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「Face To Face」NO.53「ふまれてもふまれても立ち上がれ」

 高41回生 藤井浩

 東落合中卒

 パリ郊外国立音楽学校

 アルコイ音楽学校

 

 ギタリスト

 ドルサイナ奏者

 

 ここはスペイン東部山あいの村、アルコイ。毎年、春には「モーロ人とキリスト教徒の祭り」が3日間開かれる。北アフリカからスペインに入ってきたイスラム教徒であるモーロ人とキリスト教徒の戦いを再現したこの祭りは700年も続く由緒ある祭りだ。

 前夜祭の夜、100人規模の吹奏楽団が22も行進したあと、大観衆が待ち受ける中、藤井さんが市庁舎から出てきた。少女と見間違うばかりに美しい、金髪で巻き毛の少年から指揮棒を受け取ると、広場中央に設けられた指揮台の上に立つ。その藤井さんの周りを2000人の楽団員と2万人の市民が取り囲む。藤井さんが指揮棒を構えると、「シーッ」と声が上がり一瞬の静寂が訪れる。指揮棒が振り下ろされ、2万人の大合唱が始まった。小柄な体の全身を使い指揮する藤井さんの顔には喜びが溢れている。大合唱が終わると同時に花火が打ちあがり、教会の鐘が高らかに広場に鳴り響いた。2016年4月21日の夜だ。

 

 アルコイ祭りで指揮台に立つ藤井さん
 

 中央広場を埋め尽くす人々

 フラッシュの光の中に藤井さんがいます
 

 長田の杜からアルコイの広場へ。その人生の道筋をお聞きしました。

 

―ギタリストをめざすー

 6歳からピアノ、9歳からギターを習っていた藤井さんは、高3の9月に、「ギタリストになる」と突然の決心をする。高校の3年間は柔道部の練習に明け暮れていた。怪我も多かったがなんとか最後まで続けた。医学部を目指していたがおよそ成績はついてこない。そして突然の「ギタリスト宣言」。親はもちろん泣いた。

 

「パリでギターを勉強する」と決めた藤井さんは、さっそく新聞配達のバイトを始める。高校卒業後、昼間はピザ屋等でバイト。夜は家庭教師。渡欧費用を貯め20歳でパリに渡り、パリ郊外国立音楽学校「レイ・レ・ローズ」でタニア・シャニョー女史に学んだ。だがパリは物価が高く、用意した資金がみるみる減っていく。これは無理だと観念し、スペインのアルコイに渡ることにした。

 

 当時、アルコイは日本人ギタリストにとっての聖地だった。世界的に著名な奏者アンドレス・セコビアの愛弟子であるホセ・ゴンザレス先生がいたからだ。「ゴンザレス先生は腕も人柄も一級だった」と藤井さん。

 

―スペインの笛・ドルサイナー

 アルコイに住んで2年目に、藤井さんはドルサイナというスペインの吹奏楽器に出会う。日本にいるときから何故か民族楽器に心惹かれていた藤井さんは、どんどんドルサイナに心奪われていく。日本では阪神大震災で父の勤務先のビルが倒壊していた。ギターから遠ざかっていった日々。友人の結婚パーティーで頼まれてドルサイナを吹いた藤井さんに、ゴンザレス先生が声をかけた。「ドルサイナ、うまいな。でもおまえはギターの方がうまいぞ」。

 

 バレンシア音楽院「ホセ・イトゥルビ」でドルサイナを学び、30歳の時にタイトルをとった。ドルサイナの仕事がどんどん増える。週に80人ものプライベートレッスンを持ちドルサイナで生計を立てるようになった藤井さんはすっかりギターから離れてしまった。だが、あのパーティーで先生にかけられた一言は、なぜかいつも心の奥に残っていたと言う。

 

 先生は藤井さんが28才の時に亡くなった。そしてその数年後、先生の最後の弟子だった藤井さんは、先生の未亡人から先生のギターを引き継いだ。

 

 ドルサイナはトルコ軍が軍隊ラッパとして使っていたこともあるほど、とにかく音量がとてつもなく大きい。笑い話で、普段は補聴器を使っているおじいさんが、補聴器を使わなくてもよく聞こえたというほどだ。そのドルサイナを10年教え続けた藤井さんは、ある時、耳に痛みを覚え日本で受診したところ、「高音が半分も聞こえていませんよ。いったい何をしているのですか?このままでは話し声も聞こえなくなってしまいますよ」と診断されてしまう。以降、大音量からは耳を守るようにしつつ、日本で先生のギターを使ってミニコンサートを開くようになった。「あの時の先生の言葉と先生のギターが僕をギターにまた連れ帰ってくれたように感じています」

 

 演奏会では、ギターの他にドルサイナも披露するが、あまりにも音が大きいので住宅街でのサロンコンサートでは「気をつかいます」と藤井さん
 

 

 アルコイに住んで24年。今では日本語よりもスペイン語の方が自然だ。一時8年間日本に帰国しなかったときは、久しぶりの母の日本語が理解できなくなっていて自分で驚いた。前夜祭での名誉指揮者に、地元議会の全員一致で選ばれたと電話を受けた時は日本にいた。「うそっ!?」と思ったと言う。700年の歴史の中で、アルコイ人以外で初めて選ばれた外国人指揮者だ。

 

 勉強をしたくて入学した長田だった。ギタリストになりたくて渡ったフランスとスペインだった。でも今は自称「スペインの笛吹男」。紆余曲折を繰り返した藤井さんのモットーは「ふまれてもふまれても立ち上がれ」。

 

 7月に、卒業以来初めての41回生の大同窓会があった。「ここで言ってはいけないこと。『今、なにしとん?』『おまえ、変わらへんなあ』『おまえ、変わったなあ』あ、それからもう一つ『昔、好きでした』。では、乾杯!」!」という開催委員長の挨拶に大爆笑で始まった同窓会。その委員長に「お前、変わらへんなあ」と言われている友人の隣で「言うたらあかん言うたんお前やろ!」とさっそくつっこんだ藤井さん。関西の血もまだまだ健在です。(2016年9月 取材・写真・文 田中直美)

 


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| comments(4)|
ふじい@長田41期 (2018/03/07 3:30 AM)
同期の藤井、こんなんなってたんかー。俺もギター弾いてたから、なんかの時、「ふじいがギター弾きます」いうたら、俺かと間違われたりしたなぁ。
高山 孝夫 (2016/09/19 8:38 PM)
Facebookへのコメントと一部重なりますが、メンバーが違うと思うのでm(_)m
小澤征爾さんのような人生ですね。素晴らしい!
 ギターは中〜大の学生時代ついでレベルの趣味で弾いていたのでセゴビアやゴンザレスの名前はギター史上の位置づけと共に当然知っています。
 
セゴビアがクラシックギターをクラシックの独奏楽器としてのみならす、ピアノやバイオリンのようにオーケストラとの共演(アランフェス協奏曲のような)出来るまで引き上げて普及したことで、フォークギターやエレキギターに変化発展しました。
田中直美 (2016/09/19 2:53 PM)
内藤悦子さま。コメントありがとうございました。また、いつも記事を読んでいただき、本当にありがとうございます。書く側としては、リアクションが一番のはげみです ^^) 。堀越千秋さんも、検索して絵を拝見しました。趣のある素敵な絵でした。これからも、よろしくお願いいたします。
内藤悦子 (2016/09/19 1:26 PM)
田中さま:以前連絡させていただいたことがある、ローズプラネットの内藤です。アドレス変更してそのままになっていましたが、友人から転送してもらい読んでいます。
ギタリスト、スペインというテーマでじっくり読みました。友人の絵描きでスペイン在住の堀越千秋、ANAの機内誌の表紙絵を描いたり、現地でラジオDJしたり、フラメンコカンテやったり、「週刊朝日」「読売新聞」で連載もしています。私が作ったCDジャケットにイラスト描いてもらったりもしています。いろいろなご縁があって楽しませていただいています。これからもよろしく。









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