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「Face To Face」NO.61「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」

 高15回生 仲 誠一

 飛松中学卒

 生物部

 兵庫県立兵庫農科大学卒

 

 キャセイ航空勤務

 

―雑草会ー

 長田高校生物部のOB会を「雑草会」という。仲さんは、学生時代から72歳の現在に至るまで「雑草会」との交流は途切れたことがない。人生の節目節目で、「雑草会」の先輩方の言葉に導かれてきた。

 

 大学時代に、学業を一年半休学して、片道切符でシベリア経由でヨーロッパに渡ったのも、京大探検部にいた生物部の先輩の言葉がきっかけだった。

 

「狭い世界に閉じこもるな。ヨーロッパに出てこい。人生観が変わるぞ」

 

「そうだ。このまま卒業して安泰なサラリーマン生活を送ったとしても、それ以外の何者でもない。違う環境に飛び込み自分を変えてみよう」

 

 仲さんはそう決心する。ゼミの先生に相談すると、働けそうな農場の住所を四ヶ所教えてくれたが、今の時代のようにメールがあるわけではない。それらの農場とはコンタクトもとれぬまま、住所の書かれた紙だけを持ち、同じ農学部の友人と二人で横浜港から「ハバロフスク号」で出航した。

 

―ヒッチハイクの放浪旅―

 とりあえず最初に向かったのは、大好きだった映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となったオーストリアのザルツブルクだった。二人でヒッチハイクを重ね、あのトラップ大佐の屋敷の前にあった湖や、子どもたちが木登りしていた並木道、大佐とマリアが愛を誓ったガラス張りの東屋、そして大佐とマリアが結婚式をあげた教会などを見て感慨ひとしおだった。

 

 だが、そこからは大変だった。教授から預かった住所の四件の農場で働くにはビザが必要だった。三ヶ月間、働く場所が見つからず、時には橋の下で野宿。万事休すと思った矢先、ドイツのぶどう農場を紹介される。当時のドイツでは、ヨーロッパの他の国からブドウ栽培の研修生を多く受け入れていた。スイスの紹介先でその農場の存在を教えてもらったのだった。八ケ月間、ブドウ栽培を学び、修了証書ももらった。次に向かったのは、その農場で教えてもらったオーストリアでのワイン醸造研修。ここで更に三ヶ月間勉強し、ここでも修了証書をもらった。

 

「この時に見聞したヨーロッパの生活様式が、その後の私の人生の方向を決定づけました。

人は働くためではなく、人生を楽しむために生まれてきた。生活の基盤は家族であって、会社での労働ではない。そう心に刻んだのです」

 

―グアム・万博・就職―

 一年半遅れて10月に卒業した仲さんは、農学部の友人6人と一緒に、グアムで農場を立ち上げた。当時のグアムは日本人の新婚旅行のメッカで日本人向けのホテルが建ち、ホテル向けの野菜が高値で取引できたのだ。また、友人の一人がサンスターの社長の親戚で、歯磨き粉用のハッカの栽培をするということで補助金を獲得することもできたのだった。

 

 だが、農場経営は残念ながら一年半であきらめ帰国することになった。サントリーでハッカの香りを人工的に合成できる研究が成功し、天然のハッカが必要でなくなったため、補助金を打ち切られたのだ。

 

 グアムを引き上げてきたのは1970年、万博の年だった。各国の展示パビリオンを解体した資材を本国に送り返す、通関業務の通訳のアルバイトを見つけた。その仕事も終わりに近づき次の仕事を探さねばと思っていた時に、アルバイト仲間から「キャセイ航空は年がら年中社員の募集をしているよ」と教えてもらった。

 

 「当時のキャセイ航空では採用試験もなく、空港営業所の所長の面接を受けただけで、翌日から働きはじめました。その頃のキャセイは労働条件が悪く、社員たちは、航空会社業務を覚えると他社に移る人が多かったのです。そのため、キャセイ航空は『トレーニングスクール』と揶揄されていました」

 

 しかし、勤め始めて二年目に労働組合が結成されると、勤務条件は大きく変わった。基本給が40パーセントアップ。ボーナスも2ヶ月以上アップ。残業もほとんどなく、採用当時から完全週休二日制。有給休暇も全て取得できた。ヨーロッパを体験して、そのライフスタイルに触発されていた仲さんは「絶対に外資系の会社に勤めたい」と考えていたが、その望み通りになった。

 

 万博時代に知り合った従妹の友人、陽子さんと29歳の時に結婚。年休・結婚休暇などを合わせて、新婚旅行のための休暇が40日取れたというのだから驚きだ。こうして、ヨーロッパヒッチハイク時代に心に決めた「家族第一主義」が大前提の結婚生活がスタート。三人の子どもにも恵まれた。

 

「とにかく結婚したからには夫婦・家族が基盤。旅行も全て家族一緒。単身赴任も断りました」。 仲さんの世代で、このような考え方を持ち、それを貫いた人はごく少数派だったろう。

 

 キャセイ航空では60歳まで働けたが、「60歳過ぎてからでは第二の人生をスタートするには遅すぎる。体力・気力の充実している間に再スタートしたい」と五十五歳で依願退職した。

 

―先輩の言葉にまたも触発されるー

退職金で、サラリーマン時代にやりたくても出来ていなかったことを始めた。まずドイツにドイツ語の語学留学。パラグライダーの免許も取得した。余裕のできた時間で学生時代のヨーロッパ紀行も本にまとめた。だが、気づくと退職金をほぼ使い果たしており、ついに病院の食堂の皿洗いを始める。そんな時に、アドバイスをくれたのが「雑草会」の先輩だった。

 

「おまえ、そんな過去を振り返って本をまとめるような作業するのは、まだまだ早いぞ。もっと世の中の役に立つことをしろ」。そう言って勧めてくれたのがJICAのシニアボランティアだった。そしてこれが、仲さんの第二の人生の大きなターニングポイントとなる。

 

シニアボランティアの選考条件は厳しい。3回目の選考試験でやっと合格。その後、2005年から2年間、2009年から半年間、夫婦でバヌアツへ、2013年から2年間は夫婦でミクロネシアへ。観光開発促進業務に取り組んだ。

 

バヌアツは83の島からなる南太平洋の島国で、1980年に英仏共同統治から独立したばかりの若い国だ。仲さんは、最初の赴任時に統治以前のバヌアツの歴史が書かれた本をみつけ、一念発起してそれを英語から日本語に翻訳。2007年に国立文化センターから刊行された。

 

「お金第一主義ではなく、互いに支え合いながらいかに幸せに暮らすかを、バヌアツの人々は私に教えてくれました。現地の人は、人を疑うことをしません。常に他人に対して優しさを持っているのです」

 

バヌアツの人々と 前列左が仲さん(書かなくてもわかりますね ^^) )

 

2015年、バヌアツはサイクロンのため国全体が壊滅的な被害を受けた。仲さんはバヌアツの民話集を翻訳。「ナバンガピキニニBOOK1」を神戸新聞総合出版社より刊行。その収益金を被害児救済のために寄付した。

 

「バヌアツと日本の若者の交流を担いたい。バヌアツの観光開発にも少しでも役立ちたい」。仲さんは、そんな思いから「バヌアツ・ ナバンガ ピキニニ友好協会」を立ち上げた。2017年に仲さんが翻訳刊行された「ナバンガピキニニBOOK2」の収益金を活動支援に役立てている。

 

仲さんが翻訳した「ナバンガピキニニ」絵が独特でとても美しい民話集。ピキニニとは子どもという意味。

絵本の購入ご希望の方は、vnabanga_pikinini@yahoo.co.jp にメールください。

 

 

「私は『お金持ち』ではありませんが『人持ち』です(笑)。大学時代のヨーロッパ放浪で知り合った人々。ドイツへの語学留学で知り合った人々。バヌアツやミクロネシアで知り合った人々。つい先日も、バレーボールの国際大会で一度使っただけのボールがたくさん眠っているという話を聞き、それを友人たちの協力を得て、無料でミクロネシアの子どもたちに送ることができました。これから、私の持つ『人』との繋がりを最大限に生かしながら、みなさんと一緒に楽しくバヌアツと日本をつなぐ仕事を続けることが私の生きがいです」

 

バヌアツに赴任中、「雑草会」の仲間が17名もツアーを組んで訪ねてきてくれた。「雑草会」の仲間たちが一番の宝であることは、もちろん言うまでもない。

20175月 取材・写真・文 田中直美)

 

「バヌアツ・ナバンガ ピキニニ友好協会」のフェイスブックページはここから 

 

 編集後記

 

  生物部先輩の言葉から人生が大きく変わったと話す仲さん。でもそれは、仲さんが人の言葉を真摯にとらえていたからこそと感じました。その延長線上に「人持ち」の今があるのでしょう。その仲さんといつも一緒に行動し、言葉ができなくても、どこの国の人ともコミュニケーションをとってしまうという「陽子さん」。「妻のそんな才能には脱帽」とのことでした。

 絵本、私も購入しました。なんとも言えない味のあるイラストとストーリーです。

 

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| comments(3)|
19回生 石田幸司 (2017/05/17 1:36 PM)
仲誠一さま、有り難うございます。日々にテニスを、週に1回ハワイアンの練習又はバンドとフラでボランティア訪問を、月に1回ハイキングを、年に1〜2回海外へ出掛けております。これが、精一杯の活動です。ご計画の成功をお祈りいたします。明日は、家人と、森林植物園〜摩耶山〜一軒茶屋(最高峰)〜魚屋道〜有馬へ下り温泉です。
仲 誠一 (2017/05/17 8:35 AM)
当時は、ヨーロッパに500人ぐらいのヒッチハイカーが居ました。わたしも片道切符+4万円、それも満額同行した友人の親から借金で行きました。そのおかげで、今の私があります。バヌアツとつながって行こうと考えるのも、若い人をスタディツアーの形で、海外(バヌアツ)にだしたいと考えています。今年も8歳と4歳の子供が8月のツアーに参加してくれます。バヌアツにも世界遺産ができました。「ロイマタ」遺跡です。ぜひ、お出かけください。
 19回の津村さんたちとは、いまも毎月雑草会ワンゲルで山歩きをしています。 ご一緒に若者を海外に送り込みませんか? よろしければ・・・・・。
19回生 石田幸司 (2017/05/17 7:29 AM)
Face To Face No 47, 19回生の石田と申します。学生時代に、シベリヤ経由でヨーロッパを考えましたが、家族の反対で頓挫しました。仲誠一さんの勇気に敬服いたします。私の場合は、結果としてUSAの会社勤めで60歳定年退職しましたが、海外への夢を断ち切れず、「100世界遺産の旅」と称し、今も地球を歩いています。現在の若者が、我々の時代より海外の仕事に興味を持たない現状に、些か夢の無さを感じています。地球は、面白い!









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