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「Face To Face」NO.44「前へ」

 高38回生 近藤稔和

 鷹取中学卒

 剣道部

 金沢大学医学部卒
 H8:ミュンヘン大学法医学研究所留学
 H13 :金沢大学医学部助教授
 H15:和歌山県立医科大学法医学教室教授

―コワモテ―
 身長188センチ、体重、90キロ、剣道5段。そしてこの写真のコワモテ。失礼ながら頭も限りなくスキンヘッドに近い。声もでかい。迫力が半端ない。

 

 本人曰く「短所は短気。忙しくてイライラしてきた時は、なるべく自ら人との接触を断ちます(笑)」とのこと。当然、医学生たちからは恐れられている。
 

「『分かりません』は絶対に許しません。医師たるもの、患者さんのために、なんとしてでも方策を探し出す気概が必要です」
 

 人としても厳しい。教室にゴミが落ちていたら自分のゴミでなくても拾わせる。学生がエレベーターに一階から乗ってきて二階のボタンを押したら「ふざけるな」と襟くびつまんで放り出す。
 

 だが、障害者枠で雇用された職員が、脊柱側湾症のため歩くもままならないのに、事務方の「無理」のひとことで駐車場が与えられていないのを知ると、これまた「ふざけるな」の一言で入口近くの駐車場を準備させる一面も併せ持つ。
 

「28歳でドイツに留学した時、弱者に手を差し伸べることが、まったく『日常』であることに驚きました。人としての優しさ、思いやりは『あたりまえ』のことなのです」
 

 学生には「医師としてまずベストを尽くせ。それでも人である限り間違いを犯してしまうこともある。その時は、ののしられることも覚悟して、誠実に包み隠さず真実を話し、逃げるな」と説く。
 

―忍耐力ー
 法医学には犯罪の可能性のある司法解剖と、犯罪性は薄いが死因が特定できない場合の行政解剖がある。

 

 「核家族化、高齢社会化のため、行政解剖はこの10年でおよそ倍になったというイメージです」と近藤さん。だが、和歌山県下で解剖医は近藤さんただ一人。全国的にも解剖医の不足は深刻で、産科医、小児科医の不足をもはるかにしのぐと言う。
 

 取材当日も、宿泊予定だったのが急遽変更。夜8時の飛行機で羽田から関空に戻り、そこから車で和歌山へ。夜の10時過ぎから解剖が一体、入ったとのことだった。その週は、月曜日の朝7時に一体を解剖したのち、東京、和歌山、札幌、和歌山と移動。5体の解剖のあと、長崎、和歌山、東京と移動した。その最終日のことである。
 

 「精神的にも体力的にもタフでないと務まらないが、その基盤は長田時代の周回走で培われたと思う」と、近藤さん。
 

 「僕は、学生たちに対して時に理不尽です。でも、それに耐えられたら社会に出てからの忍耐力もつく。仕事は理不尽の連続ですから」
 

―医療としての法医学ー
「御遺体は、30分でも一時間でも早くご遺族のもとにお返ししたい」と近藤さん。

 

「とりわけ若い方やお子さんの場合、死因の解明は死を受け入れる第一歩です。一時間でも二時間でも納得されるまで説明し、ご遺族の疑問にいつでもお答えできるよう、連絡先の電話番号もお知らせします」
 

 基本的には法医学の仕事は「死」からスタートする。だが、近藤さんは「解剖も医療である」と考えている。「解剖から分かった所見をフィードバックし、医療に役立てることが重要」との視点だ。
 

 法医学では、時には遺族の想いとは裏腹の結果が出ることもある。だが法医学はサイエンス。一つ一つのエビデンスを積み重ね、一つ一つ考えられる原因を消去し、起こった事実を導き出すのみである。
 

 近年増えてきているのが「児童虐待」を判定する仕事だ。児童相談所からの依頼で、子どもの傷と親の主張に齟齬がないかどうか診断する。医学的見地からは、ありえない状況説明する親の言質に、怒りを覚えることもあると言う近藤さんだ。
 

―恩師ー
 近藤さんには恩師と呼ぶ人が二人いる。一人が大学時代の剣道の師、惠土孝吉先生。身長158センチながら、それを技でおぎない、それゆえ「異端児」でもあった先生。剣道の、言葉では表現できない本当の意味での奥深さを学んだ。

 

 そして法医学の師、眥展洋先生。今も、分からないことがあれば教えを乞う。先生もまた、法医学界の異端児だった。
 

 二人の恩師の口癖が、それぞれに「迷ったら、一歩前進」。「媚びず、おごらず、逃げず」。
この二つの言葉が、今も近藤さんの生きる指針となっている。

 

 「家庭人としては僕は失格ですよ」と笑う。とにかく物理的に時間がなく家にいない。だが、大学時代の剣道部の仲間で元看護士の妻は「僕の仕事をよく理解してくれています」とも語る。
 

 その妻と、17歳、13歳の二人の娘が待つ家のドアを開ける時が、「今日も一日終わった」と幸せを感じる瞬間だと言う。
 

「正義の人」。そんな言葉が思い浮かんだ取材だった。

 コワモテだが、笑うとやんちゃな笑顔だ。

(取材・文・写真 田中直美 2015年12月)

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| comments(9)|
吉地恵 (2015/12/23 3:43 PM)
近藤君、懐かしいです。

剣道場と柔道場が、真向かいなので、

仲良くしていました。よろしく、お伝え

下さい。  感謝  めぐちゃん
近藤稔和 (2015/12/23 3:39 PM)
吉地 先生

メールありがとうございます.
本当に懐かしいです.
高校時代に柔道部に勧誘していただいたことも覚えております.
田中直美 (2015/12/23 12:29 AM)
三國谷行忠様
記事を喜んでいただき、ありがとうございます。とても嬉しいです。

野球部ですが、現在候補9校の中の一つで、ここから更に、出場校は三校に絞られます。発表は1月29日です。皆、どきどきして発表を待っているところです。選ばれると良いですね!
近藤稔和 (2015/12/23 12:14 AM)
中岡浩三様

中学・高校の先輩からコメントをいただき,本当にうれしく思っております.
近藤稔和 (2015/12/23 12:12 AM)
近藤一彦 様

コメントありがとうございます.
中学・高校・大学の先輩とは大変驚きです.
僕は西須磨小学校ですので,ひょっとしたら小学校も一緒かもしれませんね.
私は中学から剣道を始めました.しかも,友人二人が住め警察の須磨剣友会でしたので,部活にはいると同時に須磨剣友会にも入会してました.中学時代は3年生の時に主将を務め,神戸市総体準優勝,兵庫県大会3位でした.
金沢大学の工学部と医学部は小立野でしたよね.若葉のおでんよくいきました.香林坊・片町でもよく飲み会でしたね.今はなき教養時代の金沢城内キャンパスが本当に懐かしいです.
大学時代も本学で剣道部の副主将で北信越大会優勝,インカレは団体でベスト8でした.
このようにお知り合いの成れましたことたいへんうれしく思います
近藤稔和 (2015/12/23 12:02 AM)
三國谷行忠 様

コメントありがとうございます.高校のみならず,中学の先輩にこのように出会えたことに大変うれしく思っております.私は須磨区千守町に住んでおりましたので,西須磨小学校です.ひょっとしたら小学校も同じ可能性があるかもですね.
私の時代も鷹取中は荒れていたような気がします.

三國谷行忠 (14回生) (2015/12/22 10:41 AM)
小生の時の剣道部主将は近藤稔和さんと同じ大柄な本惣君でなぜか柔道部テニス部の主将共々本当に若くして逝去されてます。鷹取中も当時は荒れた中学校でも小生は不良生徒のベストテン程には居て妹にも嫌われてて長田高校に入れたのが奇跡だったかな、で、素晴らしいの一言に尽きる近藤稔和さんが中高の後輩であることを知らせてくれた神撫会田中氏に感謝します。
悲願だった”黒眼の内に”甲子園球場の長田高校野球部の雄姿を、が現実になりました。現場応援方法の詳細を特集して下さることを切望致します。
近藤一彦 (2015/12/22 10:37 AM)
近藤稔和さんとは、いくつかの共通項があって驚きです。まず苗字・鷹取中学卒業・鷹中時代に須磨警察の剣友会仲間と鷹中の剣道部を立ち上げ、神戸市別とエイトまで行きましたが、その後顧問不在となって廃部。近藤稔和さんと同じ長田高校から金沢大学へ。工学部精密でしたが、当時工学部は医学部と同じ小立野にキャンパスがあって医学部周辺のおでん屋「若葉」でよく飲んでました。ニコンの技術者でしたが、4年前定年退職し今やプータローとなり果てています。同姓で中・高・大学と同じなんて、なんか縁を感じました。
中岡浩三 (2015/12/22 9:12 AM)
長田高校・鷹取中学校にこんな素晴らしい後輩がいる事を誇りに思います。









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