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Face To Face No.69「挫折と挑戦」

 高19回生 竹添昇

 垂水東中卒

 ESS

 鳥取大学農学部卒

 日本ハム代表取締役社長(2014年)

 

 

 2014年まで、日本ハムの代表取締役社長を務めていた竹添さんは、慣例には従わず会長の席には就かなかった。いさぎよく引退。現在は体重も7キロ落として40年前の体重に戻った。身も心も軽くなって孫と過ごし、ギターの弾き語りの腕を磨く。第二の人生を謳歌している竹添さんだが、その半生は「挫折と挑戦の繰り返しだった」と言う。

 

―ハムレットー

 「竹添君、今のままではあかんよ。何か得意なもんみつけなさい」。高校一年生の時、担任の先生にそう声をかけられたことがESSに入部したきっかけだ。中学時代から英語が得意だったが、長田の先輩が演ずる英語劇「ヴェニスの商人」を観て「これだ!」と入部。2年生時、シナリオリーディングのコンテスト出場で主役のハムレットに抜擢され、がぜんやる気に火がついた。幼少の頃よりシャイだった竹添さんだが、大声を出せるよう、夏休み中は校庭で発声練習。そして、最優秀男優賞を受賞。これがきっかけで人前でも大声が出せるように変わった。

 

 だが、なにより学んだことは「ハーモニー」の大切さだ。一人で劇はできない。一人が目立ってもいけない。「調和の大切さ」にも気付いた高校時代だった。

 

TMC

 得意の英語を生かしたくて外大を受験したが失敗。予備校に通う中、理転して農学部に進んだ。ここで入部した「軽音楽部」で積んだ経験が人生の第一のターニングポイントとなった、と竹添さん。

 

 英語の発音には自信のあった竹添さんはヴォーカルをつとめた。毎年、市民会館の音楽ホールで定期演奏会が開かれ、大勢の観客の前でしゃべりを入れながら演奏する。

 

 「観客の顔が見えるんですね。何を話したら、どんなアクションしたら受けるか、直に感じられる。この時に体得したコミュニケーション能力が、後の会社生活に役立ちました」

 

 仲間とは何度も喧嘩したが、活動は最後まで続いた。TMC(チームワーク・メンバーシップ・コミュニケーション)。これが大学時代の音楽活動で得た大きな財産だ。

 

 音楽活動に力を入れ過ぎた竹添さんは就職活動に出遅れてしまった。みかねた研究室の教授が薦めてくれたのが日本ハムだ。まさか社長になろうとは考えてもいなかったが、これが運命の始まりだった。

 

―入社26年目の大転換ー

 「僕は、なぜか最初は希望していたものを『ダメ』とはねられてしまうんですよね」

 

農学部出身の竹添さんは研究室を希望していたが、配属はルート営業だった。配達と集金。マンネリ化した仕事に面白みはあまり感じられない。主任になったのも同期の中で一番遅かった。だが、自ら新規顧客開拓部門に異動を願い出た。入社して10年目の1981年には、大学で研究した食品化学の専門知識を生かせる取引先を任せてもらえ、ヒット商品の開発にも成功する。同じ年、日本ハムファイターズがリーグ初優勝で売り上げも爆発的にアップ。幸運だった。このまま営業の叩き上げで定年を迎えると思っていた時、まったくの畑違いである管理部門である統轄室に異動になった。竹添さんが50歳の時だ。

 

50歳の学び直しー

 「まず、財務諸表の壁にぶちあたりました。BS(貸借対照表)もPL(損益計算書)も何のことかさっぱり分からない。密かにビジネススクールに通い、30代の若者に交じって経営戦略を独学しました」。

 

マーケティング、ブランディング、経営戦略。仕事を終えた後、夜間の授業に通った。「今思えば、楽しかったですね」。学んだ知識を生かして経営企画部門を担当。経営計画策定や新規事業立ち上げを行った。

 

その4年後、日本ハムを激震が襲う。日本ハムグループ子会社が「牛肉偽装事件」を起こしたのだ。

 

―再生ー

 取引先からは取引停止を、行政からは営業自粛処分を受け、会社は存亡の危機に陥る。

 

 「会社を変えてやる!会社を必ず再生して見せる!」そう決意した竹添さんは、たった一人で対策本部を立ち上げ、各部門から若手を引き抜いて、会社再生の責任者となった。

 

 この時、竹添さんは、長田ESS時代の辛い英語劇の練習や、大学時代のバンドで培ったメンバーシップを思い出し、不思議と悲壮感はなかったと言う。

 

 この再生劇は、過去、ビジネススクールのケーススタディにもなったほどである。

 

 閉鎖的組織の撤廃と業績至上主義の解消に没頭した後は、ブランディングを実施。関係会社90社、28,000人の従業員全てが価値観を共有するグループブランドを策定。ブランドステートメント「人輝く、食の未来」を社内外に発表しグループの求心力を高めていった。

 

 続く2006年からの3年間は構造改革に着手すると共に、品質NO1をめざし品質の保証体制を確立、2009年からの3年間は副社長として、事業の選択と集中をより積極化、財務体制の強化に乗り出した。食肉の飼育・処理加工・物流・開発・営業・お客様サービスまでの一貫した事業の垂直統合も完成させた。

 

 2012年に代表取締役社長に就任した後は、守りの経営から攻めの経営へ。食肉業界では、初めて株主重視のROE経営を宣言。就任中に株価を三倍にした。

 

 「米国・欧州・アジアを往復しての、海外投資家向けの広報活動では、長田ESS時代の英語能力が活かされました」

 

―道ー

 大学入試では、得意の英語の道に進めなかった。就職活動も出遅れた。希望だった研究職には就けず営業に回された。50歳にして突然、畑違いの部署に異動、そして会社の存続をゆるがす不祥事の発覚。

 

 平坦とは言い難い道だったが、モットーは「言い出したものがやる、先ず自分がやる」という意味の「先ず隗より始めよ」

 

 「いつかまた人前で歌うことを目指して、密かにギターの弾き語りのレッスンを続けている」竹添さん。その歌声を聴いてみたくなりました。(20181月 取材・文 田中直美)

 

編集後記

 竹添さんは、インタビューの間中、とても静かな声で、丁寧に分かりやすくお話してくださいました。人前で大声を出し、強烈なリーダーシップを発揮していたであろう社長というよりは、シャイだったという少年時代を彷彿とさせられます。いつもはカメラを持参して現在のお写真を掲載するのですが、今回はカメラを忘れ、竹添さんが現役時代のお写真をお借りしました。プロフィール写真とギターを弾く竹添さん。その雰囲気の違いに注目してくださいね!

 

 

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スペインでは超有名人!ギター&ドルサイナ奏者“ヒロ〜シ”の東京凱旋コンサート

2017年1月7日、現在スペインで活躍するギター&ドルサイナ奏者41回生 藤井浩さんの新春コンサートが新宿で開かれました。

彼の活躍ぶりはテレビ東京「世界ナゼそこに?日本人 〜知られざる波乱万丈伝〜 日本では無名なのにナゼか海外で超有名な日本人!」(2017年8月21日放送)でも知られる所。

Face to Faceでは、その“波乱万丈”な人生を紹介しています。

http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=149

 

今回は一時帰国に合わせての公演となりました。

会場は、高層ビル立ち並ぶ西新宿にありながら、そこだけスペイン・ガウディの世界が出現したような別世界のホール。

 

哀愁を帯びたギターの音色が、満員の客席に響き渡ります。

一転、爆音ドルサイナの演奏前には「耳栓貸出」のサービスも。

しっかりした(姉さん女房のような?笑)美人ピアニストとの息もぴったりで。

藤井さんの軽妙なMCも挟んでの、あっという間の2時間でした。

 

演奏会後には、スペイングッズが当たる懇親会も開かれました。

「小さいヒロシ人形」なんていう、藤井さんが指揮者を務めたスペインアルコイ市祭りの公式グッズもありましたよ。

 

藤井さんには2018年6月9日に開かれる東京支部総会でも演奏して頂く予定です♪

 

最後に藤井さんより長田生の皆さんへ熱いメッセージを。

「長田高校在校生の皆さんへ

長田高校での私の3年間は毎日部活の柔道に明け暮れた毎日でした。怪我ばかりして満足のいく結果も残せず、医者を目指しての大切な勉強もどんどん取り残されて屈辱の連続でした。

あれから30年。長田高校野球部の選抜出場をきっかけに、同窓会や総会で先輩方や昔の友人と再会に恵まれ、あの頃私と同じ境遇にあったクラスメートが少なくなかったことを知りました。

其を知っていればまた違った愉しい高校生活があったのかもしれません。

どんな形にせよ高校3年間の思い出は一生の財産です。そして受験勉強は高校生活の一部でしかありません。同じ学校になった友人と貴重な思い出が出来ることを望みます。

長田高校は長い歴史があり時代を越えた他校にはない繋がりがあります。

先輩方の活躍もそうですが、在校生の野球やダンスでの活躍は我々卒業生に沢山の感動を頂きました。

君達のお陰で私達もまだまだ負けてられない、頑張ろうという気持ちになります。

悔いのない高校生活を送って下さい。そしていつか総会で先輩方とお会いしましょう。」

 

(文責 41回生 井川千穂)

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大迫力!長田高校有志150名が「歌う、踊る、叫ぶ」ポカリスエットダンスCMオンエアー

今年7月にNDC70が「ポカリ鬼ガチダンス選手権」で準優勝した記憶もまだ新しい中、

今度は何と長田高校としてポカリスエットのCMに参加しました!

 

そしてついに、2017年12月22日(金)全国オンエアー開始です。

https://prw.kyodonews.jp/opn/release/201711157960/

※60秒CMは12月22日のミュージックステーションスペシャルで“一度限定”OA

 

それに先だって長田高校全校編、予告編も公開中。

長田高校全校編:

https://youtu.be/MvX6_4jWcbM

予告編:

https://youtu.be/qllIRx2so0Y

 

この凄い企画の舞台裏をちょっとご紹介。

学年・性別を問わずダンサーを募ったところ、集まったのは有志・ダンス部員合わせて154名。

更に40名の吹奏楽部員も演奏で参加。一大チームが編成されました。

 

2学期の始業式以降、約2週間ほどの昼休み・放課後を利用して猛特訓。

ダンス部員が手とり足とり“身体をはって”有志生徒に振りを指導しました。

「歌も振り付けの一部」。

ダンサーは歌詞のみ覚えて、メロディとリズムは身体でとらえました。

吹奏楽部だって、歌と一緒に練習です。

 

そして迎えた撮影日。

校舎・中庭の美しさと150名超のダンサー、両方が生きるような配置にも一工夫。

全員の息が合うまで、何回も繰り返しです。

 

吹奏楽部は演奏だけでなく、オリジナルの動きまで取り入れ、何と窓からも登場!

 

予定されていた体育祭での撮影は、雨天の為中止。

その分、講堂での撮影は大変な熱気に包まれました。

エネルギーが画面から溢れてきそうです。

 

応援の皆も、旗と歌と手拍子で参加。

その場に居た全員が一体となりました。

 

中には、こんなに熱い表情を見せてくれた男子生徒も。

「全力でやった結果、自然に出てしまいました!」との本人談です。

 

最後に参加者からの伝えたい想いのコメントを。

・大人数を巻き込んで一つのものを作り上げる・・・私達の挑戦でした。長田生のエネルギーを感じてください!(ダンス部)

・見た人も踊りだしたくなるような気持ちになってもらえたら嬉しいです!(有志代表)

・CMになっているのはごく一部ですが、たくさん考えたり、楽しんだり・・・たくさんの思いが詰まっています。

私達の青春を感じていただければ・・・と思います!(吹奏楽部)

(文責:41回生 井川千穂)

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「Face To Face」NO.68長田スピリットで「志高く」生きる

 高54回生 竹内健太

 舞子中学卒

 野球部

 早稲田大学政経学部卒

 ペンシルバニア大学ウオートン経営大学院卒

 モルガン・スタンレー証券会社

 ビズリーチ

―学生時代の起業―

 今でもよく覚えている。高校3年生の時新長田のローソンで立ち読みした経済雑誌。「日本の大都市の中で神戸の財政状態が一番悪い」との記事。ショックだった。「経済に強い政治家になって、愛する神戸の財政を再建するんや!」今につながる志を立てた人生の転機だったと竹内さんは言う。

 

 政治と経済の両方が学べると考え進学した早稲田の政経学部だったが、学問としての経済学だけではなく実務に触れたいと大学3年生時に起業する。「企業や病院の空きスペースに保育所を作る」という福祉系のコンサルティング会社だ。全国で保育所を100ヶ所あまり経営している会社の社長と、不動産会社の社長が、合わせて3千万円を出資してくれた。

 

 「企業や病院には、従業員への福利厚生としての保育所のニーズがあり、敷地もある。けれど保育所運営のノウハウはない。出資してくださった会社には保育所運営のノウハウがある。それを結びつけました」

 事業として成立し、その会社は今も存続しているが、竹内さんは「将来の夢のために、経済の最先端で働いてみたい、もっとグローバルな仕事も経験してみたい」との思いから、同社を共同経営者に譲り、自身は外資証券会社のモルガン・スタンレーに新卒入社した。

 

―外資金融機関で働く―

 就職して2ヶ月目に、父が病により亡くなった。49歳の若さだった。23歳で喪主を務めた竹内さん。母、大学生の弟、高校生の妹、中学生の弟。この家族の生活を守る責任が、長男である竹内さんの肩にかかった。

 

 「不幸中の幸いとして、一般的に給料が高いとされる外資系金融機関に勤めましたので、とにかく必死で働いて、家族の生活費と学費を稼ぎました長田の後輩で、当時は大学生だった弟が、難関を突破して同じ業界の内定を取ってくれた時は、家計の担い手が増えると思い、非常に安心しました」。

 

 外資での仕事は「非常にハードで、まるで軍隊のようでした」と笑う。毎日夜中の三時過ぎまで仕事した。上司も平気で一時過ぎまで仕事する。日経新聞の一面を飾るような大きな案件を何件も担当させてもらった。「非常にやりがいを感じていましたが、今振り返っても、我ながらよく頑張ったなあと思います」。モルガンで5働いた竹内さんは、米国政府の奨学金試験に合格したのを機に退職。トランプ大統領も学んだペンシルバニア大学ウォートン・スクール2間の予定で進学した。

 

―米中への留学と初めての転職―

 米国で学んで一年。夏休みで一時帰国していた竹内さんに「株式会社ミクシィ再建を手伝って欲しい」との依頼が同社の社長となっていた友人から舞い込む。ミクシィ往時こそ破竹の勢いを誇っていたもののFacebookが日本を席巻してからは、業績が落ち込んでいた。

 

 本業のSNSでの挽回ではなく、新規事業であるスマホゲームでの成長牽引にミクシィは舵を切る。これが大当たりして株価は20倍に。経営企画室長として、一連の事業転換に関与した竹内さんは役目を果たし、1休学していた大学院に復学する。米国で学びながら中国語も勉強していた竹内さんは、最後の半年間は交換留学生として北京大学光華管理学院学び合計2年間の経営学修士課程を終えてウォートン校を卒業した。

 米国留学中のクラスメートとの年末パーティーでの一コマ
 

―忘れ難き卒業旅行―

 記念の卒業旅行の行き先として選んだのは、なんと北朝鮮だった。北朝鮮の国境までは中国の旅行社の人が付き添い、国境を超えると、竹内さん一人に日本語ガイド二人と運転手の計三人の北朝鮮の人が付き添った。

 

 三人は、ガイドしてくれている間中、日本、米国、韓国の悪口を言っていたものの誠実に仕事はこなしてくれた。純朴な人柄で、聡明でもある彼らに対して、竹内さんは意外な好感を抱いた。

 

 「僕は20歳の時、神戸市での成人式の集いで、横田めぐみさんのご両親のを聴きました。拉致問題に対しては強い怒りを感じる、現地で出会った北朝鮮人は親切にしてくれた。『拉致問題の解決なくして、日本北朝鮮国交を回復することは絶対にない。大っぴらに語れないかも知れないが、問題が解決するよう、心の中だけ良いから皆さんも祈ってください』と、どうしても伝えたかった」

 

そのチャンスを作るために、三泊四日の旅の終わりに、竹内さんはチップを少しはずみ、手渡しながら気持ちを直接伝えたと言う。

 

北朝鮮旅行中のガイドさん達との写真

―事業で社会問題を解決する―

 帰国後は、急成長ベンチャー企業であるビズリーチに、創業者から誘いを受けて入社。社長室長、管理本部長を経て、現在は事業承継M&Aプラットフォーム事業である「ビズリーチサクシード」推進している。

 

 「中小企業の後継者問題は日本の未来を左右する大問題です。多くの従業員を抱えつつ、黒字も確保している優良企業が、後継者問題で廃業に追い込まれる。これは日本の宝の損失と言えます。『価値ある事業を未来につなげる』。これが、僕達の事業のミッションです。個人的にも、これまで学んできたことを全てぶつけるつもりで取り組んでいます。」

 

―吹き込まれた「無限の可能性」―

 長田時代の野球部の監督、大津先生は、竹内さんの人生に大きな影響を与えた人だと言う。

「お前たちは無限の可能性を持っている。甲子園に行って、東大に行って総理大臣にだってなれる!」

 

 「だいたい似たようなレパートリーで、本当に毎日毎日吹き込まれました。ほとんど洗脳です(笑)。同じ流れをくむ野球部の後輩が、昨年春の甲子園に出場してくれた時は本当に感動しました。もちろん、有給を取って応援しにいきました。」

 長田野球部初の甲子園出場を、同期と応援しに行った際の記念写真
 

 会社ではジム部に所属し、若い同僚達とともに筋トレで自分自身を追い込んだ後に、仲間と一緒にサウナで語らう時に幸せを感じると言う。高校時代の野球部のノリを思い出すからかも知れない。

 

 「高校の友だちは、一生の友だちになります。未熟ゆえのぶつかり合いもあるかもしれませんが、隠し立てなく何でも話せる仲間をしっかりと見つけてください」。ビズリーチで辣腕を振るう人事部長は、竹内さんが他社から招聘した長田の同級生だそうだ。

 

 10年後には神戸出身者を代表する経営者の一人となっていたい。そして、最終的には公職に就いて、神戸の発展に尽くしたい。所詮すべては人間がすること、必ず実現できると信じている。201712月 取材・写真・文 高28田中直美)

 

編集後記

 まだ33歳でこれだけの経験を積み、常に前進している竹内さんにとても驚きました。ドメスティックな保育所事業からスタートし、グローバルな世界に飛び出て、今また、日本の将来を見据えて事業展開をする。公私ともに「なんにでもなれる!」未来を進んでください。応援しています。

 

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「Face To Face」NO.67「とらわれない」

  高44回生 村平進

 王塚台中学卒

 吹奏楽部 生徒会長

 名古屋大学工学部

 税理士法人 大樹

 コンサルティング部部長

 

 ―変化―

 大学卒業後現在に至るまで、村平さんは5回転職している。アスクル、ブックオフ通販子会社、堀江さん逮捕前のライブドアなどで働いた。

 

  アスクルではIPO前後の勢いのある会社の雰囲気を肌で感じた。お金によって「感情」が動かされて理性的な判断を狂わされる場合もあると昔から感じていたが、その現実と向き合うきっかけともなった。

 

 「損得というものはとても分かりやすい。でもそれ故に、本来、理性でなされるべき意思決定がゆがめられることがあります。『損してもいい!』と言い切れる人は少ないのです」

 

 そしてもう一つ学んだことが、職場という環境を変えても、自分の内面を変えない限り何も変わらないという現実。「何回も転職しないと分からないというのもどうかとは思いますが(笑)」

 

 「自信ありすぎで生意気な自分(笑)」を変えるという意味ではない。人には人それぞれの別個の価値観があるということに気付いたということだ。きっかけは「性格分析」の手法の一つ、エニアグラムに出会ったこと。

 

 そこから出てきた結論が「とらわれない」という生き方だ。

 

「自分の価値観や理屈、感情にとらわれず、なぜ、相手がそう考えるようになったのか?じっくり耳を傾けると、そこにはその人の人生経験に裏打ちされた思考回路があり、なるほどなと理解できる。さらにその人の人生を追体験することで、今度はその人の思考回路でも考えることができるようになるのです」

 

 自分の思考回路だけが正しいのではない。人それぞれであることに気付けた。これが「とらわれない」生き方の原点となった。

 

―橋渡し―

 現在、名古屋の税理士法人「大樹」でコンサルタントとして働いている村平さん。顧客である中小企業のオーナー社長の「人としての生き方・魅力」と「経営」の整合性がとれるよう橋渡しするのが仕事だ。

 

 「中小企業の場合、経営は、社長にとっての『自己表現』という側面と、『利益を生み出して継続させていく』という二つの側面があるんですね。前者は企業理念として言葉で表現されています。でも、経営者としては、『利益をあげる』ことを優先してしまう場合も多いのです」

 

 経営者の人間的な側面に惹かれて入社した社員は、経営者が「利益にこだわった」行動をとったとき、社長の二面性に裏切られたように感じ失望すると村平さんは言う。

 

 相手の価値観を追体験する村平さんには、社長の胸中が自分のことのように見えてくる。

 たとえば止むを得ず賃金カットを断行する場合、「現況、賃金カットは必要。それでも若い従業員にはほんの少しでもアップしてあげたい。がんばった人には報いてあげたい」そんな想いを言葉にして社員に伝えたり、また反対に、とかく結果の数字のみが重視される風潮の中で、中小企業ならではの「プロセスの重視」で、従業員のがんばりを社長に伝えたりもする。

 

―広がるー

 なんのためにこの時代の日本に生まれ、この仕事をしているのか?と自問している間に、自分の中で「世界平和のため!」という壮大な目標が浮かんだ。いつもそれを言葉に出して得意先企業の社長さんたちにも話している。

 

 「初めはどの社長にも『世界平和なんて』と失笑されてしまいます。でも、あるタイミングで、ビジネスの先に世界平和が感じられることがあるんです。そうすると、失笑していた社長自らが『世界平和のために私たちのビジネスは・・・』とお話して頂けるようになるんですね。ビジネスは世のため人のために行われているもの。そうなることが自然だと思っています」

 

 飲み食いしながら楽しく会話するのが好きだ。自分の琴線に触れてくるものにはどんどんチャレンジすることにしている。今は茶道にはまっている。ついた師匠は「お道具」の達人。茶碗、水差し、棗。それぞれのお道具の制作技法の分析から、その歴史的背景にまで発展していく師匠の洞察に魅了されている。

 

 最近思うのは、「自分に見えている相手の姿は実は自分の姿だ」ということだ。自分と言うフィルターを通して相手を見る。相手の優しさに気付けたら、それは自分の中の優しさの合わせ鏡。自分にとっての辛い経験も、相手の中にある「辛さ」に気付き共感できるようになると知った。

 

「自分の可能性を信じて自分の限界に挑戦してください。そしていつか自分の限界を感じてください。実は自分の限界に至ったときから“新たな自分の可能性”が広がります。そしてその“新たな自分の可能性”には長田高校で過ごした事が大きく影響してきます。自分の可能性を信じ、限界に挑戦してくださいね!」これが、今の村平さんから長田現役生たちへのアドバイスだ。

201711月 取材、文、写真 田中直美)

 

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―編集後記―

 村平さんは身長184センチ。とても姿勢が良くて声が大きい。そして自称「お話し好き」。明るくて楽しくて一緒にいると相手のテンションも自然に上がってくる感じがすばらしいと思いました。これからも、何にも「とらわれず」に、きっとご自分の世界を広げていかれると思います。

 

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目指せ、東京湾の海賊王! チャリティオークションEureka号クルージング体験記

毎年6月に開かれる神撫会東京支部総会。

そこでの恒例チャリティオークションには毎年目玉となる出品があります。

今年は何と言っても、「豪華BBQ 付き、魅惑の東京湾クルージング」!

東京支部長がプライベートヨットを自ら操縦してもてなしてくれるという太っ腹企画。

これを落札した幸運なメンバーは41回生の6名です。

勿論全員クルージングなんて初体験。

どうなることやら・・・

 

毎週のように襲ってくる台風、働き盛りのメンバーの予定を合わせるのに苦労しつつも、ついに11月12日(日)に開催にこぎつけました。

晴れ渡る空に、輝く船体Eureka号。

参加メンバー一同、スキッパーからの「落水したら生存率6割(湾を出たら数パーセント!)」」の言葉に思わずライフジャケットを握りしめます。

 

荷物を積み込んで、いざ出港。

港の中はエンジンで進みます。

まだまだ余裕の表情で・・Bon Voyage!

 

さぁ、いよいよ大海原へ。

デッキの端に座ったものの…

え、海面、めちゃくちゃ近くない!?

華麗な綱さばきでヨットの帆をあげるクルーの方々。

途端に帆が風を受けて船が走りだします。

「時速15km 」なんて、絶対嘘でしょ。

凄い疾走感! 全身で感じる海風と波。

でも振り落とされそう〜っっ

 

あれは猿島。先に見えるは観音崎。

房総半島も一望できる絶景です。

 

「あ、東京湾にシン・ゴジラ発見!」

(そんなわけないって・笑)

 

「みんな、せっかくだから一人づつ操縦してみたら?」

なんて恐ろしい事をスキッパーが言う。

あれ、でもやってみるとちょっと船長気分。

自分がラット(←大きなハンドルのこと)を回す通りに船が動くこの不思議。

下手な動きをすると、すぐに皆から悲鳴が上がるのもご愛敬(笑)

 

スリルと興奮、高揚感を満喫した2時間半。

帰港すると、今度は第二部、豪華BBQの始まりです!

戻る船の中で「お腹すいた〜」の声も聞こえていたしね♪

 

BBQの女神が次々出して下さるのは、コストコが誇る美味なる料理とステーキ並みの分厚い肉。

そして女神自ら仕入れてきた、”江の島片瀬漁港”の朝捕りサザエです。

 

ビールにワイン、焼酎お湯割りまで。

船の上で食べる解放感、最高♪

 

山盛りティラミスとコーヒーのティータイムまでついて・・

フルコースでしょ、これは。

 

満腹の幸福感の中、支部長囲んでの話は尽きず。

いつのまにか、陽は西の水平線に沈みかけていました・・・

 

本当に予想を超えた体験をさせてもらった一日でした。

準備して下さった、スキッパー、クルーの皆さんに感謝です!

来年は是非、皆さんが参加してみてくださいね♪

 

航海日時:

2017年11月12日(日曜日)9:30am - 12:30am

 

航海エリア:

横浜ベイサイドマリーナ沖から猿島沖までの海域

 

クルー:

佐藤 定春(ISPA インストラクター)

岩間 健作(ISPA コンピテントクルー/eureka マネジャー)

 

スキッパー(艇長):

南山 宏之(長田高校 25回生/ISPAコスタルナビゲータ)

 

BBQシェフ:

伊藤 理香(長田高校39回生)

 

オークションディレクター

井口 徹哉(長田高校30回生)

 

ゲスト:

41回生の愉快な仲間達

 

ヨット:Eureka (Dehler32  JPN 6797 YBM C0402)

 

(文責:41回生 井川千穂)

 

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「Face to Face」(OB御紹介)記事一覧
長田OBの魅力と卒業後の人生の軌跡をお伝えします
メールはこちらから!
N0.68 高54回生 竹内健太
「長田スピリットで志高く生きる」
ーーーーーーー
No,67 高44回生 村平進
「とらわれない」
ーーーーーーーー
No,66 高62回生 小倉加世子
「道は未知」
ーーーーーーーーーー
No,65 高26回生 陰山恭行(芸名 陰山泰)
「持てる個性を発揮する」
ーーーーーーーーーーー
No,64 高54回生 太田沙紀子
「一期一会」
ーーーーーー
NO.63 高42回生永井伸哉
「全ては自分次第」
ーーーーーーーーー
No62 高35回生 荒木篤実
「ビジネスに命をかける」
ーーーーーーーー

NO.61 高15回生 仲誠一
「為せば成る、為さねばならぬ何事も」
ーーーーーーーーーーーー
番外編 NO.60  懇親会担当、42回生ご紹介
ーーーーーーーーーーーーーー
No.59 高61回生 中野瞳
「うまくいかないからこそ面白い」
ーーーーーーーーーーーーーー
NO.58 高17回生 中野正好
「美しいものが好き」
ーーーーーーーーーーーーー
NO.57 高30回生 伊達寛
「保続」
ーーーーーーーーーーーー
NO56 38回生 金盛正樹
 「NEXT ONE」
ーーーーーーー
NO55.34回生佐藤絵里
「叩けよさらば開かれん」
ーーーーーーーーー
No.54 29回生水草修治
「生きる道を探して」
ーーーーーー
No.53 41回生 藤井浩
「ふまれてもふまれても立ち上がれ」
ーーーーーー
 No.52
 31回生 青木稔
「教師として生きるー亡き息子の志を継いでー」
ーーーーーーーー

 No.51 番外編
 41回生奮闘記
 
No,50 高18回生 藤本隆

「我が道を行く」

http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=144


N0.49 高43回生 山田洋平

「聞こえないけど、聴き上手になる」

http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=136


No.48 高35回生 山田恭嗣

「人とつながり、自然とつながる共感」

 http://nagata-tokyo.jugem.jp/?eid=139






No.47  高19回生 石田幸司

「人生は気楽が一番!」

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No.46 高58回生 富澤美緒

「ものは考えよう。どんなこともなんとかなる!」
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No.45 高61回生 富澤由佳

「努力は素質を上回り、気力は実力を超える」
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No.44 高38回生 近藤稔和

「前へ」
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No.43 番外編「再会を果たす」
高43回生 田中英一郎
高43回生 伊藤利尋
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NO.42 高28回生 岩崎倫夫
「舞踏家として生きる」
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NO.41 高44回生 藤田咲子
「咲子が咲いた 『ブルームス』」

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NO.40 高40回生 小森伸昭
「思考し、変化し、成長し続ける男」
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NO.39 高62回生 谷山実希
「あきらめなければ夢はかなう」
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NO.38 高60回生 谷山雅美
「まず、やってみる!」
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NO.37 高23回生 瀧和男
「妥協しない。信ずるところを貫く」
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NO.36 高36回生 山中勘
「おもしろい会社」つくったる
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NO.35 番外編 40回生担当幹事ご紹介
「なんとかなるやろ!」
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NO.34 高38回生 大志万容子
「日々を営む人の美しさを伝えたい」
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NO.33 高6回生 岩間一昌
  「人生はおもしろい」
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NO.32 高33回生 南山えり
「人生の流れには逆らわない。流されながら自分のできる精一杯のことをする」
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NO.31 番外編 吉地 恵(きちじめぐみ)
「行きあたり、バッチリ!」
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NO.30 高37回生 樋口博保
「一期一会」がおもしろい!
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「Face To Face」NO.66「道は未知」

 高62回生 小倉加世子

 大山寺中学卒

 硬式テニス部

 北海道大学農学部

 北海道大学大学院農学部

 JFE エンジニアリング

 

―長田ー

 長田では硬式テニス部だった。中学では陸上部だったので全くの初心者。でも、仲間たちは優しく、中学で軟式テニスをしていた友人たちがおしげもなくコツを教えてくれた。初めてダブルスの試合で勝った時は、コートでついはしゃぎ過ぎて周りの選手が引いていたかも、と笑う。

 

 部活の帰り道も仲間と一緒。豚まんや串カツを買って腹ごしらえしてから塾に行く。自習室にも皆で最後まで残った。

 

 部活仲間とわいわい楽しい登下校の道も好きだったけれど、部活引退後、一人で歩く登下校の道も好きだった。同じ道を通るのは好きではなく、いろいろと新しいルートを開拓していた。なかでも好きだったのは、当時「猫道」と呼ばれていた細いくねくね道。ある日、工事が始まって通行止めの看板を見つけた時はがっかりしたっけ。

 

―北海道ー 

 北海道大学に進学したのは、中学・高校の修学旅行で行ったスキー旅行がきっかけ。北海道が大好きになったのだ。まずは「北海道大学」ありき。農学部を選んだのは、兼業農家を営んでいた祖父母の下で、小さい時から土に触れていたからかなと思う。

 

 北海道の雪が大好きだった。ふわふわさらさらしていて、地元の人は雪でも傘をささない。払えば簡単に頭から肩から落ちていく。どんなイルミネーションよりも綺麗だなと思う。

 

 専攻したのは土壌学。大学一年生の終わりに起きた東日本大震災をきっかけに「福島第一原発事故により放棄された農業流域における放射性セシウムの流出予測」を研究対象に選んだ。農業環境技術研究所との共同研究だ。

 

 土壌に付着してしまったセシウムの微粒子。どれぐらいの年月がたてば再び福島全体で農業ができるようになるのかを、さまざまな土壌サンプルから様々なパラメーターを使って分析していく。地道な計算が延々と続く。修士論文発表の前の二ヶ月は、部屋には寝に帰るだけの日々が続いた。

 

 研究は後輩に引き継がれ、今も福島の土壌の観察は続いている。

 

―社会人二年生ー

 一転して就職ではJFEエンジニアリングに入社。大学で研究してきたこととは全く関係のない分野に進んだ。

 

 「企業としては、福島のがれき処理や、野菜工場など関連のある事業もありますが、私は事務職として採用されているので、直接には全く関係はありません。農学部の出身者はそのまま食品会社などに就職する人が多いのですが、『このまま農業研究に人生を絞ってもいいのか?』という気持ちがありました。でも、またいつか資格試験を受験して農業研究員の道を目指してもいいなという気持ちも持っています」

 

 就職して一年目は経理だったが、2年目の今年は関連企業部に配属された。グループ会社の管理・再編をする部署、会社全体の経営方針に関わる。

 

 「私はここで、今までの自分の視野の狭さに気づきました。今までは、企業の公共性とか技術だけに目がいっていましたが、企業である限り収益のことを考えないわけにはいかないと、今更ながらに気付いたのです」

 

―言葉ー

 ある日、母がアルバムのページを繰りながら「あなたたちを育てるのは本当に楽しかった」とつぶやくのを聞いて小倉さんは驚いた。

 

 「私は三姉妹です。そして母は短大で教師をしており、ずっと働きながら私たちを育ててくれました。通勤には片道2時間もかかり、娘たちも、それぞれに反抗期もあり、母にとって子育てはどんなに大変だったろうと思っていたのに・・」

 

 小倉さんが通っていた小学校はスポーツが盛んで、冬には耐寒マラソンがあって半そで半ズボンで走った。玄関で「いやだな~」と思いながら靴を履いていると、母が「しんどいことも楽しんでやりなさい」と声をかけてくれた。

 

 小倉さんのモットーは、「ピンチはチャンス」だ。振り返れば、それはあの時の母の言葉にも通じているのかなと思う。「悩んでいる時こそよい道を選べるチャンス、そうポジティブに考えます」

 

―親友ー

 「私はとても人に恵まれていて感謝です」と小倉さん。大学でも、社会人になってからも尊敬できる素敵な人々にめぐまれた。中でも、保育園・小・中・高とずっと一緒だった幼友達二人は、大学は北海道・京都・大阪とバラバラになったが、今も一番のかけがえのない親友だ。

 

 「神戸を離れてから、頻繁に連絡をとるわけではありませんでした。でも大事な時にはいつも相談します。会うと『やっぱり大切な人』と感じます。みんながそれぞれの場所でがんばっている。その存在自身が大きいのです」

 

 その親友を含め、テニス部の仲間など、長田時代の仲間の存在は、小倉さんの中で本当に大きいと言う。「後輩たちにも、長田の繋がりを大切に」と伝えたいと思う。

 

 保育園で一緒だった、小倉さん、山下麻衣さん、八木裕理子さん

 

一緒に富士登山!左から山下さん、八木さん、小倉さん

 

―挑戦ー

 小倉さんは自然の中にいるのが大好きだ。現在の趣味は登山が高じた沢登り。そのためにボルタリングもするし、自転車にも乗る。撮り鉄だった父の影響か鉄道も大好き。

 

 「いろんなことに挑戦するのがとっても楽しい。だから仕事もいろんな分野に挑戦したい。まだまだ自分の道を一つには決められません」。社会に出て、まだ2年目の小倉さん。大人としての人生はスタートしたばかりだ。(201710月 取材・文・写真 田中直美)

 

沢登りする小倉さん。かっこいい!

 

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―編集後記―

 ゆっくりと言葉を選びながら静かに話をする小倉さんは、話を聴くときもまっすぐに相手の目をみつめ、「素直」に物事を吸収してきた人と記者には見えました。「人に恵まれた」のではなく「人を引き付ける」のではないかと思ったことです。外見の印象からはちょっと違うアクティブさも、長田女子!ですね。

 

 

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「Face To Face」NO.65「持てる個性を発揮する」


  高26回生

 陰山恭行(芸名 陰山泰)

 舞子中学卒

 剣道部(体を壊して途中退部)

 早稲田大学社会科学部

 役者

 

 

―「ひよっこ」ー 

 NHKの朝ドラ「ひよっこ」。1960年代の東京下町のトランジスタ工場の女子寮である乙女寮。その乙女寮食堂で、愛のこもったおいしい料理を作り、女工さんたちの楽しみ「コーラス」で、アコーディオン伴奏もしてしまう料理人、森和夫の役を務めていたのが陰山さんだ。

 

 「あのアコーディオンには苦労しました。母がピアノの先生をしていたので、ピアノは少々たしなんでいたのですが、アコーディオンは小学校で触って以来。『トロイカ』『見上げてごらん夜の星を』など、全5曲あったのですが、二ヶ月間、ひたすらアコーディオンの練習に明け暮れて、ものにしました」

 

―演劇研究会ー

 長田卒業後、2年の浪人生活を経て早稲田大学に進学した陰山さん。高校時代の友人が、高校卒業後「青年座養成所」に入団していたことから刺激を受け、当時の有名なアングラ劇団「赤テント」「黒テント」などを、大学合格後、入学前に観劇。入学後、すぐに早稲田の演劇研究会を見学に行ったことが、今の演劇人生の始まりだった。

 

 「当時の早稲田の演劇研究会では、卒業生でもある、綺羅星のような演出家がすぐ隣で活動していました。寺山修司さんや鈴木忠志さんです」。超一流の演出家の仕事を間近で観た衝撃と影響は大きかった。

 

「芝居を始めるなんて夢にも思わずに進学したのに、ここで僕の人生は大きく変わりました」

 

―持久力ー

 とりわけ、京都大学で三日間上演した「お手をどうぞ」での体験は大きい。シェイクスピアの「夏の夜の夢」を自分たちで再構成した作品だったが、観に来てくれた鈴木忠志さんは「つかこうへいさんよりおもしろいぞ」と評し、当時、京大生だった辰巳拓郎さんも「おもしろかった」と言ってくれた。現在、神奈川芸術劇場で芸術監督を務める白井晃さんは、「お手をどうぞ」を観て、入学していた立命館を辞め早稲田に入りなおしたほどだ。

 「学生演劇では、テクニックはまださほどないので、とにかく体全体を使って思いっきり走り回りながら自己表現を自由にやります。僕はその魅力にはまりました。役者という仕事は『万年失業予備軍』です(笑)。でも、この道に入ったことを後悔したことはありません」

 

 舞台とテレビでは大きくアプローチが違うと言う。舞台では練習を含め、長ければ数カ月、そのセリフを深める。テレビではセリフを覚えたら、リハーサル一回に本番一回。舞台は持久力、テレビは瞬発力だそうだ。

 

「僕は舞台から入っているので、舞台のアプローチが合っています」

 

―友ー

 長田時代は、学校の勉強机の横にいつもギターを置き、暇があれば弾いていた。上高地への修学旅行にもギターを持って行った。

 

 「当時の天敵は運動部のやつでしたね(笑)。でも、その天敵が、僕が演劇をやっているのを知ってからは、ずっと公演を観に来てくれているんです。大阪で公演するときは、長田の仲間が、つぎつぎと20名以上も来てくれることもあります」

 

 「僕は、早稲田で演劇を始めた時から、ある意味『長田ぽく』はない。一年生の時に同じクラスだった垣内君(現三菱商事社長)なんか、こいつ、なんでこんなに頭がいいだろうと感心してましたよ。彼の息子が早稲田で演劇をやっていた時は、垣内君に『ちょっと様子みてやってくれ』と頼まれて、全公演を観に行ってましたけどね(笑)」

 

―挑戦ー

 妻はバレーダンサー&振付師だ。料理は全て陰山さんが作る。それが気分転換になるし趣味でもあると言う。最近凝っているのはデミグラスソース。牛の骨とすじ肉からスープをとり、テールを入れて仕上げるまで、まる4日かかる。

 

 「役者は、毎日が勉強です。いつも新しいことに挑戦するのが仕事」。

 

「ひよっこ」で見せた包丁さばきは実生活。アコーディオンは新しい挑戦。

 

「自分の持っているポテンシャル(潜在能力)を生かすことを最優先して、自分を自分で大切に伸ばしていってほしい」これが陰山さんから現役長田生へのメッセージだ。

20179月 取材・写真・文 高28田中直美)

 

近日上演!「坂の上の家」

http://www.kpac.or.jp/event/detail_783.html

 

「ヘッドアップ」

http://m-headsup.com/

 

 

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編集後記

 

 記者と同じ28回生のT君が、京都大学での公演時に、農学部近くの水道で顔を洗いドーランを落としていた陰山さんの姿を鮮明に覚えているとインタビュー前に聞いていたのですが、まさかその公演が、陰山さんにとっても人生を左右するようなターニングポイントになる公演だったとは驚きました。それにしても陰山さんの若々しさにはびっくりです。若い役者さんたちと一緒に同じ舞台に立ち、体をはって新しいことにチャレンジを続けておられるからこそだと感じたことです。

 

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「Face To Face」NO.64「一期一会」

 高54回生 太田沙紀子

 西神中学

 茶華道部

 弘前大学医学部保健学科

 東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科

 東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科

 特任助教

―保健師ー 

 阪神大震災が起こった時、太田さんは小学生だった。彼女の家がある西神地区には多くの仮設住宅が立ち並び、そこで、看護師ではないけれど住民の間を回りながら丁寧に話を聴く女性を見かけ、その女性が「保健師」であることを家族に教えてもらった。

 

 それが「公衆衛生」に興味を持つきっかけとなり、大学卒業後は、日中は保健師として働きながら、夜は大学院に通い、修士・博士の研究に取り組んだ。

 

 保健師として、ケアが必要な高齢者を訪問しながら、「老いる」ということを概念ではなく肌身で感じた太田さん。

 

 「ちょっとしたことを役所に電話して確認する。書類を見て手続きする。医師に現況を説明する。医師の説明を理解する。若い人なら簡単にちゃちゃっとできることが、高齢者とって『非常に難しい』ことであるという現実。頭では理解していたはずなのに、実際に高齢者と接してその深刻さを深く再認識しました」

 

 そして、更に仕事を続けていく中で「人として幸せな最期とはどんなものなか?」と考えるようになる。

 

 「それまでの私は、キャリアを積み上げていく自分というものは頭に描いていましたが、キャリアを積み上げる時間を終えた後の20年、30年の人生というものは想像も出来ていませんでした。億ションに住んでいても『ずっと一人でいて寂しい』と言う人もあれば、長屋に住んでいても、私が訪問している一時間の間にさえ何人もの人が顔を出し、『あら、おばあちゃん、今日はいいねえ』とか『お料理、ちょっと持ってきたよ』とか声をかけてもらい、ニコニコと幸せそうな笑顔を浮かべている人もいました」

 

 そして思いを馳せたのは自分の祖父母だった。

 

「私にとって祖父母は、自分が子供の時に接していた、まだまだ若々しく元気な祖父母です。でも、自分が大人になって自分のことだけに精一杯になっている間に、自分の祖父母も実は『老いている』ということに改めて気づいたのです。ご老人たちは『寂しい』と訴えれば、若い人たちが心配すると気遣ってくれている。若い人たちに心配をかけたくなくて『元気だよ』と言っていると」

 

 三姉妹の次女の太田さんは姉妹にも声をかけ、三人で月一回、「家族新聞」を発行し祖父母に届けることにした。A4の紙にちょっとした近況や写真を添えて。今もそれは続けている。

 

80歳、90歳、100歳の方々のお話に耳を傾け、その人生を追体験させていただきました。そして『人生は有限である』と肌身で感じ、生き方そのものがその人の最期に反映されると知りました。稀有な経験だと思います」

 

―WHOー

 公衆衛生活動は、様々なレベルで行われる。地区、市区町村、都道府県、国、世界と広がり、もっとも大きな「世界」という単位を担っているのが世界保健機構(WHO)だ。

 

 「自分には無縁と思っていたWHOですが、大学院の時に先生が『あなたならできる。チャレンジしても失うものは何もないのだから挑戦しなさい』と勇気づけてくれたのです。私は、彼女のことをメンターとして尊敬しています」

 

 師は励ますだけではなく、受験のためのテクニックや国際人としてのふるまいについても具体的に指導してくれた。太田さんはWHOのインターンに見事に選ばれ、世界に六ケ所あるWHOの地域事務所の中でインドのデリーで研修を受けることになった。研修を受けるためには保健師の仕事も辞めなくてはいけなく、友人たちからは「もったいない」とも言われたが、太田さんは一歩を踏み出した。

 

 太田さんはデリーで仲間と共にプロジェクトを進めながら、「日本の常識は世界の非常識」と痛感したと言う。

 

 「日本では24時間明るく、ネットはいつでもつながり、本はいつでも手に入り、自分にやる気さえあれば24時間いつでも勉強できます」 デリーでは違った。突然の停電は当たり前。ネットもいつ繋がらなくなるか分からない。

 

そしてそんな中、暴動による突然の「非常事態宣言」。街には土嚢が積まれ、ピストルで威嚇され、戦車が溢れている。6人以上で連れ立って出歩くと「集会禁止令」によって逮捕されるよ、と大家さんにも注意された。

 

 だが、バングラディッシュやインドネシアから来ていた仲間たちは、どんなことにも動じない。停電など当たり前のことだし、「非常事態宣言」にも、「そんな時もある」と平然。

 

「私には測り知れない困難を乗り越えてきた彼らは、私とは比べ物にならないほどタフで、私は、改めて自分がどんなに恵まれた環境の中で生きてきたのかと痛感したのです」

 WHOで共に学んだ仲間たちと

―学ぶー

 現在は大学の教員として、研究方法論、統計学、英語を教えながら自分自身の研究も進めている。

 

 一人一人の高齢者には、いくつもの病院、薬局、介護施設が関わっているが、その情報の集積は意外なほどにまだ進んでいない。ネット上にプラットホームを作り、各施設がそこに情報を集め、関係者のだれもが情報を共有できるようにするためのシステム作りの必要性は、保健師をしていたからこそよく分かる。また、介護ケアのレセプト情報の分析から、次世代の介護医療政策に反映すべきものも見つけ出したい。

 

 長田時代、茶華道部に所属していた太田さんは、「茶会に臨むときは、一生に一度の出会いであることを心得て、誠意をもって人に接するように」と教わった。

 「その時から『今』や『この瞬間』に意識を向けて、二度と巡って来ない一度きりの『今』を大切にするようになりました」と太田さん。

 

 保健師時代に接した多くの高齢者から、深く学ぶことができたのも、その「一期一会」に真剣に向き合えたから。

 

 「身近な人と、どれだけ触れ合う時間を持てたか」が人生の最期の時を彩ると、「一期一会」の中から学んだと考えている太田さんだ。(取材・写真・文 田中直美)

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編集後記

 記者ぐらいの年齢になると、自身の親の老い・看取りを通じて「老いる」ということを実感するようになります。でも太田さんが、この若さでそれを心の奥深いところで感じ取り、そして実際の自分の生活にも反映していることに深い感動を覚えました。また、何かと揶揄されることの多い介護保険制度ですが、これが世界的に見たら、現在、どれほど恵まれた優れた制度であるのかということにも気付かせてもらいました。太田さんの研究が、日本の介護制度を更に改善していけるよう強く願ったことです。

 

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