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「Face To Face」NO.46「ものは考えよう。どんなこともなんとかなる!」 
 高58回生 富澤美緒

 星陵台中学卒

 バドミントン部

 神戸大学国際文化学部卒
 新聞社 企画事業本部勤務

 

―バドミントン―
 小学生時代、美緒さんは、読書とピアノが好きで将来は作家になりたいと秘かに考えている引っ込み思案な文学少女だった。その美緒さんが中学で女子バレー部に入部した時は「あの美緒ちゃんがスポーツを?!」と親戚も家族も大騒ぎしてびっくりしたそうだ。

 高校生になった美緒さんは、何か新しいことにチャレンジしてみたいなとバドミントン部へ。「羽つきのようで楽しそう」と気楽に考えていたが、そのハードさは想像をはるかに超えていた。なにより顧問の森川先生が怖い!先生の姿が体育館に現れただけで部員の間にピリピリと緊張感が走った。

 退部する友もいる中、美緒さんは10人の同学年の友をはじめ部員全員で結束し、厳しい指導に立ち向かう。先生に「何やってんだ!帰れ!」と怒鳴られると、言葉通りに受け止め、めげていた美緒さん。やがて「帰れ!」と言われても「帰りません!もう一度やらせてください!」と変化する。副部長も務めた美緒さんは「みんなが気持ちよく部活ができているか」と、自分のことだけではなく周りを見る余裕も出るようになった。

 「バドミントン部で身についたのは、超がつくポジティブさです。たとえば、辛辣な言葉を頭の中で自分へのアドバイスに変換することを覚えました(笑)どのようにとらえたら前向きに進めるか。いつもそう考えます」

 卒業して10年。28歳の今見えてきたのは、ひたすら「怖い」と思っていた森川先生の優しさと愛情だ。厳しかったのはコートの中だけ。一歩コートの外に出ればいつも優しかった。卒業後に体育館を訪ねれば、「富澤!」と大声で呼び、後輩たちの前で「こいつはな・・」とベタほめして下さった。プライベートな時間をつぶして、美緒さんたちの指導にあたってくれていたことにも改めて気付き感謝している美緒さんだ。

 卒業式にバドミントン部でぱちり。顧問の森川先生と後輩たちが元気に送りだしてくれた
 

―竹のようにー
美緒さんがもう一つ大きく変わったのは、大学3回生の時に一年間経験したオーストリアへの交換留学だと言う。

 「良い意味でのずぼらさ」と美緒さんは表現する。オーストリア人学生三人とのルームシェア。美緒さんのつたないドイツ語を揶揄する会話がドア越しに聞こえてきてへこんだり、分担した掃除当番をうまくすり抜ける人や冷蔵庫のミルクを勝手に飲む人に少しいらっとしたり。街に出れば笑顔の全くないカフェの店員にもカルチュアーショックを受けた。

 肌身で感じる「多様な価値観」。蘇ったのは高校時代に聞いた「強風が吹いたらポキッと折れてしまう大樹ではなく風にしなう竹になれ」という言葉。

 自分の進むべきポイントだけ押さえ、細かいことを気にするのはやめよう。どんなことでもなんとかなる、なんとかする。型にはまらなくても楽しめる、竹のしなやかさを身につけた。

 オーストリア留学時代に運営スタッフとして関わっていた「ジャパンウィーク」。子どもたちは初めて見る毛筆に興味津々
 

 −わくわくする時間ー
 何か芸術にかかわる仕事をしたいと考えていた美緒さんだが、泥臭く現場を動きまわるところでノウハウを学びたいと考えた。希望していたメディア系の事業部に就職することができた。

 つい最近終わったプロジェクトはミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートツアー。準備には1年半以上の時間を費やした。オーケストラとの交渉。チラシ・パンフレットの制作。広報活動。コンサート当日、幕が上がれば、そこは楽団員と観客だけの世界。自分たちは舞台の袖からその空気を見守る。

 「出演者の奏でるすばらしい音楽と、それを味わう観客の皆さんがつくりだす共感の空間を目の前にした時、この仕事をして良かったと心からわくわくします」

―家族の時間ー
 昨年7月、長田高校の29回生だった美緒さんのお父さんが急逝した。まだ両親には紹介していなかった彼もお通夜に駆けつけ、その後も母と妹、女性三人の手助けをしてくれた。父の死を契機に「家族」との時間の大切さを痛感する。

 彼はテレビ局の記者。共に転勤の多い仕事。単身赴任は当たり前だと漠然と考えていたが、子どもをいつか授かることがあれば、家族で一緒に暮らせる方法を模索したいと考えは変わった。父が亡くなった後、幼い頃のホームビデオを母がみせてくれた。一身に父の愛情を受けている自分たちの姿が残されていた。

 3歳ごろからアトピーで、牛・豚・鶏・乳製品・卵が食べられなかった美緒さん。母は遠く四国の病院にも連れていってくれ、できることはなんでもしてくれた。母の手料理はとてもおいしい。「私には他に得意な事はないから」といつもシャイな母だが、高校時代に「尊敬する人」の題で美緒さんが一問一答形式の文集に書いたのは、母のことだ。今母に伝えたいのは、「自慢のお母さんだよ、自信を持って」ということ。

 今年3月には東京から大阪に転勤が決まった。10月には入籍する予定だ。しばらくは別居婚になるだろうが、週末には神戸の実家に帰って母との時間も作ろうと考えている。

 美緒さん、末永くお幸せに!(2016年2月 取材・文・写真 田中直美)

ー編集後記ー
   昨年7月に急逝された美緒さん・由佳さんのお父さん富澤尚史さんは、高29回生のサッカー部。その生涯をサッカーに捧げました。あの香川真司選手の小学生時代のコーチを務め、その才能を見出したことでも有名です。
 
長田時代は、土曜日も日曜日もほとんど練習。唯一の休みだった月曜日も、お盆休みも、なぜか結局一緒に過ごし、一年中一緒だったというサッカー部の仲間たち。
 
 「富澤は、とにかくサッカーが好きで、サッカーに関する知識も豊富でした。サッカーの知識だけではなく、旅行に行くとネットもるるぶもない時代にどこで仕入れたのか、やたらにおいしものにも詳しい。そして大食い(笑)。サラリーマンになった俺たちにとって、サッカーはいつのまにか『観るもの』に変わっていったけれど、富澤だけが一人サッカーに関わり続けました」と29回生サッカー部の大江隆さん。
 
 大江さんは、富澤さんが亡くなる一カ月前に、兵庫県高校サッカーの様子を聞きたくて富澤さんを呼び出し、一緒にお酒を飲んだ。

「『また会おう』と言って別れたんです。またいつでも会えると思っていたのに・・・」
 
ー富澤尚史さんを偲ぶー
サッカーに捧げた人生はもっともっと永く続くものと誰もが思っていました。日本のサッカーがここまで躍進したのは、貴君が惜しみない力と心を注いだ多くの若手選手たちの活躍があってのことだと思います。共にボールを追いかけ走った高校現役時代、加えて卒業後は飲みに行ったり、旅行に行ったりと楽しかった思い出ばかりです。
お二人のお嬢さん(美緒さん、由佳さん)も立派になられ、これからというときにさぞ無念でしょうが、天から皆の活躍を笑顔で見守っていてください。合掌。 岩崎義彦(高29)
 

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追記

大江さんが、改めて追悼文を送ってくださいました。

ともだち
 
「去年、歌中、垂中、垂水東の3校での練習試合は本当に楽しかったな。」って、同じクラスになった高1春の六甲山登山で、二人よそよそしくそんな話をしたのが付き合いの始まりだった。

 1年生の時は特に練習がきつかった。中学の頃とは全然違う。練習が終わってからもグランドの周りを走らされたり、夏合宿、強化練習と厳しかったことだけ覚えてる。でも1年生は皆、仲が良かった。練習の帰り須磨海岸で泳いだり、家島キャンプ、…とにかく1年中一緒にいた。

 サイモン&ガーファンクルのベストアルバム。足掛け3年借りたままだった。一回も返せの催促しなかったな。レコード擦り切れてなかったか。サウンドオブ…、コンドルは…、とかが入ってた。

 2年生の時、葺合高校での練習試合でキレイなゴールを決めたな。こんな小技だけは本当に上手いんだから。それと同級生きっての理論派だった。

 3年生の時、あのPK。すごい重圧のなか本当に良く決めたな。俺、ベンチから声をからして応援してた。ジーコもプラティニもマラドーナも大舞台では外したのに。実はあの頃から持ってたな。
 
 グルメで大飯食らい。卒業して一緒に旅行に行ったとき、運転もしないで後部座席で「次の町では名物を使ったアイスクリームがあるから・・・・」って、食い物の話ばっかり。るるぶもじゃらんもない時代にどこからそんな情報を仕入れて来たのか。
家内と結婚前、舞子の家に挨拶に行った。夜に突然行ったのに、奥さんは暖かく迎えてくれた。娘さんが生まれる前かな?そして俺の結婚式の2次会には奥さんも出席してくれて大変嬉しかった。

 出張で東京へ来たときは、よく錦糸町で飲み、俺の自宅へ泊ってくれた。いつだったか両国のちゃんこ屋で、俺の3倍の鍋を食い、2倍のビールを飲んだ後、きしめんで仮〆した後、汁が残ってるって最後はおじやまで。俺はきしめんも食ってないからな。
 
 去年26日、10年ぶりにお前たちと三宮で食事した帰りに「垂水だったら時々飲めるな」って俺に言った。お前、昔から誘われたら絶対に断らないけど、自分からはあまり誘うことはなかったので、何故か近しく、これから以前のように付き合えるのが嬉しかった。

 67日インター杯県予選の決勝を見に行った。大会プログラムにお前の名前をみつけた。今の兵庫県の高校サッカーのことが聞きたくて613日垂水へ呼び出した。相変わらず良く食ってたな。懐かしい先輩、後輩、他校の同級生の話題で盛り上がり、60歳になったらオールド・トラフォードにサッカー観に行く約束して、また会おうなって言いて別れた。その時はまたいつでも会えると思ってた。

 715日夜、なんかの間違いだろって自分に何度も言い聞かせて駆け付けた。そこでは、お前が、サッカーに対する情熱を長年追い続け、努力を積み重ねた結果、如何に優れた、また如何にみんなに愛された指導者であったかを、集まった関係者、卒業生、部員、生徒が証明してくれた。決して自慢することはなかったが、サッカー部同級生のなかでは間違いなく最も大きなゴールを残したともだちだった。
 
 今度また一緒にサッカーをする機会があったら、〇〇シンジ君にではなく俺にだけサッカー教えてくれ。約束やぞ。
 
・・・・・・・有難う。富澤。
ともだちのともだち

 

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