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「Face To Face」NO.63「全ては自分次第」

 高42回生 永井伸哉

 飛松中学卒

 野球部

 筑波大学卒

 ミズノ株式会社

 長田高校地理歴史教諭

 長田高校野球部監督

 

 昨年、長田高校野球部が春の選抜で甲子園出場を果たしました。永井さんは、その野球部の監督です。

 

 「甲子園が終わった直後は、僕の姿を見て『あっ』と声を上げる人もいましたが、今はだれも気づきませんよ。気づくのは長田高校の同窓生くらいです」と日に焼けた顔で笑う永井さん。そんな永井さんにお話を伺ってきました。

 

―人生の転換点ー

 長田高校に在学している時から、「絶対に高校教師になる」と心に決め、「教育学」を専攻して筑波大学に進学した永井さん。だが、卒業時期が近づくと「ビジネスの世界の方が大きく成長できるのでは」と考え始め、就職活動をしてみたら第一志望だったミズノにあっさりと合格。ミズノに就職した。

 

 赴任先の盛岡の営業所では、人が少なかったこともあり次々とやりがいのある仕事を任せてもらえた。担当製品が野球であったため、高校野球の現場をみる機会が多い。そんな仕事の日々の中で「野球の指導者になりたかった自分」が心の隅にふっとよみがえるようになっていた。

 

 入社3年目。世の中はバブル崩壊後の不況下、社内でも一大改革が始まり、永井さんも野球製品からゴルフ製品に担当替えの命令が下る。

 

その時だ。「会社を辞めて高校教師になります!」と永井さんは突発的に上司に宣言してしまった。心の中にあったもやもやが弾けた一瞬だった。

 

―難関を突破・嬉しい支えー

 「でも、バブルがはじけたその頃は、高校教師への道は超難関で、倍率は80倍から100倍でした」

 

 高校時代の恩師に相談すると「不可能に近いぞ」と言われた。

 

 25歳で会社を辞めて実家に戻った永井さんに、恩師が電話をくれた。妙法寺川公園で待ち合わせをすると、自転車で現れた先生(高15回の故 山本幸信先生)は、かごいっぱいに参考書を積んでいた。「まずはこの本を読め。この問題をやれ」とアドバイスくれた先生。嬉しかった。

 

 一年目の試験には失敗。一年間の講師期間に更に勉強を積む永井さん。一次試験に受かり、二次の面接試験を控えた時期に、既に高校教師をしていた42回生の同級生にアドバイスを求めて電話をした。

 

「彼とは学生時代にはなんの面識もなかったんです。でも二次の面接について、どういう勉強をしたらいいか、どんな質問に対してどんな答えを用意しておいたほうがいいか、40分以上もアドバイスをくれました」。嬉しかった。(ちなみに、その同級生は現在、長田高校の教諭として永井さんとともに母校で勤務している)

 

 そして永井さんは80倍の難関を乗り越えて、晴れて高校教師になった。高校教師8年目に母校長田に戻る。念願だった野球部の監督に就任したのは長田に戻って三年目。36歳の時だった。

 

―イメージを抱くー

私たちOBは「長田が高校野球に出るなんて奇跡!」と思った人が多かったのではないだろうか?でも永井さんは監督就任時から甲子園に出ることを鮮明にイメージしてきたと言う。

 

「県立高校なんだから、ベスト16に入れば上々だろうとよく周りからは言われていました。でも僕の中ではベスト8でもベスト4でもなく、甲子園を目指していました」

 

「甲子園で、長田のユニフォームを着て采配する自分の姿」をイメージし続けてきた永井さん。昨年は、そのイメージを更に具体的に膨らませていたと言う。「試合前に甲子園でミーティングをし、『さあ、行こう!』と選手に声をかける自分」だ。

 

そして、それは実現した。

 

今、イメージしているのは「甲子園で勝利をおさめ、校歌を歌う姿」だと言う。更なる高みをイメージする。

 

―長田野球ー

 昨年の甲子園出場でいろいろなマスコミから取材を受けた長田野球部。その中で「手帳にメモをとる」ことが再三クローズアップされた。

 

 「あれは、実は私のミズノ時代の経験が生きているんです」

 

素直な長田生はアドバイスを「はいはい」と良く耳を傾けて話を聴く。ところが3日後ぐらいに「俺が三日前になんと言ったか言ってみろ」と質問すると答えられないことが多いことに気づいた。

 

「会社員時代にメモをとることを指導されたことを思い出したんですね。『おまえらは賢いけど、それでも忘れる。忘れるんだったらメモをとれ』と言ったんです」今ではそれが長田野球部の伝統になりつつある。

 

 「僕は『野球命、野球が三度の飯より好き』というタイプではありません。どちらかというと、チーム・マネージメント、長田チームの独自性を考え、成果に結びつけることが好き。そして、そのことが、自分自身の学びにもなっているんですね」

 

 そんな永井さんのもとで生まれた野球部のコンセプトが「文武不岐」。そしてモットーが「野球を学び、野球で学ぶ」だ。

 

―壁ー

 超難関だった高校教師採用試験でも諦めなかったのは「高校教師になって野球の監督をする」と自分で考え自分で決めたからだ。

 

「自分の前にそびえる壁を見てひるんでしまう生徒も多いです。でも僕はそんな生徒たちに伝えたい。壁の方だけを見ないで後ろを振り返ってみろ。そこに広い世界があるんだよと」。

 

 高3の秋、クラスでした3分間スピーチで、「将来、指導者として野球部に戻ってきて甲子園にいきます!」と永井さんは宣言した。そして、そのことを級友たちは覚えてくれていた。感動した。

 

 「想像以上に甲子園は特別な場所でした。普通の野球場ではベンチの後ろは壁、上は天井。でも甲子園ではベンチの真後ろに観客席がある。一つ一つのアウトに押し寄せてくる観客席からのどよめき。その一体感は今まで味わったことのない感動でした」

 

 今年の夏の甲子園予選は残念ながら三回戦で敗退となった。だが、永井さんは甲子園で校歌を歌う姿を、ありありとイメージし続ける。挑戦は、まだまだ終わらない。(20177月 取材・文・写真 田中直美)

 

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編集後記

 

 インタビューは長田高校敷地内の神撫会館で行いました。私にとっても懐かしい、唯一古いまま保存されている昔の図書館です。ところが校内の様子はすっかり変わり、どこになにがあるのやら。ウロウロしている時にあったのが練習が終わったばかりの野球部の生徒!「神撫会館はどこですか?」と尋ねると、二人少し顔を見合わせて「分かりにくいのでご案内します」と先導して歩いてくれました。優しくて礼儀正しい後輩にお会いできたのも、嬉しいおまけ付きの取材でした。

 

 

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| comments(1)|
はせがわたかし (2017/07/23 12:02 PM)
今年は残念でしたが来年のご活躍を祈っています。
公立高校の甲子園での活躍は閉塞感のあるいまの日本では非常に意義のあることですからどうか頑張ってください。









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