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NO.42「舞踊家として生きる」
 

 高28回生 岩崎倫夫
 

 舞子中学卒
 

 バレー部
 

 愛媛大学経法文学科法学科卒

 

 

―焼きつく思い出ー

 岩崎さんには、長田時代の忘れ難い思い出がある。同期生のOくんが自殺で亡くなったのだ。彼とは面識があったわけではない。だが、廊下越しに見た机の上に飾られた一輪の花と、「鬼」と呼ばれていた体育教官の天野先生が、バレーコートに仁王立ちになって「生きなあかん!」と叫ぶように言ったシーンが映像のように焼き付いている。

 

 「ぼくはとてもおじいちゃんっこだった。じいちゃんからも『のりお、生なあかんねんで』と、なぜか幼い時からいつも言い聞かされていたんよ。それと先生の言葉がスパークしたんかなあ」
 

 「僕は、高校時代、とにかく本を読みまくってたのね。『生きるってどういうこと?』そんなことばかり考えてた。苦しかった。亡くなったO君を、苦しみから逃れられて「うらやましい」と思ってしまった。これは人には言えないことだよね。それで、高校時代の記憶を無意識に封印してしまったのかもしれない。30年の時を経て28回生の仲間と再会したとき、最初、僕には高校時代の記憶がほとんどなかったんよ」
 

―舞踊の血―

 岩崎さんの叔母が日本舞踊の師匠だったため、岩崎さんはお姉さんについて5歳の時から踊りの稽古に同席していたそうだ。踊りに一向に興味を示さないお姉さん。一方、岩崎さんは、見ているだけで踊りの振りを全て覚えてしまう。わずか5歳の時からそうだった。

 

 「とにかく、あのきれいな着物を着て踊りたかった。男は着られへんのよと言われて、それなら、歌舞伎役者になりたいと言い出したらしい」

 公務員で「地道にコツコツ」といつも言っていた父は、「歌舞伎は歌舞伎の家に生まれなできひんのや」と岩崎さんを諭した。小学・中学と進むにつれて踊りのことは忘れ、学校では優等生だった。国立大学に進学して、サラリーマンとして地道に生きていくことを息子には望んでいた父。そのことを良く分かっていた息子。

 

 だが、岩崎さんは大学に進学して、わずか一週間で劇団「こじか座」に入団する。そして、四国の舞踊家一色真由美に出会い現代舞踊も始めた。幼い頃に封印された舞踊と再び出会ってしまったのだ。その頃、生涯の師となる演出家栗栖忠志さんとも出会い、劇団MADを創設した。
 

「生きるとは何か?という自問自答をずっと続けていた僕。舞台はその苦しみから僕を解放してくれた。時空を超えた、現実とは全く違う世界がそこにあったから。今から思たら現実逃避やったかもしれんけどね」
 

 「今を生きている」という実感がほしくて舞台に熱中した岩崎さんは、大学の4年間で31本もの舞台に出演。NHK「二十歳の青春」でドキュメンタリー取材も受け、ミュージカル劇団からもスカウトされた。「断ってしまったんやけどね。『舞踊』にしか興味がなかったんやね」
 

―ケイタケイー

 大学卒業後は、窓ふき、ヨガ講師、マッサージ助手など、ありとあらゆるアルバイトをしながら「舞踊」を学びつつ小劇場で活動を続けた。だが、舞踊で生活していくことはできない。30歳の時に、当時所属していた「鍊肉工房」を退団。もう小劇場での活動はあきらめたその時、舞踊家ケイタケイと再会する。

 ケイタケイはNYのジュリアード音楽院舞踏科で学んだ舞踊家だ。独特の身体表現は欧米で高く評価され、各種助成金や舞踊賞を獲得。勅使河原三郎が登場する10数年も前から世界的に知名度が高い舞踊家・振付家だった。

 

 31歳から6年間、ケイタケイの世界公演に同行。一年の内、三ヶ月ほどは世界各地を公演で回った。

 LIGHT24h公演
 お台場にて
 
 岩崎さん 37歳
 

 ケイタケイは、公演中のギャランティを払ってくれる。これは、モダンダンス界では異例と言っても良い。だが、それだけでは暮らしていけない。

 生活費を稼ぐために契約社員として応募した三井物産の子会社。そこで入社面接をしてくれたのが、なんと長田高校出身の先輩だった。舞踊に打ち込む岩崎さんを応援してくれる会社との出会いだった。会社は、時には一年の半分近く日本を離れる岩崎さんを認め、継続して仕事を任せてくれた。以来28年間、岩崎さんはそこで生活の糧を得ながら舞踊を続けている。


 40歳でOffice Norioを設立
 
 宮沢賢治の詩を舞踊化
 「けふの朝」
 「流れる」

 DMに描かれた岩崎さん 
 

―二人の父―

 三年まえに父が亡くなった。宝ジェンヌになった孫娘を、経済的にも支援し応援していたのに、彼女の公演には一度も行ったことがなかった父。「倫夫の公演も観に行ったことがないのに、行くわけにはいかない」。帰省した折、そう話す父の言葉を耳にした岩崎さんは、父の想いを知り胸が熱くなった。
 

 第二の父のように慕っていた演出家の栗栖忠志さんも、その翌年に亡くなった。白血病で余命いくばくもないと聞き、7年間不義理していたが、いてもたってもいられず四国の自宅を訪ねた岩崎さん。栗栖さんは、病をおして、自宅の玄関で立って岩崎さんが帰るのを見送ってくれた。今生の別れだった。

 「自分のことを応援してくれた大切な人たち」。その存在を改めて強く感じた岩崎さん。彼らに答えるためにも、もっともっと舞踊に対して努力したい。「今、一年生のような新たな気持ちです。ひょっとしたらこの40年の中で一番まじめに舞踊にとりくんでいるかもしれない」。


「今後も、ケイタケイの作品と、40歳からライフワークとして取り組んでいる宮沢賢治の詩を舞踊化したオリジナル作品を踊っていこうと思っています」

 岩崎倫夫58歳。舞踊家。踊りは止まらない。
(取材・文・写真 田中直美 27年11月)


   2014年夏。
 ケイタケイ’sムービングアース公演。
 湘南稲村ケ崎の海岸にて。
 引いては返す波。その波と同調するようにゆったりと繰り返される動き。原始の祈りにも似た舞踊だ。
 中央で踊っているのが岩崎さん



 2015年
 ケイタケイ ムービングアース公演
 
 新作
 ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」
 でのソロシーン

 2010年から28回生は、毎公演、観劇。
 パワーをもらっています。


 





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| comments(4)|
岩崎倫夫 (2015/11/17 11:51 PM)
コメントありがとうございます。

恩師が亡くなった時、「彼が想い続けてくれた大きな愛情に比べて、自分は舞台に対して一生懸命じゃなかった。」という痛恨の思いが湧き上がってきました。今は、まだ努力できるのが嬉しいと思えます。
K.H (2015/11/17 7:10 AM)
「今、一年生のような新たな気持ちです。ひょっとしたらこの40年の中で一番まじめに舞踊にとりくんでいるかもしれない。」

彼のコメントに考えさせられました。
朝から少し元気をもらいました。
岩崎倫夫 (2015/11/16 11:02 PM)
岩崎です。2010年高円寺の公演に高田さんと二人で来てくれたよね。あれから応援してくれてありがとう。こちらこそ、皆が来てくれることが素直に嬉しいです。
中村祐子 (2015/11/15 12:59 PM)
同じ教室にいた高校時代、そして会ってなかった30数年の間に、岩崎くんの中と周辺ではこんなことが起こってたのね!
いつも新鮮な驚きと感動をありがとう。
次の公演がますます楽しみになりました(*^_^*) 









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