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Face To Face No.79「コミュニケーションが基本」

高28回生上門一裕(うえかどかずひろ)

 垂水中学

 神戸大学工学部土木工学科卒

 山陽電気鉄道株式会社

 代表取締役社長

 阪神電気鉄道取締役

 神姫バス取締役

 

長田生にとって馴染み深い山陽電鉄。そこで既に10年間代表取締役社長を務めている上門一裕さんは、「自分の生まれ育ったこの大好きな地で、どこにも負けない鉄道、魅力的な沿線を作っていきたい」という想いを追いかけてきた。昨年、還暦を迎えた上門さんに、お話を伺ってきました。

 

―登山ー

 中学と大学時代に登山部に所属していた上門さんは、「ひたすら頂上を目指して一歩一歩登っていくしかない」登山に魅了されていた。自然の中に溶け込み、時には高山植物の可憐な姿に癒されながらも、急峻な崖や山道では、ただひたすら忍耐を必要とする登山。

 

「そこになにがあるのかと思われる方もおられるでしょうが、達成したときの喜びやすがすがしさは何にも代えられません」

 

 大学では土木工学を専攻。専門は耐震工学だった。自然を相手にしながら、生活の基盤を担う仕事につきたいと考えるようになる。そして最終的に決めた勤め先が、自分が大好きだった舞子や垂水、須磨を走る山陽電鉄だった。

 

―阪神淡路大震災ー

 上門さんにとっての一番の大きな転機は「阪神淡路大震災」だ。恐ろしい程の地鳴りの後に襲ってきた大きな揺れ。それぞれの部屋で寝ていた子どもたちの無事を確認した上門さんは、単車で西代にある本社を目指した。西代に至る道は、最も被害の大きかった地域の一つ。火事があちこちで起こり、本社の周りの建物は全てペシャンコ。いつも通っていた本社前にあった焼き鳥屋のおばさんも亡くなった。

 

 「耐震工学を学んできた私は、そのような事例の調査や研究ばかりしていたのに、心のどこかで他人事のように感じていました。それが、我が身に降りかかって、改めて人間の無力さと自然の怖さを痛いほどに感じたのです」

 

 土木課長だった上門さんは、24時間不眠不休で復旧のための設計や工事、国や自治体との折衝に関わった。そしてその後、全線開通には半年、完全復旧には一年もの時間が必要だった。

「阪神淡路大震災以降、地震だけにかかわらず、あらゆる災害や事故を見聞するたびに『今、これが自分の身に起こったらどうするか?鉄道会社としてどうすべきか?』と考えるようになりました」

 

―コミュニケーションー

 上門さんが最も大切にしているものの一つがコミュニケーションだ。鉄道会社にはありとあらゆる種類の苦情が寄せられる。とりわけ上門さんが若い時に取り組んだ土木部門では、駅の改築や線路の保守工事など夜の仕事ばかりで、近隣からは苦情の嵐だった。

 

「謝ってばかりでしたね。だから、今も怒られることは苦にならないですよ(笑)でも、その時に学んだのは、苦情に対応するのも、最終的には人と人とのコミュニケーションだということでした」

 

 現場第一主義の上門さんは、今も機会があれば電車の運転台に添乗するし、各職場巡りをかかさない。ある時、クレームの現場にたまたま居合わせ、お客様が「社長を出せ!」と怒鳴っていたので、隣にいた上門さんが、「私が社長です」と答えた。一瞬、とまどったお客様だったが、誠実な態度で接することで、その顔には照れ笑いが浮かび納得していただいた。

 

―台湾ー

 クレームやお客さまからの要望への対応は、個々の社員が臨機応変に誠意をもって対応することが大切と考えている。ある時、台湾からのお客様が電車の中に携帯電話を忘れたが、駅員の計らいであっという間に手元に戻った。とても感激したお客様は、台湾に帰国後、その感謝の旨を大阪にある台湾領事館に手紙で伝えた。そのことを台湾領事館から連絡を受けたという報告を、社員から聞いた上門さんは、「せっかくの機会だ。直接、領事館に行ってこちらからもコミュニケーションをとっていらっしゃい」とアドバイスする。

 

 そして、この出来事がきっかけとなり、台湾の交通部(日本の国交省に相当)台湾鉄路管理局との姉妹鉄道協定がなされた。4年前のことだ。姫路城など山陽電鉄沿線の宣伝が台湾でなされ、今では姫路城にくるインバウンド観光客のなんと四分の一が台湾からのお客様だ。

 

「人口減少が進む中、地方の山陽電鉄だけでは生き残っていけません。『世界にはばたく』山陽電鉄を目指しています。その第一歩となった台湾との姉妹鉄道協定です。韓国、中国ほか東南アジア各国ともっとインバウンドの市場を広げていく努力の最中です」

 

―すぐやる!ー

「とにかく、何事もすぐに解決しないと気がすまない。気が短いんですかね(笑)。問題を後送りにするのが一番嫌で、とにかくその場で解決したい。『検討します』という答えはありえません」と、上門さんは言う。

 鉄道は365日、一日も休みがない。しかも朝から夜遅くまで電車が走り、電車が止まった後は、安全のための保守点検がなされる。あれほど好きだった登山も、社長に就任以来すっかりご無沙汰している。すぐに連絡のとれる場所にいるためだ。今はゴルフが最大の息抜き。長田の旧友たちと行くゴルフは最高だ。

 

「人生は長いようであっという間に過ぎてしまいます。今、やりたいことを全力で取り組んでほしいと思います。問題に直面しても、言い訳したり諦めるのではなく、常に『いま、どうすればできるか、何をできるか』を自問してほしいと思います」上門さんから、現役長田生へのアドバイスだ。

 

編集後記

 「何事もすぐやる」。お言葉通り、インタビューを申し込んだ時も、その後、事前の質問でメールをやり取りした時も、驚くほどのスピードでお返事が返ってきました。社長業でお忙しいだろうにと驚いていたのですが、お話を伺って納得した次第です。山陽電鉄には、私自身も毎日乗って長田に通いました。長田の同期でもある上門さんが、その社長になり神戸の街を、播磨の国を、もっと活気のある地域にと活躍しているのは誇らしい限りです。

 

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今年はクルーズ日和! チャリティバザー:東京湾クルーズ2018

10月6日、本年度の東京総会のチャリティバザーの目玉のひとつである、南山支部長さんのヨットでのクルーズとバーベキューツアーに参加して来ました!

 

天気図とみんなのスケジュール表をにらむこと数週間、やっと決行されたクルーズ当日は、西日本に台風25号がいるとは思えないほどの、穏やかな海♪

 

さわやかな海風と、船上でのすばらしいバーベキューを楽しめる一日となりました。

 

実は、わたしは去年も参加させていただいたのですが、風とうねりの中、スリルとスピードを味わった前回とは全く違うコンディション。

「それもヨット、これもまた別のヨットの楽しみ方なんですよ」とおっしゃっていた、インストラクターさんの言葉通り、また、いつか違った海を体験できたら…と思ってます!

 

来年、次は是非皆さんが落札して、この素晴らしい体験をしてみて下さい。


(41回生 松田)

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Face To Face No.78「宇宙全託」

 高31回生 寺門孝之

 垂水東中学卒

 映画研究部

 大阪大学文学部美学科卒

 神戸芸術工科大学教授

 

 

 

大阪大学工学部に入学しながらも、現在は神戸芸術工科大学教授を務め、画家として数々の作品を発表し続ける寺門さん。そのモットーとする言葉は「宇宙全託」。この聞きなれない言葉は寺門さんがかつて仕事上、お付き合いのあった某会社の社長の座右の銘であったとのこと。その言葉が自らの人生の指針となるに至った、不思議なお話を伺いました。

 

―学生時代ー

 イラストレーターの宇野亜喜良の絵が大好きで、一生懸命トレースしていた小学生の寺門さん。いつかは自分の絵で世に出てみたいと思っていた。長田時代は映画の自主制作に没頭した。大森一樹監督や石井岳龍監督が活動し始めていた頃で、寺門さんは8ミリフィルムでの撮影、脚本執筆、編集、チラシ制作など表現活動に没頭した。

 

 大学入試直前になって美術系大学を受験したいと打ち明けたが、担任教員にも両親にも「そんな話は聞いていない、今からでは絶対に無理」と反対され、ならば一年浪人して美大を受けようと心密かに決めていたところ、現役で大阪大学の工学部に合格してしまった。入学はしたがやはりしっくりこず、3年進級時に文学部美学科に転部転科。だが、そこでも美術史を研究するだけで「描く」わけではない。東京に出て絵の実制作を学びたい! そのためにも、一人息子である自分は、まずは大学をきちんと卒業して両親を安心させねば。

 

 「ちょっとした『めくらまし』ですよね(笑)」。卒業が遅れそうだった寺門さんは、信頼を得るため猛勉強してなんとか4年で大学を卒業。両親の許しも得て上京した。

 

―セツ・モードセミナーー

 上京した寺門さんは、数々の美術学校を見学する。生活費は自分で稼がなくてはいけないので夜に授業を受けることにしていた。

 ある夕暮れのことだ。不思議な、とてもセンスのよいファッションに身を包み、絵の道具を抱えた人々がおしゃれな建物に吸い込まれるように入っていくのを見た。そこは日本のファッションイラストレーションの草分けであり、水彩画家としても独特の繊細でファッショナブルな画風で知られる長沢節が主宰するセツ・モードセミナーだった。

 

 引き寄せられるように建物に入った寺門さん。受付には、今までに見たこともないような美青年が座っていた。「資料が欲しいのですが」と言うと「ちょっと待って下さい」と言われた。

 

 「そして彼は、いきなり半ダースほどの鉛筆を取り出して、それをカッターで美しく削りだしたんです。そして削り終わった鉛筆をトントンと揃えて、『で?』と言ったんです。なんなんだ!この特別な雰囲気、美意識は?」こうして寺門さんはセツ・モードセミナーの夜間部に週三回通いながら、昼間はアルバイトする生活に入った。

 

―声ー

 長沢先生は細かいことは一切教えない。生徒たちが描いた絵を見て講評だけをする。初めての講評会で寺門さんの絵を観た先生は「君は写真か、映画をやっていたのか?うん、そんな感じだな。だが、絵の構図は写真とは違う。絵では水平線は傾けてはだめだぞ」と言われた。なんだかまだ分からないがこの先生はすごい!そう直感した。「この先生について行こう。」 だが、その後、寺門さんの絵はなかなか評価されることがなかった。寺門さんは落ち込んでいく。やがてアルバイトも辞めてしまい、昼間は寝て過ごすような自堕落な生活を送り始めた。

 

 アパートの万年床で昼間まで寝ていた寺門さんは、突然、耳元で声を聞いた。電話線を通したような少しカサカサした女声だったが、はっきりとこう言った。「新聞を買いに行け」。

 

 「その声に、反応しちゃったんですね。え??新聞?どこに売ってたっけ??」

 

―コンピューターグラフィックスー

 近くのコロッケ屋さんで新聞も売っていたことを思い出した寺門さんは、新聞を買いに走る。以前は求人広告を見るために新聞を購読していたが、それも止めて久しかった。自然と求人広告に目が行く。「イラストレーター募集。経験不問」の文字が目に入った。

 

 「上京当初、求人広告に掲載されているイラストレーター募集では、電話すると、必ず『経験は?』と聞かれ、『経験はない』と答えるとそれで門前払いでした。なので、すぐに電話しましたね。本当に経験不問なんですか?と尋ねると、絵はやっているんだよね?と聞かれ、その絵を持ってきてください、と言われたのです」

 

 銀座の小さなビルを訪ねた。「株式会社シフカ」は来るデジタルネットワークの時代にいち早く目をつけた若い経営者が設立したてのデジタル画像制作会社だった。

 

 画材はコンピューター。給料ももらえる。そして工学部出身の寺門さんは、ドットで描いていくコンピューターグラフィックスの創成期に馴染むのも早かった。

 

 「大手企業も、来るデジタルコミュニケーションの時代にすでに備えようとしていました。螢轡侫は大日本印刷が一大クライアントで、僕は大日本印刷の研究所のようなところで、次々を開発されてくる日進月歩の技術の最先端で思う存分画像制作をやらせてもらいました」

 

 一年が過ぎた頃だ。ある朝、寺門さんは夢を見て目覚めた。

 

―不思議な夢ー

 「そこに洞窟があるのです。おずおずと入っていく僕。そうすると前方にたくさんの人がいて『ブラボー!』と拍手喝采で僕を迎えてくれる。その先には白い3つの額縁。目覚めた時、なんとも言えない高揚感と幸福感が私を包んでいました」

 

 その日、セツ・モードセミナーに行くと「日本グラフィック展に出品するよね?」と友人に声をかけられた。「日本グラフィック展」は5000人もの人が応募するグラフィックアートの一大登竜門で、歴代、大賞は日比野克彦・谷口広樹はじめ東京藝術大学出身者が独占していた。

 

「なんだか、僕は大賞とれるんじゃないか?そんな気がしました。夢に出て来た白い額縁を散歩コースの画材屋さんで見た気がする。さっそく買いに行くと、売り切れで今はないが注文したら一週間で出来ると店主が言う。すぐに注文して、一週間不眠不休で作品を仕上げました」

 

 大賞発表当日、寺門さんはあんなに自信があったのに、怖くて発表をなかなか見に行けない。時間ぎりぎりになってタクシーを奮発して発表会場のパルコに駆け付けた。そのパルコの駐車場入り口がまるで洞窟のようだ。その奥には大勢の人がつめかけており「遅かったじゃないか!待ってたよ!」と声がかけられた。膝がガクガク震えた。大賞受賞だった。

 

 「セツ・モードセミナーが藝大旋風にストップをかけた」と新聞に紹介された。

 

第6回日本グラフィック展大賞受賞作品「潮先」1985年 水彩紙にアクリル絵の具

 

 

 

―宇宙全託ー

 大賞を受賞した寺門さんはその1年後螢轡侫を退職し、以降、フリーランスで活動している。

 

30歳で結婚した寺門さんが、生活資金に窮して銀行に記帳に行ったら、なぜか数十万円のお金が振り込まれている。何年か前の仕事で未払いになっていた賃金が振り込まれていたのだった。

 

「これはきっと、まだ絵の仕事続けていいっていう、宇宙からのお知らせよ」と妻が言った。それ以来、「宇宙全託」という言葉が寺門さんの心の中に響いている。

 

―天使ー

 2014年から、寺門さんは新しい手法で描く天使の絵のシリーズを発表し続けている。リトアニアリネンという麻布をキャンバスにし、まず表から絵を描く。次に裏返して染みた絵具の上に描く。また表に返し、そして裏に返し、その作業を納得のいくまで続け、最後に気に入った側に一筆入れて仕上げる。どうやって描いたのは分からないような、そんな絵を描き続けたい。

 

 

「FONTANA」2018年 リトアニアリネンにアクリル絵の具その他

 

「高校生の前の中学生。その前の小学生。その頃に、理由も分からずに好きになったものや人と、その後の人生で必然のように出会いました。今この時、好きなことをずっと忘れないでいると、いいことがあるかもしれませんよ!」

 これが不思議な体験の中から自分の道を見つけ出した寺門さんから現役長田生へのアドバイスだ。(201810月 取材・写真・文 田中直美)

 

 

編集後記

 展覧会会場にてインタビューをさせていただきました。寺門さんの天使の絵に囲まれながら、穏やかな声で話す寺門さんのストーリーを聞いていると、不思議とその場面場面が映画のように私の頭の中で映像化されます。寺門さんを推薦してくれた同期のH君の話によると、寺門さんのオーラは長田時代から「半端なかった」とのこと。インタビューが終わるまで、辛抱強く寺門さんをお待ちになっていたファンの方もおられ、その人気の一端を見た思いでした。絵の方はちょっと手がでなかったので、テラカドオリジナル、素敵なピンバッチのセットを私も購入しました。プロフィール写真の襟元にご注目です!

 

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Face To Face No.77「楽しいは強い」

 高54回生 鈴木美央

 伊川谷中学卒

 バスケ部マネージャー 

 早稲田大学理工学部建築学科卒 

 英国 Foreigin office Architects

  慶応大学大学院理工学研究科博士後期課程 博士(工学)

  

 

 

経験は種ー

 美央さんは、整形外科関連の疾患により小学生の頃から通院を行い、中学で1回、高校で2回手術を受け、その度に三ヶ月の入院を余儀なくされた。子どもの頃は、白くて古くて研究室のような病院が怖くて足がすくんだ。だが、高校生になると疑問を感じるようになった。「本来、人を癒すためにある病院なのに、辛い人をよけい辛くさせるような建物でいいの?」

 

 小学5年生で経験した阪神淡路大震災も、美央さんに大きな影響を与えた。住居のあった西区は比較的被害の小さな地域ではあったが、それでも新幹線の橋げたが落ちているのを目撃し、家が潰れて亡くなった人のいることを見聞きした。「本来、人を守るはずの建築物が人を傷つけていいの?」

 

 この二つの経験を「負の遺産」にしたくない。この経験を生かしていきたい。人の生活に建築は大きく関わっている。私は「建築」を使い、たくさんの人が笑顔になる空間を作っていきたい。

 

 こうして、美央さんは大学の建築学科に進学した。大学在学中に、完成したばかりの「横浜の大さん橋」を観に行った美央さんは衝撃を受ける。全てが穏やかな曲線で表現された大さん橋は、見事に横浜のランドマークと調和し、人々は幸せそうに散歩していた。

「大さん橋」を設計したのがイギリスの設計会社だということを知った美央さんは、そこでインターンシップとして働かせてもらおうとイギリスに渡る。

 

―チャレンジー

 「建築業界では、学生がアルバイト的に設計事務所で働くことは『オープンデスク』と呼ばれてごく普通のことでした。だから私もアルバイトでもいいから憧れの建築家の元で働くことができればと思っていたのです」

 

 ところが美央さんの人生はここで大きく変わる。応募してみるようにと勧められた高層ビルのコンペで勝ってしまったのだ。コンペ時のプロジェクトの主要メンバーはたったの三人。30代半ばのオーストリア人とスペイン人、そしてまだ23歳の美央さんの三人のチームだった。

 

 その事務所には、その事務所で働きたい人たちが世界中から集まっていた。そして、その集まった若い人たちに全面的に仕事を任せるのが、その事務所のやり方だった。

 

 その後、美央さんは大きな仕事を次々に任される。マレーシアで建築された50階建てツインタワーの建築意匠をたった一人ですべてやっていた時期もある。外壁のデザイン、ランドスケープのデザイン、内装のデザイン、全てである。発注主は、まさかの若い小娘がやってきて驚いていたが次第に信頼を勝ち得る。

 

 「若い時に、責任を持たされてチャレンジングな仕事をする。大変だけどめちゃくちゃ楽しい。ものすごく仕事しましたが全く苦ではありませんでした」

 

レイバンズボーン ユニバーシティ ロンドンの外壁意匠

美央さんのプロジェクトチームで担当した。 

 

 だが、5年ほどがむしゃらに働いた美央さんに、また新しい疑問が浮かんできた。

「建築技術の伴わない途上国で高層ビルを建てることは、危険な作業を伴っていました。2008年にはエコノミッククライシスが起こり、多くのプロジェクトが途中で放棄されました。大きな建築物を建てることで、新しい可能性を掘り起こす可能性はもちろんある。でも、それはどの時代にでもどの都市にでもあてはまることではない。そう感じ始めたのです」

 

 顧客の要望に応えるのではなく、もう一度もっとアカデミックな場所に身をおいてみたい。永住権まで得ていたイギリスを離れた理由は、実はもう一つあった。当時、付き合っていた現在の夫が、駐在が終わり帰国することになったのだ。帰国して結婚。慶應での勤務を始め、仕事として研究を行う中で研究の楽しさに目覚めた。そんな時、当時の勤務先の先生に勧められ「働いた経験で修士課程を修了したとみなす」コースがあることを教えられ、慶応で博士コースに進学した。

 

―マーケットー

 博士コースで美央さんが選んだテーマは公共空間の研究だった。ロンドンの街で馴染みの風景だった「マーケット」。「マーケット」には二つの定義がある。一つは可変性。規模も形態もフレシキブルで、その時々の街の人口、必要な物、また目的によってその姿は容易に適応することができる。そしてもう一つが継続性。普通の道が一週間に一度マーケットになる。あるいは月に一度、場合によっては年に数度。しかしそこに「継続性」があることが必須条件である。

 

 「大きな建築物は作ってしまったら変化できない。でも、マーケットは至極簡単に姿を変えながら存在することができます。欧州ではマーケットは生活の中に根ざし、生まれた時からそこにあり、マーケットなしの生活は考えられないという文化があります。かつては日本にも露店の文化があった。でも、戦後、道路が警察の管理下に置かれるようになり日本独自の露天の文化は消滅してしまいました。私が建築を目指した原点は『建築で人幸せにする』です。マーケットは日本ではおしゃれなイベントとして認識されていますが、実は世界では都市のインフラとして機能しています。このマーケットというツールを日本でも使いこなしていき、いずれはそのツールを、開発著しい中国の街にも輸出していく。そんな夢を抱いています」

 

 今年6月に「マーケットでまちを変えるー人が集まる公共空間のつくり方―」が学芸出版社から出版された。重版も決まり、共同通信社により書評が配信され各地方紙に掲載されている。

 

「好きなことを楽しく頑張ってください。誰かが手助けしてくれ道は開けます」美央さんから現役長田生へのアドバイスだ。(20189月 取材・写真・文 田中直美)

 

編集後記

 実は美央さんが大学院博士コースに進学したとき、長女は生後6ヶ月。論文研究のために10日間の研究旅行で渡英したときは生後10カ月だった。「夫は、私のことを褒めたり鼓舞したりはしませんが、私がやりたいことを自由にやらせてくれ、そしてとても淡々とサポートして私が留守中の子育てもこなしてくれます。本当に感謝しています」。右手に5歳の長女、左手に3歳の次女を抱いて眠るとき、最高に幸せを感じると言う美央さん。どうぞ、だれにも優しい公共空間をプロヂュースして、私たちに幸せな時間をプレゼントしてくださいね!

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41回生藤井浩さんスペインギターコンサートが行われました(2018/9/9代々木上原教会)

今年の東京総会で演奏してくださった藤井浩さんですが、その後体調を崩されて入院される事に。

幸い順調に回復され、今回スペインに帰国される前に、快気のお祝いと感謝の気持ちを込めてコンサートを企画させて頂きました。

 

代々木上原という閑静な高級住宅街の中に、静かにたたずむモダンな教会。

ここに「スペインからやってきたギタリストの演奏を聴こう」、という人達が礼拝堂一杯に集まりました。

長田の卒業生は勿論の事、教会関係の方から、通りがかりのご近所さんまで85人程。

壁に映し出されたスペインの映像をバックに、1時間半、たっぷりと本場のギターの世界に浸らせてもらいました。

 

藤井さんのMCは、ギターの世界やスペインの楽しい生情報が一杯。

「この曲は地元の祭りで人間ピラミッドの時に演奏するもの。てっぺんには『マリアちゃん』が乗るんですよ。」なんて小ネタに使えそう(笑)

でも「遠くスペインに渡った時は戦いに挑むような気持ちだった。同じく故郷を離れて来ている友人は戦友のようなもの。」というお話は胸にしみるものがありました。

 

後半には大音響のドルサイナ(チャルメラ)演奏が。藤井さんは「皆さんの眠気覚ましに」なんて言ってましたが・・・吹きながらどんどん真っ赤になっていく藤井さんの顔を見ていたら、こちらが心配になってきました。

 

最後は老若男女みんなで全体写真撮影です。掛け声は勿論テーマである「ア・ミ・マネーラ!!」(私の人生)。

会場全体が一体となった、素晴らしき音楽体験でした。

 

藤井さん、帰国した際にはまた東京にも遊びに来てくださいね。

ますますのご活躍を、応援しています!!

(文責41回生井川)

 

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「Face to Face」(OB御紹介)記事一覧
長田OBの魅力と卒業後の人生の軌跡をお伝えします
メールはこちらから!
NO.78 高31回生 寺門孝之
「宇宙全託」
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No.77 高54回生 鈴木美央
「楽しいは強い」
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No76 高46回生 栗田直樹
「自分をストレッチさせろ」
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No75 高35回生 水谷和郎
「災害医療に導かれて」
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No74,高30回生 谷川直子
「エッセイストから小説家へ」
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No73 高62回生 宮本千尋
「大切なものを大切に」
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NO72 番外編 担当回生43回生ご紹介
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NO71 高28回生 伊藤裕二
「次の世に花開くものを見極める」
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No70 高62回生 上杉絢郁
「誰かの役に立つ喜び」
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NO69  高19回生 竹添昇
「挫折と挑戦」
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N0.68 高54回生 竹内健太
「長田スピリットで志高く生きる」
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No,67 高44回生 村平進
「とらわれない」
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No,66 高62回生 小倉加世子
「道は未知」
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No,65 高26回生 陰山恭行(芸名 陰山泰)
「持てる個性を発揮する」
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No,64 高54回生 太田沙紀子
「一期一会」
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NO.63 高42回生永井伸哉
「全ては自分次第」
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No62 高35回生 荒木篤実
「ビジネスに命をかける」
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NO.61 高15回生 仲誠一
「為せば成る、為さねばならぬ何事も」
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番外編 NO.60  懇親会担当、42回生ご紹介
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No.59 高61回生 中野瞳
「うまくいかないからこそ面白い」
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NO.58 高17回生 中野正好
「美しいものが好き」
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NO.57 高30回生 伊達寛
「保続」
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NO56 38回生 金盛正樹
 「NEXT ONE」
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NO55.34回生佐藤絵里
「叩けよさらば開かれん」
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No.54 29回生水草修治
「生きる道を探して」
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No.53 41回生 藤井浩
「ふまれてもふまれても立ち上がれ」
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 No.52
 31回生 青木稔
「教師として生きるー亡き息子の志を継いでー」
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 No.51 番外編
 41回生奮闘記
 
No,50 高18回生 藤本隆

「我が道を行く」

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N0.49 高43回生 山田洋平

「聞こえないけど、聴き上手になる」

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No.48 高35回生 山田恭嗣

「人とつながり、自然とつながる共感」

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No.47  高19回生 石田幸司

「人生は気楽が一番!」

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No.46 高58回生 富澤美緒

「ものは考えよう。どんなこともなんとかなる!」
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No.45 高61回生 富澤由佳

「努力は素質を上回り、気力は実力を超える」
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No.44 高38回生 近藤稔和

「前へ」
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No.43 番外編「再会を果たす」
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高43回生 伊藤利尋
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NO.41 高44回生 藤田咲子
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NO.36 高36回生 山中勘
「おもしろい会社」つくったる
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NO.35 番外編 40回生担当幹事ご紹介
「なんとかなるやろ!」
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NO.34 高38回生 大志万容子
「日々を営む人の美しさを伝えたい」
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NO.33 高6回生 岩間一昌
  「人生はおもしろい」
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NO.32 高33回生 南山えり
「人生の流れには逆らわない。流されながら自分のできる精一杯のことをする」
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NO.31 番外編 吉地 恵(きちじめぐみ)
「行きあたり、バッチリ!」
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NO.30 高37回生 樋口博保
「一期一会」がおもしろい!
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記事一覧NO1(No.1〜N0.29まではこちらから)

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高41 藤井浩さん 秋のスペインギター演奏会 in 代々木上原教会

神撫会東京支部主催  
藤井 浩(長田高校 41回生 )、
ギターコンサート開催のお知らせ 

 

東京支部総会で素晴らしい演奏を披露して下さった、
スペイン在住のギタリスト 高41回生 藤井浩さん。
今度は教会に場を移して、その音色をじっくりと響かせて下さいます。

少し早い秋の郷愁を、ギターに感じてみませんか。
皆様、ふるってご参加ください!

● 

テーマ: 

「A mi manera(ア ミ マネーラ)人生を謳おう! Part 供 〜チャペルに響くスペインギターのしらべ〜 

 

 

演奏:藤井 浩(長田高校 41回生 )

41回生藤井さん

 

 

 

 

 

日時:2018年9月9日㈰

13:30 開場 14:00 開演

15:30 終演予定

 

場所:代々木上原教会
〒151-0064 東京都渋谷区上原3丁目18-3
(千代田線・小田急線 代々木上原駅 徒歩5分) http://www.yoyoue.jpn.org

 

演奏予定曲目:

 アルハンブラ宮殿の想い出(タレガ)

 ラグリマ (タレガ)

 禁じられた遊び(スペイン民謡)

 アンダルーサ(グラナドス)

 カバティーナ(マイヤース)

 エストレリータ(ポンセ)

 聖母の御子(カタルーニャ民謡)

 深い愛(ホセ・ルイス・ゴンサレス)

 他

 

主催:兵庫県立長田高校 神撫会東京支部 
会場協力:日本キリスト教団 代々木上原教会

当日の連絡先:090-6117-6461 
hminamiyama@axhum.co.jp(南山宏之) 

 

※お志として、千円以上の献金にご協力頂けると幸いです。 

 

会場は、100人あまりが入れる教会の会堂です。
皆様お誘い合わせのうえ、ぜひ足をお運びくださいますようお願い申し上げます。

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Face To Face No.76「自分をストレッチさせろ」

 高46回生 栗田直樹

 高倉中学卒

 サッカー部

 神戸大学経済学部卒

 三井物産株式会社

 ペンシルバニア大学ウオートン経営大学院卒
 

 サッカー少年だった栗田さんは、商社に就職後、一念発起して海外MBAを取得する。その2年間の経験が栗田さんをどう変えたのか?お話を伺いました。

―学生時代ー 

幼い頃からサッカー大好き少年。小学校のサッカーククラブのCoキャプテンだったが、親の転勤のため小学三年で中断。転校先ではサッカークラブがなかったこともあり、野球、バスケットボールなど他スポーツを楽しんだ。

 

サッカーを再開できたのは長田入学時だった。ずっとサッカーを続けていた仲間たちとは、技術の差はきっとあったと思う。「それでも、持ち前の負けず嫌いな性格とがんばりでレギュラーの座をいとめました」。高校2年生の時、膝を痛めて半月板の内視鏡手術をしてからは思うように練習が出来ない時期もあったが、好きなサッカーと、仲間と過ごす時間を存分に楽しむことができたのは、監督と仲間のお陰だと思っている。

 

長田時代のサッカー仲間と。後列左から2番目が栗田さん

 

校風として文武両道をモットーにしていたこともあり、サッカー部の活動に没頭しつつも、休み時間やバス・電車の中の隙間時間で予習・復習するなどし、効率的に勉強することは意識していた。

 

怪我をして時間が出来てからの方が勉強の効率が落ちてしまったように思うが、今振り返ると、「複数の忙しいことが重なっている方が効率的に動ける性格なのかも知れません」と笑う。

 

現役で地元の国立大学に進学したあとは、学習塾の先生のバイトやサークル活動に精を出しつつ、貯めたお金で米国、欧州、アジアなどの海外旅行なども楽しんだ。

 

―ハードルを越えるー

  就職は商社を選んだ。海外への憧れもあり入った商社だったが、実際に従事した仕事では英語を使う機会はさほど多くはなく、入社7年目に米国研修員として米国で1年間生活した際に、はじめて本格的に英語を使うようになったというのが正直なところだ。

 

 社内留学制度でMBAを取得したいと考えるようになったのは何時ごろからだろう。「常に自分の一生のスケールで何をすべきか、何をしたいのかを考えよ」という先輩の言葉にも刺激を受けた。米国での研修時代に、1000人以上の社員をマネジメントするまだ30代の社長の姿を間近に見て、将来自分は、彼のようにたくさんの人の人生の一端と生活を担う責任を果たせるのだろうか、と痛感したこともある。30歳になった自分の理想と現実のギャップを埋めたい。その方法の一つが海外MBAだと栗田さんは心に決めた。

 

 海外MBAを取得するには、最初に超えなければならないハードルが二つある。一つは社内で選抜されること。もう一つは志望する大学の試験に合格することだ。大学合格のためには、一般的には1300時間の程度の準備が必要とされていた。

 

「『約一年間は週末も含めて僕はいないものと思ってくれ』と妻に伝え、平日出勤前、通勤時間、帰宅後、週末に勉強しました」

 

 一年後の受験で倍率およそ10倍の希望大学の入学試験には見事合格。だが、なんと社内選抜が最終面接で落とされてしまった。「正直、この一年をもう一度繰り返すのは無理と思いました」

 

 だが、MBA取得の先輩から、入学の権利を翌年まで留保する方法があることを教えてもらい、交渉の末、なんとか大学には一年待ってもらえることに。社内選抜も、過去には2回目のチャレンジで合格していた人もいることを知り、もう一度チャレンジすることに。そして翌年、晴れて2年間の留学に出発した。

 

―貢献するー

 80ヵ国以上、一学年850名のクラスメイトと学ぶ2年間は、想像以上の変化を栗田さんにもたらした。会社を離れ、日本を離れ、一個人として未知の世界でもがいた。

 

 勉強はもちろん睡眠時間を削って頑張った。マーケティングや財務の経営理論はもちろんのこと、リーダーシップ・チームワークや交渉・コミュニケーション能力向上のための授業も用意されていた。その中でもユニークなものが三日間氷山の中で行う、「危機的状況の中でリーダーシップを発揮する」ためのプログラムだ。

 

事前に三ヶ月に渡る身体的トレーニングを行った上でプログラムに参加。期間中は参加者が交代でチームのリーダーを担う。「他のメンバーの状況を正確に把握し的確に指示をだす」「密なコミュニケーションで互いの信頼関係を築く」「メンバーを励まし鼓舞する」。これらのことを身体的・精神的窮地の中で確実に実践できるよう学んだ。

 

大学一年生の時に阪神淡路大震災に罹災し、家が半壊した栗田さんにとって、その時に受けた大きな支援は忘れられないものだった。だからこそ、留学中に起きた東日本大震災では、今の自分が、米国で出来ることは何かと必死で考えた。留学生仲間とチャリティイベントを行い、40000ドルを集めた。「米国企業のマッチング制度を利用すれば、集めた金額と同額の寄付を企業から集めることができる」と教えてくれたのはMBA仲間だ。自らの勤務先の制度を活用して協力してくれた。街の教会に、コインで一杯になった貯金箱を届けてくれた小さな男の子のことも忘れられない。

 

この二年間で得た一番の財産は、世界中から集まった多様な価値観を持つ友人と過ごした時間だ。優秀でありながら謙虚。失敗しても挑戦し続ける姿。「Get out of Comfort zone(今に安住するな)」「How can you contribute(貢献できるか)」。互いに常に鼓舞しあった言葉がしみこんでいる。

 

 ウオートン校で一緒に学んだ仲間たち

 

―朝活ー

 2011年に帰国した栗田さんは、「一人で出来ることは限られている。互いに刺激しあって化学反応を起こす場を日本でも作りたい」と考え始める。

 

そんな中、海外MBAを経験して「海外ビジネススクールのように、様々な人々が出会い、刺激的・継続的に学べる場を作りたい」と活動を始めていた仲間と意気投合。現在、共同幹事として「MBA朝活」を主催している。月一回の開催は継続的に続けられ、すでに45回を迎えた。出勤前の早朝715分から八時半まで、虎ノ門カフェで開催している。

 

栗田さんたち共同幹事の意気に感じ、そうそうたる経営者たちが講師を無償で務める。ビジネスの側面だけではなく、講師それぞれの生きざまや価値観まで語られるのが魅力だ。

 

「自分の可能性を自分で狭めてしまってはいけない。強い想いがあれば、賛同、アドバイス、もしくは支援してくる人が必ず現れ、強いエネルギーを貰って実現への道が広がります」栗田さんから現役長田生へのアドバイスだ。(取材・文・写真 高28回生 田中直美)

 

編集後記

 「MBA朝活」に私も参加してきました。私は朝5時起きでしたが、参加者の女性の一人は4時半に起きて子どものお弁当を作ってから来られたとか。「新しい刺激を受けて勉強したくて」とのこと。参加者は20人ほど。活発な質問が飛び、講師も的確な答えを即答。投資会社経営者による金融界のお話でしたが、門外漢の私にも充分に理解でき、有意義な朝でした。みなさん、講義のあとは一目散に仕事場へ。若いエネルギーに元気になりました。商社マンとしての本業も充分すぎるほどにいそがしいであろう栗田さんが、毎月一回のこの会を開催し続けるエネルギーはその「想い」にあるのだろうと痛感した時間でした。

 

「MBA朝活」の様子

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◆2018年度東京支部総会・懇親会◆

6月9日(土)渋谷東武ホテルにて、18年度神撫会東京支部総会・懇親会が盛大に執り行われました。

今年は私たち43回生が幹事を務めました。今回、初めての試みとして、今までご案内ハガキをお送りしていた方々に加え、神撫会本部の住所録に掲載されている関東圏在住の44回〜69回生302名の方々にも、ご案内ハガキをお送りしました。これにつきましては、神撫会本部ならびに(株)サラトの皆様にも多大なご協力をいただきました。心よりお礼申し上げます。そして、今回の出席者211名のうち40名が43回生より若い人という大変嬉しい結果となりました。

さて、今年の総会テーマは「A mi manera(ア ミ マネーラ)人生を謳おう!」でした。「ここにいる一人ひとりの“私の人生”、“私の生き方”、夢やビジョン。挑戦や挫折。歓びや悲しみ。そんな人生全部を、互いに讃えて、応援し、人生を謳ってしまおう!」という思いが込められています。司会は、43回生を代表して、フジテレビアナウンサー伊藤利尋くんと倉本涼子さんが務めました。

総会は、大塚製薬”ポカリスエット”の長田高校のダンスCMとともに開幕。まずは、テーマである「A mi manera(ア ミ マネーラ)」にふさわしく、スペインのギター音楽にのって南山支部長(高25)が登場しご挨拶。続いて、車谷事務局長(高33)から、年次・会計報告と理事改選の提起が行われ、拍手をもって承認されました。また、会計監査役の松島様(高37)より会計監査報告がありました。その後、来賓の小山校長先生、兵庫県東京事務所の入江所長、神撫会の三宗理事長(高17)からご挨拶を頂きました。また神撫会100周年事業広報委員会の子守委員長(高32)、松原委員(高35)から、神撫会100周年事業のご紹介と協力依頼がありました。

吉地先生紹介その後の懇親会は、今年も出席者最年長毛利公郎さん(中18)の乾杯の御発声からスタート。体験コーナーの一つ目は、長田高校で9年間体育教官を務めた吉地先生のブース。吉地先生は現在、「めぐちゃん指ヨガ」の指導者として全国各地で活動されており、その「めぐちゃん指ヨガ」を来場者にマンツーマンで施術しました。 続いて、体験コーナーの二つ目として、早稲田大学で医療福祉用リハビリロボットを研究している田中英一郎くん(43回生)のブース。広島大学と共同開発した歩行補助ロボット「RE-Gait®」(リゲイト)の体験が行われ、来場者の興味を惹きつけました。 田中くん紹介模擬店ブースでは毎年大好評の「長タコ」が、明石焼きを振舞いました。この収益は100周年事業基金に寄付されます。 今年ならではの楽しい試みとして、司会の伊藤くんが「長タコ」「めぐちゃん指ヨガ」「RE-Gait®」(リゲイト)を周り、現地を実況中継する一幕がありました。舞台上の倉本さんとの掛け合いも絶妙で、まるでニュース番組から飛び出してきたような中継に、会場は盛り上がりました。

藤井さん演奏その後のメインステージ企画では、会場が暗転し、”スペインの笛吹き男”藤井浩さん(高41回)の紹介ムービーが流れ、藤井さんがスペインの民族楽器であるドルサイナを演奏しながら入場。伊藤くんと藤井さんのトークライブでは、藤井さんに、「なぜスペインだったのか」また、「ドルサイナ&ギター奏者になるまでの経緯と、現在の活動」について迫りました。続いて、鈴木美穂さん(高45)のピアノ伴奏により、ドルサイナとギターの演奏を披露し、参加者を魅了しました。

中野さん応援引き続き、中野瞳さん(高61回)を応援するコーナー。中野瞳さんは2020年東京オリンピック出場を目指す走り幅跳びの選手です。高校2年生で日本高校新記録(6m44cm)を樹立後、難病で記録が伸び悩んだ時期を経て見事に復活されました。総会では、中野瞳さんの足跡を辿る紹介ムービーが流れ、伊藤くんが、会場の2箇所にピンを置き、6m44cmの距離をわかりやすく説明してくれました。その後に登場した中野瞳さんは、オリンピックに向けての決意を語り、神撫会東京支部を中心に発足している「中野瞳を応援する会」富澤さん(高61)から具体的な応援方法として、ヾ麌奸↓応援に行く、3Г捻援歌を歌う、の3つが挙げられました。については、中野さんへのサプライズとして応援歌”A mi manera〜神撫の風〜”(作曲:藤井浩さん、作詞:応援する会有志)が贈られ、会場に響く大合唱の中、中野さんが感動して涙ぐむ場面もありました。
(参考:走り幅跳び・中野瞳さんを全力応援! in 2018神撫東京総会)

今年のテーマである「A mi manera(ア ミ マネーラ)」はスペイン語の直訳では「私の人生」ですが、あえて「人生を謳おう!」と併記しました。そこには、「人生はうまくいく時も、うまくいかない時もある。それでもこうして同じ神戸三中、長田高校の門をくぐった仲間が集まれば、自然に笑顔になり、明日への勇気が湧いてくる」というメッセージが込められています。まさに、全員で中野瞳さんの応援歌を歌っている間、会場はエネルギーに満ちあふれ、活力が生まれるのが感じられました。

「A mi manera(ア ミ マネーラ)人生を謳おう!」これは、各方面で活躍する皆さまの一人ひとりへの応援メッセージでもあります。またお目にかかれる日まで、皆様の毎日が、笑顔で満たされる日々でありますように。(43回生 原 恭子)

43回生集合写真
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「Face To Face」NO.75「災害医療に導かれて」

 高35回生 水谷和郎

 太田中学卒

 水泳部

 山口大学医学部

 神戸百年記念病院心臓リハビリセンター長

 (旧 鐘紡記念病院)

 

 

 阪神淡路大震災が人生の転機となったと語る人は多くいるだろう。水谷さんもその一人だ。だが、水谷さんの場合、その転換点は震災10年後に訪れた。揺り起こされる記憶が、水谷さんの医師としての仕事に、専門の循環器内科とは全く別の側面である災害医療という新たな一面を加えることになった。そしてそこから更に4年後、一冊の本との出会いで、水谷さんの災害医療は更に深化することになる。

 

1995年ー

 1995117日。水谷さんは医師になって3年目。兵庫県立淡路病院で当直の朝を迎えていた。淡路病院は淡路の救急病院で、連日、島中から救急の患者ばかりが搬送されてくる。日常から野戦病院の趣があり、毎日の医療に少し自信が出て来た頃だった。

 

 早朝5時半に目がさめポケベルをチエック。テレビをつけたその時に、遠くからゴーっという音が近づきドンと縦揺れがきた。とっさに思ったのは「東海地震がきた!名古屋が大変だ」ということ。当直室の扉を開けると非常扉が全て閉じて廊下が緑の部屋になっていた。

 

 ドアを開け開け一階に降りたがいつもと変りない。情報源はテレビのみ。京都が震度5。だが、淡路・神戸の情報は出てこない。情報を得るために淡路の広域消防に電話した。救急要請が11件あり、生き埋めが何件か出たようだ、との情報を得る。最初の患者さんが来たのが65分。軽症の患者さんがバラバラと自力で来院した。

 

 様子が変わってきたのは7時過ぎから。次々に救急外来の患者が運ばれ、あちこちで心臓マッサージが始まっていた。

 

「この時、外科部長だった松田先生が栗栖先生に『映像で記録をとれ』と命令しました。正直、なんで?と思いましたよ。一人でも多くの医師の手が欲しいのに」

だが、結果としてこの時撮られた映像が水谷さんの人生の進路を大きく変えていく。

 

この日の来院患者数68名。死亡7名。重傷20数名。混乱は午後14時ぐらいにはほぼ終息した。ライフラインが切れなかったこと、救急病院だったため、普段から科を超えて協力する体制があったこと、明石大橋開通前で、非番の医師たちも病院の近くに住む人が多く、駆けつけてきた医師が多くいたことも幸いした。

 

震災当日撮影された映像より 中央が水谷さん

 

2005年ー

 震災後3年目ぐらいから、なぜか震災の話をすると泣いてしまうようになっていた。何故そうなのかは自分でも分析できない。とにかく、自然災害によって突然命を絶たれ、亡くなった方々の時間が止まってしまった理不尽さが悔しかった。

 

 震災10年後のその日、水谷さんは兵庫県立姫路循環器病センターに勤めていた。看護詰所のテレビで10年目の黙祷が始まったその時、突然の号泣がこみあげ止められなかった。

 

 「当時、姫路の循環器病センターは地域の災害拠点病院に指定されていました。でも、指定されているだけで何も準備はされていなかった。僕はそのことに気付いていましたがそれまで気付いていないふりを自分自身にしていました。でも、その時、急にスイッチが入ったんです。震災当日、淡路病院で経験した自分だからこそできることがある」 

 

 水谷さんの災害医療活動がスタートした。

「まずは病院のスタッフにあの時の映像を見てほしかった。阪神・淡路大震災当日の病院での映像記録では、唯一のものです。現場で何が起こっていたのかを知って、そしてどう行動すべきなのか、自分事として考えてほしかった」

 

 映像を公開することには葛藤の連続が有ったと言う。「でも、現状ではだめだ。これでは亡くなった人たちが報われない」。

 

姫路循環器病センターでの初めての講演の日、水谷さんはいつもの白衣ではなくスーツを着た。淡路病院のスタッフとして今日は講演するのだという意志表示だった。

 

 病院内の反響は凄かった。災害医療に対応しなくてはという機運が一気に盛上がる。水谷さん自身も、もっと勉強をしなくてはと日本集団災害学会のセミナーを受けることにした。だが、勤務医は平日に休みをとるのが難しい。そうだ、自分が学会発表をすれば休みを貰えてセミナーを受けられる!

 

 意気揚々と出かけた学会で、まさかの肝心のビデオが動かず発表は失敗。「だがまぁ、一回だけのことで、専門外だしいいか。セミナーを受けるという目的は果たすことができた」と帰途につこうとしていた水谷さんに、長崎大学付属病院と松山赤十字病院から「映像を貸して欲しい」と声がかかった。

 

 「それなら、ぜひ私の話を聴いてください!」この時の講演が口コミで広がっていった。

 

2016年11月12日 鳥取県立厚生病院で講演する水谷さん

 

2009年ー 

 NHKのスペシャル番組「阪神・淡路大震災 秘められた決断」を観て、本、「災害エスノグラフィー;阪神・淡路大震災秘められた証言」を買う。それは鳥肌が立つほどの衝撃だった。

 エスノグラフィーとは、本来、民俗学のフィールドワーク手法の一つ。それは、京大の林先生が震災当日の神戸市役所職員のそれぞれの一日を克明に聞き取り、その話し言葉のまま時系列にどこでどんなことが起こっていたのか記録した書だった。

 

 水谷さんは、体験した人にしかわからない体験の「温度差」が気になっていた。あの映像に写っている人を全てインタビューして淡路病院での災害エスノグラフィ―を作ると決心。既に13名のインタビューを終え、後は4人だ。驚いたことには、だれもがあの20年前の一日を克明に記憶していた。

 

 あの日の映像だけでは伝えきれないこともある。映像を見た人自身のバイアスがかかるからだ。だが映像にエスノグラフィーを加えることで、その映像に写っていなかった時間にその人が何を体験し、どう考え、どう行動していたのかが克明になり、疑似体験がより深いものになる。「他人事」のあの震災の日を「自分事」として捉え、その時、医療従事者として自分に何ができるのか考え抜くこと、また現場で実際に起こっていたことを疑似体験することによって、知識を増やしておくこと。知らないことは出来ないのだから。

 

 現在、神戸の百年記念病院で心臓リハビリセンター長として勤務しながら災害医療の啓もうに力を注ぐ。正直二足のわらじは厳しい。だが、この活動を止めるつもりはない。(20187月 取材・文・写真 田中直美)

 

―編集後記―

 水谷さんが取材された災害エスノグラフィ―を拝見しました。大通りだけ巡回し、その裏道の惨状に気付かなかった消防署員の後悔、いつもとは全く違う様子を呈する医療現場では、違う動線をすぐに構築することが必要なこと、通常であれば、まだ手を尽くすはずの患者さんの治療を、より軽症で命が助かる希のある人を助けるために治療を止める勇気が果たして自分に持てるかどうかなど、「習う」災害医療ではなく「自分事としてシュミレーションする」災害医療の大切さを水谷さんが啓もうする意味を痛感しました。

 「震災当日の医療現場のフィルム」。他にはないこの貴重な資料を生かさねばと奮闘する水谷さん。ありがとうございます。

 

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