毎日吹き込まれました。ほとんど洗脳です(笑)。同じ流れをくむ野球部の後輩が、昨年春の甲子園に出場してくれた時は本当に感動しました。もちろん、有給を取って応援しにいきました。」

 長田野球部初の甲子園出場を、同期と応援しに行った際の記念写真
 

 会社ではジム部に所属し、若い同僚達とともに筋トレで自分自身を追い込んだ後に、仲間と一緒にサウナで語らう時に幸せを感じると言う。高校時代の野球部のノリを思い出すからかも知れない。

 

 「高校の友だちは、一生の友だちになります。未熟ゆえのぶつかり合いもあるかもしれませんが、隠し立てなく何でも話せる仲間をしっかりと見つけてください」。ビズリーチで辣腕を振るう人事部長は、竹内さんが他社から招聘した長田の同級生だそうだ。

 

 10年後には神戸出身者を代表する経営者の一人となっていたい。そして、最終的には公職に就いて、神戸の発展に尽くしたい。所詮すべては人間がすること、必ず実現できると信じている。201712月 取材・写真・文 高28田中直美)

 

編集後記

 まだ33歳でこれだけの経験を積み、常に前進している竹内さんにとても驚きました。ドメスティックな保育所事業からスタートし、グローバルな世界に飛び出て、今また、日本の将来を見据えて事業展開をする。公私ともに「なんにでもなれる!」未来を進んでください。応援しています。

 

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