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「Face To Face」NO.52「教師として生きるー亡き息子の志を継いでー」

 31回生 青木稔

 太田中学卒

 吹奏楽部

 

 岩岡小学校校長

 

 

 ―ある学校でー

 40代の初め、青木さんはある小学校に転任し、そこで一年生を担任した。

 

 「それまでの私は、教師としての力量が上がったと自負していました。打てば響くように伸びる子どもたち。子どもたちとのやりとりが楽しく、どこへ行ってもやっていけるぞ!と私は思っていたのです」

 

 だが、その自信は打ち砕かれた。今までは、たとえ一年生であっても、子どもたちは、机の前に座り、話を聴き、手をあげて答える。そこからのスタートだった。だが、新しい学校では勝手が全く違った。

 

「こちらを向かない。鼻に鉛筆を突っ込んで机につっぷしている。立ち歩く。私が黒板に向けば、後ろで取っ組み合いの喧嘩。そんな子どもが両手にあまるほどの人数いました」

 

 家庭訪問に行けば「先生、なにしとんねん。うちの子、全然勉強せえへんやないか」とするどく力量不足をつっこまれる。

 

「やんちゃな子どもがやんちゃな親になり、どうしていいか分からなくて親もまた悩んでいました。親の子どもへの願いは本当に強い。私も先生ぶっていてはだめだ。子どもたちの人生を親と一緒につくっていくんだ」青木さんは、強くそう思ったと言う。

 

 だが現実は厳しい。「5年生・6年生と受け持った子どもたちが『ええ子になったなあ』と思っていても、中学に上がると不登校になってしまったり、やんちゃして警察の御世話になったらしいと耳に入ってくるのです」

 

 悩みながらの6年間の後、市の教育委員会で4年間勤務した。そんなある日、青木さんの人生感は根底からひっくり返される。

 

―息子の急逝ー

 その日、青木さんは比較的早く帰宅することができた。ただいまとリビングのドアを開けた時、バイト出勤前にシャワーを浴びたばかりだった息子が目の前でばたんと倒れた。

 

 「全てが凍り付き、今までカラーだった世界がモノクロに変わり、スローモーションのような映像が流れる。まさにそんな経験でした」

 

 「目が見えない。手も動かない」と言ったまま意識を失った息子。看護師をしていた長女もたまたま在宅中で、脈をとりすぐに救急車を呼んだ。脳卒中だった。2回手術をしたが、意識の戻らぬまま帰らぬ人となった。

 

 「息子は大学三年生でした。私自身は彼に何も言ったことなかったけれど、彼は教師になる道を選んでくれていました」

 

 お葬式には何百人もの息子の友人が来てくれたが、そのうち、大学での友人は四百人を超えていた。父の知らない世界でこんなにも新しく友人を作っていたのだと思うと、涙のせいだけではなく、ありがとうございますと下げた頭をあげることができなかった。

 

 「息子が教師になっていたら、退職までには何千人もの教え子がいたことでしょう。でも、もうそれは出来なくなってしまった。その分、とうちゃんである自分ががんばらなあかん。息子が将来やりたかったことを、とうちゃんが、がんばる」青木さんは、そう喪主挨拶をした。

 

 「そうは言っても、大きな穴がぽっかり開いたことに変わりはありません。息子に伝えたいと思っていたことも、遺してやりたいと思っていた物もたくさんあったのです。遺してやりたいと思っていた物は、思い切って全て捨ててしまいました」

 

―校長としてー

4年前に校長として岩岡小学校に赴任した。

 

 しばらくして「校長先生、そんなに眉間にしわを寄せていたら、近寄りがたくて若い先生が相談できませんで」と先輩先生に忠告を受けた。その率直なアドバイスに深く自分を振り返り反省した青木さん。

 

「そんな癖が身についていた自分にガーンとショックを受け、『これからはいつもニコニコしていよう』と決心しました。ありがたい忠告でした」

 

 校長の仕事は、教師たちの人生を支えることだと青木さんは考えている。教師たちが思う存分子どもたちの指導に力を発揮できるように力を貸す。夫が急逝してしまった先生、癌にかかってしまった先生。教師たちにもいろいろな人生の試練が降りかかる時があるが、自分の辛い経験のおかげで、彼らの痛みをより深く理解できるようになった。

 

 妻は、長田時代の吹奏楽部での同輩だ。「かわいくって、入学した時から目をつけていました(笑)。自分には高嶺の花とあきらめていましたが、なぜか高2の時からお付き合いできることになり、そのまま結婚したのです。息子のことは、涙が出てしまうので、そんなに二人で話し合うことはありませんが、二人の結びつきはより強くなったと感じています」

 

 「仕事の時は、黒か紺か白しか身に着けないでシャキッとしていますが、オフになればだらしのない格好もするし、ハーレーに乗ったり小さなスポーツカーを乗り回したりもします。そういう校長らしくない自分も大好きです」と話してくれた青木さんでした。

2016年8月 取材・写真・文 田中直美)


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| comments(1)|
藤野 卓而 (2016/08/17 2:34 PM)
家族を亡くした方に、読んで頂きたい内容です。









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