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「Face To Face」NO.49「聞こえないけど、聴き上手になる」
 43回生 山田洋平

 舞子中学卒
 
 硬式テニス部

 京都工芸繊維大学卒

 モンデリーズ・ジャパン株式会社


 クロレッツ、リカルデント、ストライド、キシリクリスタルにホールズ。だれもがスーパーやコンビニで見かけたことのあるこれらのガム、キャンディ商品のパッケージデザインをしたのが山田さんだ。山田さんには「耳が聞こえない」という障害があった。 

 山田さんがデザインした商品パッケージの数々

 
―幼少期―
 生まれながらに聴覚がほとんどなかった山田さんは、母の作ってくれたポケットのついた帯状の下着のようなものに、当時はまだ大きかった補聴器を入れて幼稚園に通った。上着を着てもぷっくり膨れてしまうのが気恥ずかしい。山田さんは、難聴が理由で小学校入学を延期して、幼稚園に一年長く通った。
 
 「小学生になった友人たちが、幼稚園の文化祭や体育祭に卒園生としてやってきますよね。僕だけがまだ幼稚園生。かっこ悪くって、みんなに会いたくなかったな」       
 
 一年待って健常者と一緒に西舞子小学校の普通学級に入学。同時に、西脇小学校にある難聴通級指導教室「きこえとことばの教室」にも通い、そこで読唇術と言葉の発声を学んだ。週に三度、母が車で送迎して小学校6年生まで通ってマスターした。
 
―大人への道―
 だれもがその名前を聞いただけでぶるってしまう、長田の鬼の柔道体育教官、吉地先生。だが山田さんにとっては「高1の時、聴覚障害で耳が聞こえない自分を気遣ってくれた優しい担任の先生」だったそうだ。
 
 「吉地先生は、高校という慣れない環境に入った僕を気遣ってくださいました。長田のクラスメイトもみんな優しくって、『だいじょうぶか?何かわからないことないか?』っていつも声をかけてくれる。席替えしても僕はいつもさりげなく前の方。社会の先生も『今日は○○ページから〜』と言いながら僕の席まで飛んできて、僕の教科書をそのページまでめくってくれました」
 
 「でも、あの頃はそんなみんなの親切を素直に受け取ることができなかった。照れもあるし、反抗心もあったんだな」
 
 高校生のコミュニケーションは雑談がほとんどだが、山田さんにとっては雑談が一番難しい。
 
 「読唇術とはいっても、完全に読み取れるわけではないんです。話を聴き、口の動きを見ながら会話の流れを推測しています。会話の先読みによる予測が重要。会議など、アジェンダが決まっていて会話の目的がはっきりしている時は大丈夫なのですが、脈絡なく話題が飛ぶ雑談は予測しづらくてとても難しいのです」
 
「自分から話しかけて、もし相手の言うことが聞き取れなかったら」そう思うとプレッシャーで、高校時代はクラスメイトに話しかけることができなかったそうだ。
 
 大学進学を控え、山田さんは理系の道を選ぶ。コミュニケーションが重要になる文系の仕事につくのは難しいだろうと考えたからだ。だが、いざ願書を提出すると、聴覚障害があるということで、ほとんどの大学から「受験不可」として受理されなかった。小学校入学の延期で同期より歳を1つ多く取っていた山田さんは、浪人してさらに歳が増えることは避けたいと思い、現役合格にこだわっていた。迫ってくる願書の提出期限に焦りがつのる。その中で唯一、スムーズに受験を受け付けてくれたのが京都工芸繊維大学だ。当時から車いすでも通えるような、バリアフリーが進んでいる大学だった。
 
 建築の道に進みたいと思っていた山田さんだが、専門課程に進む2年次に、当時はまだ新しかったコンピューター・グラフィックを知る。もともと絵が得意だったこともあり、この分野は将来性があると予測した山田さんはデザインの道に進むことにした。
 
―転進―
 「慎重で真面目。その割に行動が大胆だったりする」と自己分析する山田さん。今の企業に勤めるまでに3回転職した。
 
 最初は、慣れ親しんできた関西にあるデザイン会社に就職したが、「この仕事を続けるのならやはり東京に行かなくては」と考え東京に出てきた。力をつけていく中で、山田さんは更に自分の未来を考える。
 
 「このまま行けば、独立して自分の事務所を構えるという道になる。だが、聴覚障害のある自分に、クライアントが偏見なく仕事を依頼してくれるだろうか?」
 
受験・就職など、何かあるたびに聴覚障害で不利を被った経験のあった山田さんは、会社という組織に属したほうが良いと判断した。
 
 デザイン業界は徹夜も当たり前なほどに忙しく、業務の合間にちょっと仕事を抜けて転職活動をするのは不可能だった。東京に出てくる時も、その後の転職も、次の就職先が決まっていない状況で退職。退路を断っての転進である。
 
 「もし、同じ実力の人が応募したら、障害のある僕は採用してもらえない。人と同じではだめ。抜きんでた実力をつけるため時間があれば勉強し、プライベートの時間を削ってでも仕事をしてきました」
 
 「聴覚障害があるのは事実ですが、聴こえないから仕事ができないと思われたくない。会話以上に細かいニュアンスを読み取り、効果的な質問を織り交ぜ、相手の要望をより深く理解して次の提案につなげます。聞こえないけれど、聴き上手になって相手の信頼を得られるようにしたいのです」
 
―現在―
 約7年前、神戸での長田の同窓会に初めて出席した。かつては、クラスメイトたちに心を閉ざしていた山田さんが、そこでは「いろんな人に声をかけまくった」。
 
 「今はインターネットという便利なツールもあります。電話が難しい僕でもインターネットなら普通の会話のようにコミュニケーションを取ることができます」そこで何人かの友人ができて頻繁に連絡を取り合うようになった。神戸に帰省するたびに会うのを楽しみにしている。
 
 そして去年は入籍もした。 「休日には二人で自転車に乗って公園までサイクリングします。一緒に公園を散歩して、お腹がすいたらおいしいものを食べて帰ってくる。その時間が今は一番幸せです」
 
 昨年、フェイスブックで吉地先生を見つけた山田さんは、先生に連絡を取って会いに行った。そして高校時代の、素直になれていなかった心情を語り、今の自分を報告した。吉地先生のその日のフェイスブックには「今日はとてもうれしいことがあった」という言葉ではじまる文章が綴られている。


 こんなお茶目なポーズをとってくれた山田さん

(取材・文・写真 田中直美 2016年5 月)

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