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Face To Face NO.33 「人生はおもしろい」
 

 高6回生 岩間一昌
 

 神戸大学付属明石中学卒業
 横浜国立大学経済学部卒業
 
 朝日生命
 労働組合中央執行委員、本部役員

 

 (社)日本マンション学会会員

 

「人生はおもしろい」。今年80歳を迎える岩間さんは、そう語る。

―活動家―
 幼少期は韓国で過ごした。農林省に勤める父は韓国の李王家に出向し、その山林を管理する任についていた。22室もある大きな家に暮らしていたが、敗戦の年の11月に帰国。帰国への途上、父の部下であった韓国の人々が陰に陽に護ってくれたことが忘れられない。

 

 岩間さんは、生粋の「活動家」だ。長田時代は「弁論部」と「応援団」。大学では学生運動に燃え、就職後は組合活動に取り組んだ。最初の就職先では「組合を強くしすぎた」と解雇されたが、反対闘争をして東京地裁で和解。復職は無理だったが会社都合退職金の180パーセントを得た。転職後の朝日生命でも、企業対象の保険設計をしながら労働組合の中央執行委員を務めた。
 

 「人並みに大恋愛で結婚しましたね」。お相手は同じように労働組合で活動をしていた女性。「あの頃は、目先のことで精一杯。長い視点は欠けていたなあ」と振り返る。男の子二人をもうけるも妻が早世。岩間さんの男手一つの子育てが始まる。
 

 「当時は春闘と言えば徹夜はあたりまえ。まだ中学生だった次男には、とりわけ寂しい思いをさせたと思います」。長男が大学生の時に10歳年下の女性と再婚。家も新築して自分の両親も呼び寄せた。「思春期の息子二人に僕の両親との同居。妻は本当に大変だったでしょう」。
 

―人生最後の務めー
 あの3月11日。岩間さんの住むタワーマンション22階の部屋に、隣家の奥さんがふらふらと足元も危なく倒れ込んで来た。振幅の大きい周期の長い揺れの中、「怖い。一緒にいさせてください」。ぶるぶる震える奥さんをしっかりと励まし面倒をみたのは、さっきまで同じように怖がっていた岩間さんの妻だった。

 この日、岩間さん宅だけではなく、マンションのあちこちで、住民はフロアのどこかの家に集まり励まし合いながら時を過ごしていたが、それは岩間さんの活動のたまものだった。

 

 岩間さんは、10年前から住む相模原・橋本のタワーマンション「オラリオンサイト」の、第4期,5期,6期理事長。「オラリオンサイト」は約900戸のビックコミュニティだ。理事長として「災害時の超高層マンション住民の自助・共助」に取り組んできた。一番大切なことは「コミュニティの育成」と考え、フロアごと(8軒〜10軒)の懇親会を推進。懇親会のための共用ラウンジの無料開放もすすめた。
 

 「普通はマンションのエレベーターでは、みながドアの方を向いて立つでしょう。でも、ここでは皆が自然と壁を背にして向き合い、なんでもない雑談に花を咲かせるのですよ」
 

 現在では、全戸に簡易トイレを配布。7日分の食料と水の備蓄をお願いし、各フロアのEPS(電気配管スペース)にも3日分の水を備蓄している。「でも、備蓄したものは常に管理・見直しが必要です。これを災害の起こるその日まできちんと継続しなくてはいけない。これがとてもむずかしい」と岩間さん。


 橋本「オラリオンサイト」全景
 

 今、岩間さんが更に取り組んでいるのが「地域住民」との共助だ。
 

「タワーマンションは敷地も広く、広い共用スペースもあり、地下の貯水槽には1000トンの水の備蓄もある。避難所である小学校には、小規模住宅地や商店の密集地を抜けなくてはたどりつけない。火災の発生を考えるとその避難所自体の安全性も心配。それで高層マンション群が地域の避難所になれないかと模索しているのです。実現すればそのマンションの住民にとってもメリットが大きい」と岩間さん。
 

 そのためには行政に動いてもらわなければいけないが、市議会に働きかけて行政を動かすのは、その地域の住民である。そのための活動に岩間さんは日々飛び回っている。
 

「この活動を通じて仲間が広がりました。このマンションだけでも毎月20名を超す住民がすし屋に集まり、わいわいと本音で語り合っています。みんな熱いですよ」
 

 岩間さんの次に理事長を2期務めた人は、元自衛隊幕僚で、災害救援の企画をしていた人物だった。「僕が理事長に就任し、右も左もわからなかった時にとても力になってくれました」。

 その彼が「この年になって、こんな親友ができるとは思っていなかった。本当に俺は幸せ者だ」と奥さんに語っていたことを、自分の妻を通して知る。「僕も幸せ者です」。

 

「地域活動では敵を作ってはいけない。互いに懐深く受け入れあうことが必要」。80歳になる岩間さんが、今、心していることだ。
 

「死ぬまでやる最後の務め」と考え、今日も地道に活動を続ける岩間さん。お話をうかがっていたマンションの共用スペースのガラスドアを、4人の小学生の女の子がトントンと叩いた。「ここから入りたいの?」とやさしく鍵をあける岩間さんは、すっかり好々爺の表情だった。

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 http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=54

((取材・文・写真 田中直美 2015年2月)


岩間さんたちの活動の様子がテレビに取材されました

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00261541.html

 

| comments(2)|
岩間 一昌 (2015/02/22 9:32 PM)
 石井さんのお名前は記憶しています。ただ、お顔については記憶にあるどの顔がどなただったか、たとへ覚えていてももう半世紀を超す彼方ですから、とても正確には無理でしょう。ただ、たしか日本板硝子に居られたように思います。私の住まいますマンションはその相模原工場の近くです。
 これまでの修行がよほど足りていないようで、卒業以来野暮用ばかりに追い回される日々を続け、神撫会の総会にもいまだ出たことがありません。もう少し悟りを開かねば、たとえ出ても皆さんについていけないでしょう。
 高7といえば傘寿が目の前、日ごろ何を楽しんでおられますか。私は暇があれば散歩するぐらいですが。
石井義朗 (2015/02/22 4:59 PM)
岩間さん、私は1年後輩の石井義朗(高7回生)です。ご記憶にありますか?Face to Faceを開いてみたら岩間さんの名が目に入り、弁論部といえば岩間さんですから、懐かしく一気に読ませていただきました。元気でご活躍の様子で何よりです。私も川崎市に住んで30年近くになります。毎年、神撫会東京支部総会に出ていますが、お会いできるといいですね。









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